僕とシロさんの初めての夜

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僕とシロさんの初めての夜

丸い月が室内を照らす、部屋の中はしんと静まり返り、そこに響くのは規則正しい寝息だけ。その寝息の主は傍らに小さく丸くなって眠る私の婚約者だ。いや、本当にそうなのだろうか? 私の婚約者の名はシリウス、めっぽう気の強い猫科の半獣人で、私はいつもシリウスには怒られてばかりいた。 婚約者と言ってもそれは私の父親が勝手に決めた事で、シリウス本人は全く納得していなかったし、正直好かれていなかった事も自覚している。こんな風に無防備に傍らで寝入ってしまうのだって、本当に出会った当初の幼い頃だけで、シリウスはこんな寝顔を今まで私に見せてくれた事などなかったのだ。 けれど今、シリウスは……いや、シリウスと姿形は全く同じのスバルと名乗るその半獣人は、私に対してなんの警戒も見せずにすやすやと傍らで寝息を立てている。 「スバル……シリウス……」 外見は本当に全く同じなのに、中身が違うとこうも変わるのかと言うほどに、2人はまるで別人で自分は戸惑いを隠せずにいる。 シリウスに自分が嫌われている事は自覚していた、けれど、それでも婚約者の前にシリウスは私にとって庇護すべき対象で、守るべき者であったのだ。そこに恋愛感情があったのか? と言われたら、正直自分でもよく分からない。外堀から埋められて、そうだと思い込まされていたが、自分は本当にシリウスが好きだったのだろうか……? そして、今自分が抱えるこの感情は一体何処から来るものなのかと、私はどうしても困惑してしまうのだ。 シリウスだから好きなのか、スバルになったからこんなに愛しいのか、私にはもうそれがよく分からないのだ。 初めてシリウスに会った時、彼は本当に小さかった。私の腰丈に届かないほど小さな子供を抱いた父に「この子はお前の婚約者だ」と、そう告げられた時には私は耳を疑った。 そもそも獣人は子供の期間がとても短い。身体の成長は生まれてから10年ほどで終了してしまい、もうそこからは体格は大人と変わらず、あとはゆるゆると長い時間をかけて精神の成熟を果たし成長していく。 人の子供は獣人よりも成長がゆっくりだと聞いている。ただでさえ寿命が短いのに、そののんびりとした成長具合では本当にいつ滅んでもおかしくない呑気さで、そんなだからこそ『人』は中央で管理され守られているのだ。そして人の子は中央から出てくる事もないので、私は人の子を見た事が無い。 半獣人の子は、やはり人としての血が濃いので獣人よりは成長が遅いと聞いていたのだが、確かにその子供はまだ赤ん坊と言っていい程に小さかった。 だが如何せん獣人は寿命が長い、そんなに次々と子供が生まれる訳もなく、私は全ての種族において子供という存在そのものをそれまで見た事がなかったのだ。その時生まれて初めて『子供』というものを目にした私は、その子が幾つくらいの子供なのかすら分からなくて大いに動揺した。 「名前はお前が付けていい。好きに呼べ」 「え……ちょ、父さん!?」 父はそれだけを私に告げると私の腕の中にその子供を押し込むようにして、そのままその足で仕事に戻ってしまった。 腕の中の壊れそうに小さな子供は不安そうに私の服を掴む。 「お前、名前は?」 好きに付けろと言われたが、もしかしたらもう既に付いている名前もあるのかもしれないと、そう尋ねたら、小さな子供は小さな手で夜空の星を指差した。その時一際輝いて見えたのが一等星シリウス、だから彼の名は『シリウス』という名になったのだ。 父は私にシリウスを押し付けて、ろくすっぽ私の前に顔を出す事をしなかった。人である母とは死に別れて既に150年程が経っている、子供など育てた事のない私には、その小さな子供を育てる事は非常に難題だった。 けれど半分は獣人であるシリウスの成長はそこまで遅くもなく彼はすくすくと育っていった。 最初の2年程は舌足らずの喋りで「シロたん、シロたん」と、私の後を何処にでも付いて回るシリウスがそれはもう可愛くて、私は彼を溺愛した。しかし、段々と歳を重ね、周りの物事が見えてきたシリウスは、ある疑問を私に投げて寄越した。 「ねぇ、シロウはなんで他の仲間みたいに狩りに出ないの?」 その頃私達はまだ街には暮らさず、狼の獣人達が暮らす集落の端に居を構えていた。 「シロウはもう成人しているんだろ? なのになんで?」 魔物を狩る、狩りは生活の基本だ。私達の暮らす集落では当たり前に皆魔物を狩り、暮らしていた。だが、私はその頃まだ仲間の狩りに参加させてもらう事が出来ずにいたのだ。 その理由は簡単だ、身体が小さく一般的なサイズまで成長しなかった私は子供扱いされがちで、既に立派な大人だと幾ら主張しても彼等は私を仲間に入れてはくれなかった。それに加えて私のこの真っ白な体毛、それは魔物の気を引く囮になるにはうってつけだったが、それに反撃するだけの充分な力を持っていなかった私は狩りの足手纏いにしかならなかったのだ。 「せめて半獣人として生まれていたら、嫁にしてやったのにな」 群れの仲間はそう言って私を嗤った。 シリウスが、私に対して不信感を持ち始めたのは恐らくその頃からだと思う。自分は自分としてしか生きていけない、そう己を正当化してその頃の私は生きていたが、そんな頼りない私の『婚約者』として生きなければならないシリウスは、私に不満を募らせたのだと、そう思う。 「え……? 免状を取りたい?」 「うん、何でもいい。どんなものでも構わない、自分に何かしらの力があるのなら、俺はそれを手に入れたい」 シリウスはそう言って、一時あちらこちらの師と呼ばれる者達の元を訪ね歩いた。私はそんな彼に付き従い、彼のする事をただ見ていた。 体格の小さい半獣人にとって、一番身近な力と言えば「魔術」だった。魔術は幾ら身体がひ弱でも扱えさえすれば大きな力になる。世の中には番になった半獣人を伴って戦闘に参加する者もいるのだが、その半獣人達は軒並み魔術系、回復専門であったり後方支援補助要員として戦う事が多い。 けれど、一番最初に行った魔術師のもとでシリウスが言われた一言は「お前に魔術の才はない」の言葉だった。 「才が無いってどういう事?」 「そのままの意味だよ。確かにお前には類稀な魔力が内包されているが、それを具現化させる力がない。魔術を具現化させる為には精霊の手助けが必ず必要になるのだが、お前の周りには不思議と精霊の姿が見られない。精霊は好き嫌いが激しいのでな、稀にこんな事もあるのだよ。精霊に嫌われている者が無理に魔術を使えばその消耗は著しい、お前に魔術は向いていない」 その言葉を聞いたシリウスはそのまま踵を返し、彼はそこから魔術や魔法の類全てを己から遠ざけてしまった。 獣人の半獣人への扱いはそう優しいばかりのものではない、そこからシリウスは幾つかの免状を求めて回ったのだが、ほとんどの獣人は彼の才能を最初から見ることもなく、門前払いを喰らわせた。 その頃のシリウスの苛立ちはとても分かりやすく、彼は私に当り散らすようになっていた。 そもそもその時私の持っていた免状は「ヒーラー」だけで、仲間の内でもものの役にも立たないと馬鹿にされていた。私はそんな誹りも受け入れて生きていたので、そんなシリウスの苛立ちがよく分かっていなかった、そんな私に、彼は怒りを募らせていたのだ。 「俺はシロウのようには生きない! 長い人生を馬鹿にされながら生きていくなんて真っ平だ!!」 私だって馬鹿にされる事を受け入れて生きてはいても、納得してそんな待遇に甘んじていた訳ではない、そこで私は一念発起、格闘家の師に師事をして、どうにかぎりぎり、その免状を手に入れたのだ。 そして同じ頃、シリウスは半獣人でも別に構わないと言う、剣士のもとで腕を磨き剣士の免状を手に入れたのだ。シリウスには他に選択肢がなかった、けれどそんな中でも、彼はその免状を手に入れた。それは生半可な努力ではなく、私はそんなシリウスを傍らで見ていて、世の中にはこんな生き方もあるのだな……と、素直に感心していた。 「俺は中央を目指す」 そうシリウスが言ったのは、シリウスが免状を手に入れ、私もどうにか仲間の狩りに参加させてもらえるようになった矢先の事だった。やはり私は基本的には魔物を呼び出す囮役で、おいしい所はもっと体格のいい者達が根こそぎ持っていった。狩りに参加させて貰えるだけでありがたい、これでシリウスを食わせていく事もできると、私はその現状に満足していたのだが、シリウスの考えは私とは違っていた。 狼の群れは仲間意識が強い、私のような半端者は馬鹿にされる事はあっても誰かしらが面倒を見てくれて喰うに困る事はなかったのだが、それでも自分の稼ぎで食べさせてもやれないのに嫁を娶る事には仲間の反発もあった。それに関しては、それではいけないと私も思っていたので、これで晴れてシリウスを嫁にできると思っていた頃の事だ。 「何故? 何をしに中央を目指す?」 「俺はシロウの嫁にはならない、俺は俺の生きたいように生きる。その為に俺は中央を目指す」 それはまさに青天の霹靂だった。小さかったシリウスの背は私の胸元近くにまで伸びていた。そして、いつの間にかシリウスは私の保護下から勝手に飛び出していくようになったのだ。 「シリウス、1人で勝手に無茶をするな!」 「うるさい! 俺は1人で生きられる、もうお前の庇護は受けない!」 狼達の群れの中、個人で勝手な狩りをするシリウスは早々に群れの狩りから外されるようになった。狼は群れで大物の獲物を狩る。そんな仲間に入れてもらえなくなった私達は大きな魔物を狙う事ができずに、彼等が目こぼしした小さな魔物を狩って暮らすようになった。 同時に、群れに居辛くなった私達はその群れを離れ、街に身を寄せたのだ。 「なんで付いてくるんだよ!」 「お前を一人には出来ないだろう?」 私一人ならば恐らく群れに残る事はできたと思う、けれど私はシリウスを選び、彼と共に生きる道を選んだのだ。 シリウスは私の事が気に入らなかったのだと思う。私は狼の獣人の中では飛び抜けて貧弱で、そして気も弱かった。そんな私の婚約者でいなければならなかったシリウスは私から離れたくて仕方がなかったのだと思う。 街には仕事を斡旋してくれるギルドという組織がある。街に住まう獣人達は小さな獣人が多く、その多くは狩りではなく商売や製造を担って固まって暮らしている。そして、そんな街を守る為には私達のような獣人も必要で、私達はギルドに寄せられる依頼、例えば街近郊で悪さをしている魔物を狩ってくれというような依頼をこなし生計を立てる、いわゆる「雇われハンター」となった。 街近郊に出る魔物など、世界の果て近くに巣食う魔物に比べたら大して強くもない。狩った魔物は勿論自分達の好きにしていい上に依頼料も貰えるハンターという仕事は、私達の生活を大いに潤わせた。 「俺はもっと大きな魔物が狩りたい。そして剣豪の免状を手に入れるんだ」 けれど、シリウスはそんな己の生活に満足などしていなかった。彼は常に自分を高め、中央を目指すという目標を忘れる事はなかった。 「北の祠での魔物討伐に仲間を募っている、俺はこれに参加しようと思う」 そうシリウスが私に告げたのが数週間前の事だ。「お前は付いてこなくてもいい」と散々言われたが、それでも私は彼に付いて行った。 シリウスの剣の腕はその頃にはもう周りも一目置くような腕前となっていた。シリウス用に誂えられた大剣、それを背負って歩くシリウスは私よりも余程逞しく、そしてとても強かった。 仲間の足手纏いにならないよう、私はそれでも彼等に喰らいつき北の祠の最奥まで到達した、そしてそこで出会った魔物は人語を解する特別な魔物だった。 その魔物は考えていたよりずっと強く、仲間は次々に倒れていった。私は闘うよりも回復の方で忙しく、シリウスがその魔物に突っ込んで行くのを止められなかった。そして、一条の閃光が彼等の身体を覆う。多くの仲間はそれで命を落とした。 けれど、シリウスにはまだ息があり、どうにかその場からシリウスを抱え逃げ出した私は彼を連れ帰り、そして目覚めたシリウスはスバルに取って代わっていたのだ。 最初は頭を強く打ったせいだと思った。目覚めた直後の彼はまるで幼い頃のシリウスのようで、例え別人だと彼が言い張ったとしてもそんな話はある訳がないと思ったのだ。 けれど違った、彼はあまりにもシリウスとは違いすぎた。 シリウスが幼い頃、私を「シロたん」と呼んでいたように、彼は私を「シロさん」と、呼んだ。スバルは私に対して警戒する素振りも見せず、私の毛皮はもふもふで気持ちがいいと、擦り寄ってすらきたのだ。シリウスは絶対こんな事はしないし、言いもしない。私はその辺からスバルはスバルでシリウスではないのだと、はっきりと自覚するようになった。 けれど、そうは思っても、その姿形はシリウスそのもので、私はそんな彼との距離感を測れずにいる。スバルは可愛い、幼いシリウスをそのまま大きくしたような、その言動が私は可愛くて仕方がないのだ。 けれど、同時に思うのだ、この世界をよく分からないという彼にこの世界の事を教えれば、彼もまたシリウスのように私を馬鹿にし、去って行くのではないのか……? と。 彼はシリウスの剣を扱う事が出来なかった、何も出来ない半獣人、そして今の私にはある程度の甲斐性もある。彼を嫁に娶るのは今を置いて他にない。 スバルには予想外に魔術師の才能があった、半獣人仲間であるビットはスバルに『魔導師』の資格も取ればいいと、唆す。けれど、そんな事をすればスバルはきっと私から離れていってしまう、私はそれが恐ろしい。 「スバル……」 無防備に傍らで眠る彼の頬を撫でると、彼は幸せそうにほにゃんと笑った。スバルはまだ夢の中だが、そんな彼の笑顔をシリウスであった時には見た事もない。 彼はシリウスではない、けれど私は彼に惹かれている。 『それって浮気にならないの?』 ビットに言われてしまった言葉……これは浮気になるのだろうか? 現在シリウスはここにはいない、そしてシリウスは私を好いてもいなかった。 「シリウス……」 「ぅんん……シロさん? 眠れないの……?」 眠そうに瞳を擦ったスバルが、その手で彼の頬を撫でていた私の腕を撫でる。 「悪い、起したか?」 「うん、ちょっとくすぐったかった。でも、やっぱりシロさんのもふもふ気持ちがいい」 彼は先程と同じにほにゃんとした笑みを見せる。私は彼を上から覗き込み顔をぐっと近付けた。 「どしたの、シロさん?」 「スバルは私の事を好きだと言ってくれたが、それは本当に……?」 「へ……? あ、うん……ホントだよ」 これは浮気になるのだろうか? 目の前にいるのは10年共に暮らしたシリウスそのもの、けれど、シリウスだったら絶対に言わないであろう言葉を私にくれる。 「スバル、私はお前を愛してもいいだろうか……?」 「どうしたの? 何か怖い夢でも見た?」 スバルの両腕がするりと伸びて、私の頭を抱きしめるように引き寄せられた。 「怖い夢って嫌だよね。一人の時とか最悪だよ、泣いても誰も来てくれないの、そういうの、寂しいよね」 「スバル、私は……」 「僕で良ければ、愛していいよ。でも、僕の愛って結構重いよ? シロさんに愛されたら、きっと僕はシロさんを束縛すると思うけど、シロさんにはその覚悟がある?」 「覚悟……」 「きっと浮気は許せない、それがシリウスさんでも、僕は嫌だ」 シリウスか、スバルか……同じなのに同じじゃない2人のどちらかを選ぶ、だが、シリウスは私を愛さない。 「私は……スバルを選ぶ」 長く守り育てたシリウスとの決別。腕の中のスバルは「そう」と、一言呟いて瞳を閉じた。
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