01.浅葱と浅葱

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01.浅葱と浅葱

 かつて、この京は焦土と化した。  平安の世、貴族がいて平民がいて、妖魔という存在がいた。古くは(あやかし)などと呼ばれていたらしいが、現在では妖魔という言葉で浸透している。  妖魔は様々な姿で無限に湧き出て無力な人間を脅威にさらし、この世界を滅びへと導こうとしていた。  その妖魔に果敢に立ち向かったのが、陰陽師であった。その言葉で有名すぎる安倍晴明を容易に思い浮かべることが出来るだろうが、とにかくその立場を担ったものが当時は奮闘に奮闘を重ねていた。  様々な悲劇を生み、立ち向かい、苦難を乗り越え、その時代の陰陽師は京を焼いた大妖魔と呼ばれる存在を封印した。  名を、賀茂浅葱(かものあさぎ)。16歳であったとされる彼の記録は、その後ふつりと掻き消されてしまっている。  死闘の末に倒れたのだろうと思われていたが、それから850年ほど経った頃の文献にその名が記されている。それ故に、彼自身が人間ではなく妖魔の類であったのでは、と噂されている時代もあったようだ。  彼はその後、ついに死に至ったらしい。最期は禁術を使った故の代償であったと残されている。  稀代の陰陽師。  そう言われてきた彼の一族は衰退しつつも細々と末裔を残し、現在に至っている。  ――教科書の一部に、当たり前のように書かれたそれが、一人の少年の重みとなってのしかかっていた。 「……どれだけ偉い人だったかは、知らないけど……」  ぽつり、と独り言を漏らしつつ、彼は席を立つ。  この世は何かと不公平だ、とその少年はいつも思っていた。  目立ちたくないと常々思っているのに、廊下を歩くだけでヒソヒソと囁きが聞こえてくる。 「……なぁあれ、例の土御門サマだろ」 「ちょっと、声大きいって……」  嫌でも耳に飛び込んでくる自分の苗字。  陰陽師・浅葱の末裔であるらしい土御門浅葱(つちみかどあさぎ)は、先祖と同じ名を持つ十六歳の退魔師であった。  ちなみに退魔師とは、陰陽師が永い時代に様々な変容を遂げてその名を変えたものである。  癖のある黒髪に濃い藍色の瞳。鬱陶しいと思えるほど前髪でそれを隠しつつ、さらに黒縁メガネを掛けたその姿は、普通以下であった。細身で地味で伏し目がちで声も小さく、気も小さい。とにかく彼のいいところを上げることのほうが若干の苦労を強いられてしまうと思えるほど、浅葱は質素な存在であった。 「――あんなのがAクラスとはね」 「!」  別の声が聞こえてきた。  浅葱はそこで足を止めて、ゆっくりと顔を上げる。  すると周囲にいた者たちは慌ててその場から離れ、教室へと走り去っていった。 「僕だって、好きでAにいるわけじゃない……」  小さな言葉を、そこで吐く。その響きは誰にも届くこと無く、空気に溶けた。  『Aクラス』とは、この学園内でのエリートと呼ばれる者たちが在籍する空間だ。浅葱は確かに退魔師ではあるのだが、実力からするとBないしCの位置づけであった。ちなみにBクラスは普通科、Cは補習組の集まりであるいわゆる『落ちこぼれ科』である。  周囲を森に囲まれた場所にある、狭霧(さぎり)学園。  中高一貫校であるこの学園は、一般のそれとはかなり違う特色を見せる学び舎であった。  退魔師・呪術師及び、僧侶関係者を育成する為に存在する学園だ。  およそ150年ほど前、再びこの地が脅威にさらされようとしていた。封印されていたはずの大妖魔が何らかのきっかけで復活し、人と大地を喰らい始めたのだ。  歴史に埋もれた存在であったはずの驚異に、当時の人々は対抗できなかった。故に、陰陽師が必要とされた。既に数を減らしていた彼らのうち一人が犠牲となり、それ以降は国が彼らを排出できる機構を作り上げた。それがこの狭霧学園へと至っている。  元々は木造平屋の、【狭霧舎】という名前であったらしい。  現在は最新設備を備えたコの字型の4階建て、エントランスホールとエレベーター付き。中庭と体育館、特別室がある別棟、裏手に中等部の校舎があり、広大そのもののそれである。  ちなみに、ヨーロッパには分校である【西洋校】が存在する。こちらは牧師や神父などを育成するシステムになっているようだ。 「……はぁ」  浅葱がため息を漏らした。  そして彼は、また歩みを再開させる。  次の授業はシミュレーション室での架空戦闘術。そのために別棟に向かっているのだ。  浅葱が、苦手としている授業であった。  座学であればほとんどが頭の中に入っているので何も問題はないのだが、実戦が彼にとっての何よりの足枷となっているのだ。  支給されているアイテム――主に退魔符と呼ばれる御札を使いこなすことが出来ない。昔と違ってお馴染みのマントラの言葉などを発しなくとも発動できるものが、浅葱には出来ないのだ。  彼には生まれたときから五体の式神も存在するが、一体、または二体ほどしか呼び出せた試しがなく、『宝の持ち腐れ』とよくからかわれてもいた。 「土御門」 「……は、はい」  とぼとぼと歩みを寄せていると、前方から名を呼ばれ、浅葱は顔を上げた。  視線の先にいるのは教師らしい男性である。黒髪をオールバックしにメガネをかけた、いかにも厳しそうな出で立ちであった。 「お前は今日はこちらに来なさい」 「…………」  男性はシミュレーション室とは別の方向へと指示を出す。  すると周囲にいた他の生徒から、嘲笑が湧き出た。 「また『特別レッスン』よ。早くCクラスに行っちゃえばいいのに」 「ほんと、Aの威厳を崩すことしかしないわね……」  何度も聞いてきた言葉であった。  それに対して、浅葱は怒りもせずに受け止めている。彼女たちの言う通りだと思っているからだ。  自分にはふさわしくないクラスと、Aを表すための白の制服。今時珍しいファスナー式のいわゆる『白ラン』だ。BとCの生徒は紺色のそれであり、見た目からしての格差が存在していた。 「――土御門、早く来なさい」 「はい……」  教師からの再びの声に、浅葱は俯いたままで返事をして、足を早めた。  数メートルを歩いて教師が示す教室へと入った彼は、その場でかくりとしゃがみ込み、大きなため息を吐いた。 「浅葱さま」 「……言いたいことは分かってるよ。謝らなくてもいいし、それ以上は何もいらないから、黙ってて」  しゃがみこんだ浅葱の傍で膝を折るのは、先程の教師であった。厳しい顔つきはどこへやら、今は目の前の存在を心配するだけの表情をしている。 「…………」 「…………」  沈黙が続いた。教師の男性は浅葱に黙れと言われたために、それを守っている。  表向きは教師であるこの男性、その実は浅葱の式神の一体である者であった。彼が唯一、いつでも顕現させることが出来る一体でもあった。  名前を賽貴(さいき)と言う。人の姿をしているが、実態は翼を持つ黒豹に近い獣だ。  主に忠実すぎる彼は、浅葱を甘やかす筆頭でもあった。 「……余計なことをしてしまいましたか」 「そうかもしれない。だけど、あの中にも入りたくなかったっていうのも、確かにある……だから、賽貴は悪くないよ」  しゃがみ込みから体育座りとなった浅葱は、膝に顔を突っ伏したままでそう言った。  賽貴が浅葱に声をかけ、空き教室へと招いたのは彼なりの配慮であった。  シミュレーション室では、座学より浅葱は他の生徒から心無い言葉を浴びさせられることが多い。それを危惧したものであったらしいのだが、浅葱自身はそれをあまり快く思ってはいないようであった。 「…………」 「…………」  また沈黙が訪れた。  幼い頃から知っている存在とは言え、浅葱は賽貴の事を迷惑な存在だと思っている。  式神には大きく分けて二つの種類が存在する。  術士が自然界に呼びかけそれに応じた精霊などの霊的な存在と、元妖魔だ。浅葱の場合は後者であった。  だが、彼自身には契約そのものの記憶もなければ、経験したこともない。  賽貴を含めた五体の式神は、土御門家に代々従っている存在であるためだ。ちなみに全員が人型を取ることが出来、そして元妖魔でもある。  なぜ彼らが自分に従うのかは、浅葱自身には解らなかった。  現在の土御門家には当主の跡継ぎは別にいるし、それは浅葱の従兄弟である。つまり自分には何の責務も生じないはずであるのに、界隈で名を馳せる式神が何故か五体も従っている。  実力など無い自分に式神が五体。しかも内三体とは面識がない。浅葱の能力では顕現させられないのだ。 「退魔師なんて、どうして存在するんだろう……僕は普通で良かったのに」 「…………」  素直な気持ちを吐露する主に、賽貴は何も言うことが出来なかった。  確かに『今は』理不尽ではあるのだ。どちらの立場においても。  だが、それには深い理由がある。まだ明かすことが出来ないのだが、いずれは浅葱自身が知ることであった。 「ごめん。ごめんね、賽貴。でも僕は……ただの一般人でいたかったよ」 「仰ることはわかります。お苦しみも理解しております。それでも我々は、貴方なしではいられません。酷な事を申し上げていると自覚しておりますが、お受け入れ下さい」 「…………」  退魔師と式神。  かつては深い絆で結ばれていたはずの関係性は、今では脆く細い糸でしかなく、互いの意思疎通すらままならなかった。  数秒後、校内を駆け巡るかの勢いで、警告音が鳴り響く。 『緊急事態発生。学園手前にて妖魔出現。Aクラスの者は現場に急行せよ。――繰り返す……』 「……っ」  浅葱はその放送に、体を震わせた。  彼が何よりも嫌がる事態であった。 「浅葱さま」 「……わかってるよ……っ、でも、行きたくない……!」  彼はその場から立ち上がることが出来ずに、頭を抱えて蹲った。  鳴り続ける警告音に怯えているのだ。 「行きたくない……っ」  絶対的な拒絶であった。  賽貴は浅葱にそれ以上の言葉をかける事が出来ずに、きつく瞳を閉じていた。
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