番外編:橘大樹の受難③

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 目を覚ましたら、ここ最近いつもいるはずの傍らのぬくもりがいなかった。  寝惚け眼でぱたぱたと手探りするのだが、やはりいない。 「んん……ロウヤ?」  薄目を開けてぼんやり彼の姿を探すと、彼はベッドの端にちょこんと座ってこちらを見ていた。 「ふわぁぁ、そんなとこで何してんの?」 「うわぅ、おうぅ!」 「あぁ、うん、おはようさん」  俺の言葉に彼は不満気に「わうん! わうぅ!」と、何か抗議をして寄こすのだが、その姿の時には何喋ってんのか分かんねぇって分かってるだろ? 「んん? 何? ちょっと待てよ……ったく……」  俺は荷物を漁りナイフを取り出す。ホント、毎朝の事だけど好きでやってんじゃないんだからな、ちったぁ感謝しろよ。  俺がナイフを腕にあてがい引こうとした瞬間、ロウヤが動き、そのナイフを咥えて放り投げた。 「あん? 何だよ? 何してんだ?」 「わぅ! わうう!」  たぶん何かを伝えようとしているのは分かる、だがその言葉までは分からない。一体何がしたいんだ? こっちは寝起きで頭も回らないってのに、いい加減にしろよ。 「だ~か~ら、その姿の時には何言ってんのか分かんねぇんだから吠えんな、やかましい」 「わうあ! うぁん!」 「っつ! もう何なんだよ! 分かんねぇって言ってんだろ!」  思わず俺が怒鳴りつけると、ロウヤの耳がしゅんと下がった。ちゃんと元に戻れば普通に会話できるんだから、その姿で会話をしようとする意味が分からん。  ベッドからのそりと這い出て、放り投げられたナイフを拾う。ホント何なんだ…… 「ほら来いよ」 「ううう……」 「何だよ、来ないのか? いつもは止めろって言ってもべろべろ舐め回す癖に」  何を躊躇うのか、ロウヤがじとりとした瞳をこちらへと向ける。やれやれ……と思って、再び腕にナイフをあてがうと、今度は思い切りよく押し倒されナイフが何処かへ飛んで行った。 「ちょ……! お前何なんだよっ!」 「うぁう! わうう!」  首を振るようにしてロウヤが俺を抑え込む。獣人サイズではない彼だがその姿の時も大型犬程度の大きさの彼に伸し掛かられると俺も身動きが取れなくなる。ったく、本当に何がしたいんだかさっぱり分からん! 「だからそれじゃ分からないって何度も言ってるだろう! くどい!!」 「ううぅ……おんっ!」  一声鳴いてロウヤが俺の顔中を舐め回し始めた。ちょ、お前、よだれ…… 「っ、こらっ! やめって、ロウヤ……むぐっ」  鼻面を口の中へ突っ込まれ、そのまま口の中にまで舌が入り込んできたのだが、さすがに狼とディープキスはいただけない。やりたい放題にも程がある。 「んむっ、んんんっ!」  どうにか渾身の力でロウヤを払いのける。 「お前どういうつもりだ! 何がしたいのかさっぱり分かんねぇんだよ! ふざけんなよ、クソがっ!!」  べたべたになった顔を腕で拭う。ったく、朝から気分悪いな。  俺は、苛々と彼を放置したままシャワー室へと向かう。こんなべたべたな状態では顔を洗わないとやってられない。 「うぁう……」 「うるさい、ロウヤ!」 「うぐぅっ……」  服を脱ぎ捨てシャワー室に入る。寝起きはそこまで悪くはないと思っていたのだが、温いシャワーを浴びていたら、少し頭が冷えてくる。ロウヤが何を言いたかったのかは分からないのだが、最初から頭ごなしに分からないと怒りをぶつけるのも大人げなかったか、と少し反省の気持ちが湧いてきた。  分からないなら分からないなりに少しは理解しようと努めてやるべきだったか……けれど、獣人に戻りさえすれば意思の疎通は図れる訳で、だったらいつも通りに血を舐めればいいのに、ロウヤはそれを拒否したのだ。 「あぁ、もうホント分かんねぇ……」  ここまで俺達うまくやって来たと思ってたんだけどな。こういう時に恋愛感情が入り込んでくると人間関係ってのは途端に複雑になる。こういう面倒くさいの嫌いなんだけどな。 「ダイキ……」  シャワー室の向こう側、大人しいロウヤの声が聞こえた。なんとなく気恥ずかしい俺はお湯を出したまま「なんだよ?」とぶっきらぼうに返事を返す。 「俺はダイキを傷付けるのはもう嫌だ」 「そんな事言ったってしょうがねぇだろ、それしか方法が……」  そこまで言いかけて、あれ? と首を傾げた。なんで俺達普通に喋ってんだ?  シャワーを止めて部屋の外を窺う、たぶんその扉の向こう側にロウヤがいる、だけど今日俺はまだロウヤに血をやってない。  タオルを掴んで腰回りを覆い、俺は慌てて扉を開けた。 「なんでお前獣人に戻ってんの?」  そこには所在なさげにロウヤが立ち、こちらも慌てたように視線を彷徨わせた。 「それがよく分からない。だけど、戻った。もしかしたら元に戻るのには血でなくてもいいのかもしれん」 「んん?」 「これもあくまで仮定なんだが、これはダイキの体液自体に何かしらの力があるのだと俺は考える。だからもしそれが確定すれば、もうお前を傷付ける必要がなくなる」 「俺の体液……」  髪から水滴が滴って床を濡らす。それにしても俺の体液にロウヤを元に戻す力があるってどういう事なんだろうな……そんでもって血じゃない体液って……  そこまで考えてはたと気付く、さっき俺は確かにこいつとキスをしたのだ、それも口の中に舌を突っ込まれたディープキス。 「もしかして唾液で戻った?」 「恐らく」  キスで戻るってお前は呪われた王子様か? はたまた眠りのお姫様か? それで言ったらそれを元に戻している俺自身も姫か王子かって感じだけど。  キスで狼から獣人の姿に戻るのなら俺ももう痛い思いはしなくて済む、だけどその為に毎回ディープキス? そりゃ初めてってほどウブじゃないが、それにしても…… 「どうせキスするなら可愛い女の子がいい」 「つっ……分かった」  そう言うが早いかロウヤの姿が美鈴の姿に変わる。 「これでいいか?」 「お前はいいと思うのか? 美鈴は俺の妹だぞ? 常識的に考えてそれはないだろ?」 「ダイキはわがままだ!」 「それ以前の問題だろ、他にバリエーションないのかよ?」 「俺は今まで人とほとんど関わってこなかった、化けられるほど知っている人がいない」  要するにロウヤは知ってる人間にしか化けられないのか、使えるかと思いきや意外と使えない魔法だったな……なんてぼんやり思っていたら、ロウヤが「だったらこれでいいか?」と、またあの美形の姿に変化する。まぁ、これなら許容範囲かなぁ。  俺が「いいんじゃね?」と返事を返すとロウヤは少し悔しそうに「分かった」と頷いた。 「これから俺はこの姿でいる事にする、だから元に戻りそうになったらキスしてくれるな?」 「あぁ、そういう事か……」  まぁ、この顔は好みだし、痛い思いをする事がなくなるならそれでもいいか。  俺が「分かった」と頷くと、少しだけ複雑そうな表情のロウヤは「ありがとう」と、そう言った。
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