僕、この世界に慣れてきました

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僕、この世界に慣れてきました

「スバル、今日も触るか……?」 そう言って僕の前に差し出された真っ白な毛に包まれたもふもふの手……もとい、前足。僕はその前足を見て、シロさんの顔を見上げ、もう一度視線を前足に戻し、黙ってこくりと頷いた。 これはここ数日の僕達の日課、僕は無言で差し出されたシロさんの前足の肉球をぷにぷにとマッサージし続ける、そしてそんな僕を、やはり無言でシロさんは眺めている。 なんで今、僕達がこんな事を日課にしているのかと言えば、別段これといって理由は無い。しいて言うなら僕が触りたかったから、それだけだ。 僕がこの世界にやって来て魔術師さんのお店を訪ねてから、もう数日が経過している。僕はあの日、魔物との遭遇の後にぶっ倒れ、意識を失った。そして目覚めたら現実世界、というか、僕の世界に戻っているかと思いきや、そんな事もなく、僕はこの不可思議な世界で最初と同じくシロさんのもふもふに包まれて目が覚めた。 「ねぇ、シロさん、なんでシロさんは起きるといつも裸なの……?」 いや、正しく言えば裸ではない、シロさんの身体はもふもふの体毛に包まれているし、そもそもその上に服を着込む事こそがおかしいのだと思わなくもないのだが、けれど実際起きている時は、シロさんは服を着込んでいるのだから、それはやはり裸なのだと思うのだ。 「寝るときは昔からこうで、単なる習慣だが?」 シロさんはシロさんで、何故そんな事を聞かれるのか分からない、という表情で首を傾げた。まぁ、いいんだけどね。他人がどういう姿で寝ていようと僕が口出しする事じゃないしね。 「僕、どうしたんだっけ……?」 魔術師さんの家から帰ってきた記憶のない僕がぼんやりとシロさんを見上げると、彼は「お前はどうやら魔力を使い切って倒れたらしい」と、そう言った。 「魔力……って?」 だって、この世界の魔法は精霊の力を借りて不思議な力を発動させている訳で、僕自身の魔力とか関係なくない? 「魔法・魔術を使うのには己の魔力を精霊に分け与え、力を貸してもらう訳だが、お前はあの時、相当高度な魔術を使ったようでな、使う魔力も並大抵の量ではなく、完全にエネルギーが切れて倒れたのだろうと、じいさんが言っていた」 へぇ、そうなんだ。自分に魔力なんてモノが備わっていたのにもビックリだけど、それが切れると倒れちゃうんだね。HP(ヒットポイント)体力ゲージが無くなって倒れちゃうのはゲームの世界の定番だけど、MP(マジックポイント)でも倒れちゃうんだ。 「じいさんに言わせればお前の魔力量は莫大だが、一度使い切ったものを回復させるのには時間がかかるのだそうだ、しばらくは魔術の使用は控えた方がいい、とじいさんはそう言っていた」 「しばらくって……?」 「まだお前の魔力の供給量がどれ程のものか分からなくてな、早ければ半年ほどで回復するだろうが、下手をしたら数年は元に戻らない可能性もあるそうだ」 「数年……」 あの時、扉の向こうには僕の世界の僕の部屋が確かに見えた。僕には世界と世界を繋ぐ事ができる力が備わっているようだけど、アレは莫大な魔力を消費するという事らしい。 目が覚めても僕は向こうの世界に帰れなかったし、下手をしたら数年はこの世界で生きていかなければいけないと、そういう事なのか…… 「シロさん、お手」 「…………は?」 「いいから、手!」 言った僕の言葉に戸惑い顔のシロさんは前足を差し出す。僕はその手を両手で掴んで、もちもちとその掌の肉球を揉みしだいた。 「スバル……これは?」 「僕、倒れた時に僕もうこのまま死ぬのかな、って思ったんだよ、そう思ったら目の前にシロさんがいて、どうせ死ぬならシロさんのこの肉球、思い切りぷにぷにしとくんだったって、そう思ったんだ……だから、今ぷにぷにしてる」 「何か理由が……?」 「? 別に何もないよ? 触りたかっただけ」 困惑顔のシロさん、それでも手を振り払ったりしないの優しいよね。 「スバルは私の肉球が好きなのか……?」 「ん? んん~? うん、好き」 だって、ぷにぷに気持ちがいいよ。もふもふした感触も好きだなぁ。 「そうか、好きか……」 そう呟いたシロさんの顔は満更でもない表情で、それから僕とシロさんのこのマッサージは僕達の日課になったのだ。 向かい合わせで差し出された前足をぷにぷにしていた僕だったのだけど「ちょっと、いいか?」とシロさんに声をかけられ、抱き上げられて膝の中に入れられた。彼の膝の中にちょこんと座って、彼のもふもふの体毛に包まれながら、思う存分肉球を揉める環境に僕は思わず「おぉ!」と、声を上げてしまう。 「スバルが嫌じゃなかったら、なんだが、この方が触りやすいかと……」 おずおずと、少し躊躇うようにシロさんはそう提案してきたのだけど、良い! これは素晴らしい! 最高の癒し空間だよ! まるで人を駄目にするもっちりクッションに包み込まれているような感覚に、僕はうっとりする。 「シロさんの毛、もふもふ~」 「お、おい、スバル」 思わずその柔らかい体毛に頬ずりした僕に、戸惑い顔のシロさん。あれ? これは駄目だった? そういえば、直接もふもふに触れられる、という事は現在シロさんは上半身裸だという事か。なんで脱いでるの……? 「スバルは私のこの体毛も、嫌ではないのか……?」 「こんなに気持ち良いもふもふ、嫌がる要素を見付けられないんだけど」 「シリウスには暑苦しい、毛が付く、近寄るな、と、散々嫌われていた……だから、毛繕いは丹念にしていたつもりだが……」 あぁ、そういえばこの家にはちょっと大きなブラシがある。髪を梳かすブラシを大きくしたような物だけど、シロさん髪の毛無いのに、と思っていたら毛繕い用だったんだ。もしかして、毎日体中ブラッシングしてるの? それでこのもふもふ? 最高かよ。 「僕もやる!」 「え?」 「だから、毛繕い、ブラッシング!」 「いや、スバルはやる必要ないだろう……?」 「やる、やりたい! シロさんだって自分の背中とか手、届かないだろ!」 「……もしかして、私の毛繕いか?」 他に何があると言うのだろう? 僕にはそんなもふもふした体毛ほとんど無いんだから、やるならシロさんのに決まってるだろ。 僕はシロさんの膝から抜け出し、僕には少し手に余る大きなブラシを両手に抱えて戻ると、やはりシロさんは困惑顔だ。 「ほら、背中」 「え? あぁ、こうか?」 くるりと背中を見せて背を丸めるシロさん、僕はそんな背中に丁寧にブラシをあてる。やはり自分では手が届かないのであろう背中の中心部は少しばかり体毛が絡まっていて、ブラシのしがいがある。 「やっぱり、シロさんの毛は綺麗だねぇ」 真っ白なシロさんの体毛は微かな灯りにもきらきらと反射していてとても綺麗だ、僕はそれにもうっとりする。 「目立って仕方がないんだがな、魔物退治に出ると大体一番最初に目を付けられる。シリウスはそれにいつも苦い顔をしていた」 あぁ、確かにそういう時には目立っちゃうのか。うん、どう頑張ってもステルス機能は付いてないもんね。でも、雪山とかだったら隠れられるかも? んん? だけど雪山で裸とか、死にに行くようなもんか。 「綺麗なのに、勿体ないね」 「本当に、そんな事を言ってくれるのはお前くらいのものだぞ」 シロさんはまた苦笑した。シロさん、この毛色で今まであんまり良い思いしてこなかったんだね。本当に勿体ない、綺麗なのに。 「なぁ、スバル。私はもっとお前の事が知りたい。お前の話をしてくれないか? お前の住んでいた世界の話、お前自身の事、私はそれに興味がある」 「僕の事……? そんなに話せるような事何もないよ? 僕なんていたって普通の男子高校生で、どこにでも居るようなありきたりな人間だもん」 「あれだけの魔力を持っているのにか?」 「僕の世界って、魔法とか魔術とかないからね。精霊だって勿論いないし、そんな魔力なんて概念も存在しないよ。それにさ、僕思うんだけど、この身体ってやっぱりシリウスさんの物だと思うんだよ、だからその魔力は僕が持っていたんじゃなくて、やっぱりシリウスさんの物なんじゃないのかな?」 シロさんの背中をブラッシングしながら僕は答える。シロさんは考え込むように顎に手を当て思案顔だ。 「確かにシリウスは、潜在魔力は素晴らしいと言われていた、だが扱えなければ意味がないわけで、その魔力は今まで無用の長物だったのだよ。そんなシリウスの魔力を扱えるスバルがこの世界にやってきた……これには何か意味がありそうな気もするのだが」 「意味……あるのかな? 僕にはよく分からないけど」 「私には『何もない』と言うのも不自然な気がするのだよ」 そんなものなのかな? 僕はシロさんが深く考えすぎなだけだと思うけど。 一通りシロさんの広い背中や気になる部分をブラッシングして満足した僕は、いそいそとシロさんの膝の中へと戻る。うん、隅から隅までふかふかだ。 僕はそのふかふかに身を沈めて、シロさんの肉球ぷにぷにに集中する。 「なんだか、スバルはやけに落ち着いたな。最初はずいぶん戸惑っているようにも見えたのに」 「そう? 僕、意外と適応力は高いのかも、昔は引越しも多かったから」 「そうなのか?」 「うん、うちの両親離婚しててさ、母さん僕の事1人で育ててくれたんだけど、転職も多くて、その度毎に引越ししてた。今は僕もある程度育ったし、1人で留守番だって出来るから自由に働いてるけど、僕が小さい頃は色々大変だったんじゃないのかな」 両親の離婚理由はよく分からない。けれど母に父の所在を聞くと「何処かで生きている」と答えるので、死んだ訳ではないはずなのだ。実際死別なら僕の兄である「北斗」も僕と一緒にいなければおかしいはずで、きっと父と兄は僕の世界のどこかで元気に暮らしているのだとそう思うのだ。 「そういえばスバルには双子の兄がいると言っていたか?」 「うん、北斗って言うんだよ。でも小学校上がる前に別れ別れになっちゃったからあんまり覚えてないんだよね……北斗は身体が弱くてよく入院しててさ、あんまり家にもいなかったからね」 顔立ちは双子なだけによく似ていたと思う、けれど僕の記憶が曖昧なのは、北斗はよく両親に連れられて何処かへ出掛ける事が多かったからだ。僕はそういう時はたいがい1人で留守番で、色々な人に預けられた。幸い僕は人見知りもしない性質(たち)で近所のおばさんだろうが、保育所の施設の人だろうが、大概の大人には気にいられたから、不自由はしなかったけど、少し悲しかったのは覚えている。 何で北斗ばかりなんだろう? なんで僕は連れて行ってもらえないんだろう? あの頃僕はそんな事ばかり考えていて、正直北斗の事はあまり好きではなかった。だから、両親が離婚して北斗が僕の前から姿を消してもそこまで悲しいとも思わなかったんだ。 だけど父と北斗が居なくなって、僕と母との2人きりの生活が始まっても僕は母を独り占めにする事は出来なかった。まぁ、当然といえば当然だけど、生きていく為には働かなければいけないし、母の女手ひとつで子供を育てるのは大変だったのだと思う。 母は基本的に僕に干渉しない。この歳になると過干渉な親に辟易する同級生の愚痴なんかを聞く機会もあるけれど、それは愛情の裏返しだと分かっている僕はそれが羨ましくて仕方がなかった。だって僕にはそんな経験がひとつもないのだ。 見上げるのはいつでも母の背中、僕はいつの間にかそんな母の背を追うこともなくなった。 僕は僕の住むあの孤独な世界があまり好きではなかった、だからゲームや読書に没頭し、引き籠もって過す事も多く、引っ込み思案な僕の出来上がり、という訳だ。 けれどその点で言うと、こっちの世界はまだ来て数日で世界の何たるかも分かっていないけど、保護者であるシロさんは僕をどこにでも連れ回してくれるし、優しいし、いつでも気にかけてくれるから、むしろこっちの方が僕、愛されてるんじゃね? なんて思い始めていたりする。 むこうの世界に帰っても、きっと楽しい事は何もない、だったらこの世界に馴染んでシロさんと暮らすのも悪くないのでは? と、僕はシロさんのもふもふの腕を抱えて肉球をぷにりながらそんな事を思うのだ。 幸いシロさんは、僕一人くらいなら食わせてやる事もできると言っているし、その言葉に甘えるのも悪くない。まぁ、もしそうなったとしたら、僕は彼の『お嫁さん』にならなければいけないのかもしれないけど、そんな生活も悪くはないかも? なんて考えている僕は少しおかしいだろうか? 「ホクト、ホクトか……それは、やはりシリウスではないのか?」 「違うだろ? だって北斗も僕と同じ世界で生きているんだよ? 在り得ないよ」 僕とシロさんはよくシリウスさんの話をする。それもそうだ、僕とシロさんを繋いでいるのはシリウスさんの存在で、僕がこうやってシリウスさんの中に入り込んだりしなければ、きっとシロさんはこんな風に僕を構ってくれなどしなかっただろう。 シリウスさんの存在があったから、今僕は彼の腕の中でぬくぬくしている、それは少しシリウスさんに申し訳ない気もするけれど、シリウスさんはシロさんの事を嫌っていたとシロさんは言うし、僕がこんな風にシロさんに甘える事をシロさんもシロさんで密かに内心喜んでいる事を僕は分かっている……そう、それを分かってやっている僕はもしかしてずるい人間だろうか? でも、お互いの利害が一致しているのだから、これはこれでフェアな関係な気もするんだよ。 「やっぱりシリウスさんの事が心配?」 「それはな」 「もしさ、僕が向こうの世界に戻って、シリウスさんが戻ってきたら、シロさんはどうする?」 「それはスバルがこの世界から居なくなるという事か?」 「うん、そうだね。だって僕は元々この世界の人間じゃないし、きっと僕がここに居るからシリウスさんは何処かに行ってしまったんだ。僕には向こうの世界とこっちの世界を繋げる事ができる力が有るみたいだし、もしかしたら、僕が向こうに帰りさえすればシリウスさんはこの世界に帰ってくるのかもしれないよ」 「…………」 言葉に窮したようなシロさんは僕の、身体を抱くようにしていた腕の力を少し強めて僕の肩に顔を埋める。もふっとした顔の毛が僕の頬に触れて少しだけくすぐったい。 「スバルは、私にスバルかシリウスかの、どちらかを選べとそう言っているのか……」 「そうは言ってないけど、その可能性は高いのかな……って。だって、僕のこの身体は僕のモノじゃないのだけは間違いないんだよ」 「私には、選べない。どちらも同じように大事なんだ」 「うん、そうだよね」 だけど僕には分かってる、シロさんは僕の事はシリウスさんの延長線上で好いてくれているだけで、まだ僕自身の全てを知って僕を好いてくれている訳じゃない。 「シロさん、僕、お腹が空いたよ。ご飯にしよう」 「あぁ、そうだな」 誤魔化すように言った僕の言葉に、シロさんも頷いてくれる。きっとシロさんも分かっているのだ、いずれシロさんは僕かシリウスさんのどちらかを選ばなければいけない時がくる、僕はそんな気がするんだ。
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