1 主人公なのに死んでいる

1/1
209人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ

1 主人公なのに死んでいる

 乙女ゲーム「天使たちのティータイム―翼のありか―」の世界に、悪役令嬢として転生した私。だから自分が、白い大きな翼を持つ王子と婚約しても、その王子が別の女性と恋に落ちても驚かなかった。  だがこれには驚き、恐怖のあまり腰を抜かした。がたがたと震える体で、後ずさろうとする。一緒にいる友人たちも真っ青な顔で立ちつくしているか、腰を抜かしているかだ。 「アイビー? うそでしょう……」  十七才のかわいらしい少女、――ゲームの主人公であるアイビーが、のぼり階段の途中で倒れている。金色の長い髪が乱れている。青白い顔が見えて、緑色の両目が開いていた。生臭いにおいが漂ってくるようだ。  階段の上の方は血で赤く染まっていて、アイビーも血まみれだ。水色のワンピースが、奇妙に広がっていた。ワンピースのすそで、片手が隠れている。彼女は動かない。死んでいる。多分、階段から落ちて死んでしまった。  けれどアイビーの体には、何枚かの白い羽がついている。アイビーは無翼の天使だ。羽なんか、つくはずはない。つまり彼女は、翼を持つ天使に殺された。  私、シエナ・ハリスンは、もの心がつくころから前世の記憶を持っていた。つまりゲームの知識があった。今は十七才だが、大人びている、冷めている、なぜそれを知っているのか? とよく言われたり聞かれたりする。  このゲームでは、キャラクターはみんな天使だ。天使なのに、ひとり、ふたり、三人と数えるが、そこはゲームならではの愛嬌だろう。ビジュアルも人間に白い翼がついただけで、空を飛んだりはできない。 (世界観は、なんちゃって中世ヨーロッパ風。定番の剣と魔法のファンタジー、……いや、魔法はないから、ただの剣?)  ドラゴンとか妖精とかモンスターとかはいない。翼があるのは王侯貴族のみで、平民は翼を持たない。翼を持つ者と持たぬ者が結婚すれば、産まれてくる子どもは翼を持たない。なので平民の母と貴族の父を持つアイビーには、翼はないのだ。  そして翼に実体はない。そこに見えていても、触れない。そのくせ白い羽が舞うのは、ゲームのご都合主義だ。さらに本人の意志で、翼を見せたり隠したりできる。なので個別ルートに入ると、驚きの展開があったりする。  私は特に何の感慨もなく、ゲームの舞台となる両家の子女だけが通う学校、――通称、花園に入学した。第三学年に上がると、ゲームの進行どおり、アイビーが編入してきた。 「アイビー・ムーアです。よろしくお願いします」  新年度の九月、教室にて、かれんな少女はほほ笑んだ。アイビーは一か月もしないうちに、四人の攻略対象である男子学生と仲よくなった。しかし、しばらくするとイーサン王子を選んで、個別ルートに入った。私はイーサンから頼まれて、婚約を解消した。  ゲームの中での私の役目は終わり、私はのんびりと過ごしていた。前世でやったゲームでも、シエナの出番は少なかった。イーサンルートでだけ登場する、彼の婚約者。しかし実際は、妹のような存在。主人公に嫌がらせするとか、破滅や没落するとかはなかった。 (なのに、アイビーが殺されるなんて)  そんな展開は、ゲームになかった。予定調和から外れた世界に、私は恐れおののいた。花園内で起きた、史上初の殺人事件だ。王城から騎士たちが捜査のためにやってきて、アイビーの遺体を取り囲んだ。彼らは花園中を歩き回り、いろいろなものを探した。 「君たちが死体の第一発見者か。くわしい話を聞きたい。王城へ来てくれ」  私と友人たちは馬車に乗せられて、城へ連れていかれた。応接テーブルのある部屋で、しばし待機するように命じられる。私たちは不安で、たがいに身を寄せ合った。暖炉では火が赤々と燃えているが、寒くて心細い。 「エマ、大丈夫よ。すぐに家に帰れるわ」  アリアが優しく、エマの肩を抱いて言う。私とアリアとエマは、ふたりがけのソファーに三人で座っている。まんなかに挟まれているのは、一番小柄なエマだ。  クラスメイトの死体というショッキングなものを見たエマは、馬車の中で吐いてしまった。今も真っ青な顔で震えている。両手でハンカチを持ち、ずっと口もとを隠している。アリアも顔色が悪いが、それよりもエマを心配する気持ちが強いのだろう。  私は黙っていた。エマに優しい言葉をかけたいが、それができるほどの余裕はなかった。さっきから手の震えが止まらない。けれどアイビーの死を、悲しんでいるわけではない。別の恐怖が私を包んでいた。 「シエナ……」  アリアが心配そうに、私の冷たい手に自分の手を重ねた。 「ありがとう」  私はこわばる顔でほほ笑んだ。友人の存在がありがたかった。私ひとりでは怖くて、耐えきれない。私とアイビーはクラスメイトだが、たがいに避け合っていた。それはアイビーと私の立場を考えると、当たり前だった。  アイビーはイーサンと恋仲になり、イーサンは婚約者の私を捨てた。アイビーは私から、イーサンを奪ったのだ。この略奪愛は、王族のスキャンダルなので、花園中で広く知られていた。  私はイーサンと仲がいい。イーサンは二才年上で、本当に兄のようだ。婚約を解消した今でも、彼は何かと私を気にかける。だからなのか、クラスメイトたちは、 「シエナがかわいそう。アイビーはひどい女だ。シエナはつらいだろう。アイビーを憎んで、無視するのは当然だ」  と私に同情している。ただ私はつらくないし、アイビーを憎んでもいない。イーサンは、ゲームの攻略対象キャラだ。アイビーのために用意された男性だ。  脇役として転生した私は、恋愛に冷めている。けれど私の友人や家族は、アイビーとイーサンに対して怒っている。私もアイビーを、憎んでいることになっている。 (さらに私は、死体の第一発見者。第一発見者があやしいのは、ミステリーの常道じゃない。私は、もっとも疑わしい容疑者だ)  だから、この部屋に軟禁されているのか。私たちは結構、長い間、閉じこめられていた。私が主犯、アリアとエマが共犯者と思われているかもしれない。自分が犯人にされることも怖いが、アリアたちが共犯者にされることも怖い。  自分と友人たちを守らなくてはならない。自分たちの無実を証明する。そのためには……。私はアリアの手を握り返した。泣いてなんかいられない。真犯人を探すのだ。  こんこんとドアがノックされる。少し待つと、三人の騎士が部屋に入ってきた。三人とも、花園で見た顔だ。全員、同じ藍色の服を着て、左胸に銀色のワシのバッジをつけている。花園で、教師たちが、 「殺人、誘拐、窃盗などの捜査を専門に行う、王立騎士団第三隊だ。切れ者が多いと聞く」  と言っていた。つまり警察のようなものだ。私は警戒した。いきなり犯人と決めつけられたら、どうしよう。嫌な予感で、心臓がばくばくなっている。しかし私を少し安心させることに、三人は帯剣していなかった。  一番、若い騎士、――二十代前半ほどの男性が、私たちにほほ笑みかけた。明るい金髪をしている。 「初めまして。第三隊所属のヒューゴ・サトクリフです」
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!