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僕の試練
何か長い夢を見ていたみたいだ。
何故か目を覚ましたら僕は異世界にいて、そこで出会った白いもふもふの狼の獣人に溺愛される夢を見ていた。白い狼の獣人さんはとても格好良くて、優しくて、僕はそんな彼にすぐにめろめろになったんだ。彼も僕をとても愛してくれて、尻尾にかけて僕を愛するなんて、そんな事も言ってもらって、すごくすごく幸せな夢だったんだ……
頬に何かざりざりとした生温い感触がする。今、何時だ? ここ、どこだっけ……?
耳元で「うにゃ~ん」と、猫の鳴き声が聞こえた。あぁ、もう朝なんだ。
「……ぅはよ、クロ。ちょっと待ってて、今、ご飯準備するから」
僕はいつものように起き上がり、いつものように寝惚け眼のまま台所の戸棚を開ける。戸棚の中にはクロのご飯。カリカリをクロの皿に盛り付けて、目の前に差し出せば、クロは一心不乱にそのカリカリを食べ始める。
「クロは呑気でいいなぁ……」
そんな事を思いながら、僕が時計を見上げると時間はもう9時で、遅刻とかそんなレベルじゃないな……と、頭を振った。目覚まし時計をセットし忘れたんだな。
母さんは出張で家にはいないし、もう学校に行くのもかったるいや……と、僕はリビングのソファーに腰掛け、そのままパタンと横倒しに横になった。
何だかとても幸せな夢を見ていたのに、やっぱり現実なんてこんなもので、誰もいない静かな我が家は相変わらずしんと静まり返っている。
聞こえてくるのはクロがカリカリを齧っている咀嚼音だけで、なんの物音もしやしない。
「夢の中の方が楽しかったな……」
獣人が支配する世界、だけど僕の周りはシロさんを筆頭に優しい獣人さんばっかりで、魔法なんかも使えちゃって、魔物はちょっと厄介だったけど、なんとか暮らしていけそうな気がしていたんだけどな。まぁ、夢だからね。僕に都合のいい世界だっただけかもしれないけど。
僕はぐぅんと腕を伸ばす。今の僕の手には何もない。勿論魔法だって使えない。
「コテツ様の魔法、格好良かったな。僕も指ぱっちん出来るように練習してみようかな」
そんな練習をしてみた所でこれからの人生になんの役にも立ちはしないのは分かっているのだが、何とはなしに僕は指を鳴らそうと試みる。音は鳴るどころか、すかっと空気を切るだけで、僕には指ぱっちんの才能はないんだな、と思う。
でも、拍手で魔法ってやっぱりちょっとタイミングが難しいんだよねぇ……魔物退治なら射撃でなんとかなったけど……と、そこまで考えて。馬鹿みたい……と、大きな溜息を零した。
こんなの全部夢じゃないか、僕が何をした所で魔法なんて使えないし、あの世界にはもう行くことも出来ない。いや、もしかしたら行きたいと望んでいればまた夢で見ることも出来るかもしれないな。もう、今日は学校にも行きたくないし、このまま、また寝ちゃおうかな、と瞳を閉じた。
クロの足音が聞こえる。ご飯は食べ終わったのかな? お皿を片付けなきゃ、と思うのだけど、身体が上手く動かない。なんかすごくダルイ。腰痛いし。寝すぎかな?
クロが僕の身体によじ登ってくる気配に瞳を開けた。長毛種のクロの毛皮はとてももふもふ。恐らく雑種だと思うんだけど、手触りは極上なんだよね。シロさんのあの寝心地のいい毛皮にはちょっと容量が足りなさ過ぎるけど、やっぱり手触りが少し似ている。
それにしても、普段は付かず離れず、適度な距離を保っているクロが登ってくるなんて珍しい。
「ク~ロ~、ご飯だったらもうないよ。それとも僕と遊んでくれるの?」
クロは僕の身体をよじ登り、背中側へと首を突っ込む。なんだよちょっとくすぐった……い? ふと、覗き込んだ背中側、クロが何かに腕を伸ばしてちょいちょいと遊んでいるんだけど、それって……え、待って!
「尻尾!?」
慌てて飛び起き背中を見やる、その拍子にころりと転がったクロは抗議の声を上げた。けれど僕はそれどころじゃない、だって僕のお尻には尻尾が生えている。慌てて頭を触ったら、そこにも耳が生えていた。
「え……待って、嘘、耳? 尻尾? ニセモノ……?」
思わず引っ張った尻尾はとても痛くてそれが夢ではないのだと確信させた。完全に眠気も吹き飛んで、僕は洗面所に駆け込み鏡を見やる。そこにいたのは僕だけど、間違えようもない耳はぴょこんと動く。
「夢じゃ、なかった……」
夢じゃない、アレは夢じゃなかったんだ。でも、ここはどう考えても僕の世界の僕の家。なのにこんな猫耳生やしてどうすんの!? 僕、これからどうやって生きてけばいいのさ!! こっちに戻すなら戻すで元の状態で戻してくれなきゃ意味なくない!? だったらそのままなんで向こうに残してくれなかったの!? こんな理不尽ありゃしない、しかもあんな幸せの絶頂でこっちに戻すってどういう了見なのさ! もし本当に神様がいるのなら、神様の馬鹿っっっ!!! って思い切り叫びたい。
「ぅな~ん」
クロが僕の足に纏わりつく。なんだよ、ご飯はもうないって言っているのに……そんな事をふと考えた時に、僕は自分が自分の寝巻きを着ている事に気が付いた。
ここは自分の家で僕は寝起きな訳だから寝巻きでいる事になんの不思議もないんだけど、僕はこちらに戻された時には確かに服は着ていたはずなんだ。それはシリウスさんの物で僕の服ではなかったはずだ。ふと、見やれば寝巻きのズボンの尻尾の部分は誰かが鋏で切ったような感じだし、もしかしたら僕をこれに着替えさせた人間がいるのではなかろうか?
「まさか、クロ……? なんて事あるわけないよねぇ」
でも、現在この家には僕とクロ以外には誰もいない。だって母さんは出張中で……って、アレ? 確かに僕が向こうの世界に行った時、母さんは仕事で出張していたけどアレからどのくらい経ってるの? 向こうの世界で僕は1ヵ月程度過している訳だけど、こっちでは時間が止まってる? それとも動いてる? 浦島太郎みたいに向こうの1ヶ月がこっちの1日とかだったら、母さんが出張中でも不思議はないけど、もしこっちでも同じように時間が経過しているなら今日は一体何月何日だ?
「あの日……何日だったっけ? 確かまだ10月の頭だったはずだけど……」
何を見ればいい? カレンダー? いや、カレンダーなんて見たって今日の日付は分からない。我が家は新聞も取っていないから、外に出て買ってこないと無理だけど、この猫耳と尻尾で外になんか出たら、明らかに不審者だよ!!
あぁ、そうだ! テレビ!? リビングに駆け戻ってテレビを点ける、だけど時間は分かっても日付までは分からない。朝のワイドショーなんて、いつ点けたって同じような事しかやってないし、この時間はワイドショーじゃなければ再放送のドラマや時代劇ばかりで日付が分かるような番組が何もない。
「もう! どうすればいいんだよ!」
テレビのリモコンを放り投げたらどこかにぶつかったのだろう、テレビの画面がぱっと切り替わった、それは今日の番組表で、よくよく見ればそこに日付が映っている。
「11月15日……」
時間が進んでいる。僕がこの世界にいない間、この世界もちゃんと時間は進んでいたんだ。でも、だとしたらこの1ヵ月、この世界の僕は行方不明だったって事? いや、ちょっと待って、そういえばシロさんが言っていた、シリウスさんが僕の世界の僕の身体の中に入っている、って。
「うぁ、もっとちゃんと聞いとけば良かった! 今、どういう状況になってるのか全然分かんない!」
でも、シロさんの言葉が正しければ僕の体の中にはシリウスさんがいて、そう、確かお隣の同級生、橘美鈴とシリウスさんは一緒にいたはずだ!! この世界にシリウスさんがいる……だったら僕はシリウスさんに会わなければ! 会えば何かしら、この状況がどうなっているかも分かるはずだ。
でも、その当のシリウスさんは何処にいるの? まさか僕の変わりに学校に……? なんだかすごく嫌な予感しかしない。だって、シリウスさん異世界の人だよ? あっちはこっちとは全然常識も生活も違っていて、そんなシリウスさんがこっちの世界に馴染んで普通に生活していた、なんてあり得る?
いや、僕だって向こうの世界になんとか馴染んでいこうとしていたんだから出来ない事はないかもしれないけど、でもシリウスさんの職業剣士だよ? こっちの世界にはそんな職業はないし、魔物だっていないし、何もかも生活は違っていたと思う訳で、なんかすごく不安が過ぎる。
僕がぐるぐるとリビングで頭を悩ませていると、またしてもクロが足元に纏わり付いてきた。僕はそんなクロを抱きあげる。
「クロ……僕、どうなっちゃうんだろう……」
言葉を語らぬ愛猫は「ぅなん?」と一声鳴いて、僕の腕から逃げ出した。
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