二、さくら

5/5
41人が本棚に入れています
本棚に追加
/22ページ
(あの子、なんだったんだろう……)  あれから数日の時が経っていた。  あの後、祖母の結梅(ゆうめ)にこってりと絞られた月凪は、罰として幾つかの課題を課せられ、外へでる暇を得る事ができなかった。  その為、月凪(つくな)は「さくら」と呼んだ幼女の事が気になってはいたものの、それを気にかけるゆとりが持てず、解放された頃には数日の時が経過してしまっていたのである。 「寒い……」  夕刻の祭事を終えた帰り道、空が茜色に染まる中、西の山脈から吹き抜ける風が肌を刺す事で身震いした月凪は、幼女の事を思い浮かべていた。  屈託のない笑顔でしがみ付く純粋(じゅんすい)な幼女は、この寒空でどうしているのだろうか。家族はいるのだろうか、実はこの村に捨てられたのではないだろうか、それとも……  幼女の事を思えば思うほど、月凪の心は今の空と同じように光を失い、不安でいっぱいになっていった。 『ツクナ……』  その言葉が胸に届いた時、はっとして我に帰りその気配を探すように、周りを必死に探し求めた。 「サクラ!」  暗くなりつつある為、眼を凝らしてやっと見えるだけの視界に焦りを感じ、声を荒げた所で声が届かない事を思い出していた。 (サクラ、いるの……、どこ……)  奥歯を噛み締め、心の中で声を上げ必死に気配を探し求めた月凪は、見えな事に苛立ちを覚えた。なまじ見ようとするから苛立つのだと考え、落ち着くように大きく深呼吸をして瞳をきつく閉じて、祈るように手を組んだ。  ほんの少しの時間を置いて背中に温もりを感じ、腰にちいさな手の感触を受け、その手に触れた時、月凪の目にうっすらと涙がにじんでいた。その少しの時間が月凪にとってとても長く感じた事は、語らずとも理解できた。 (サクラ、良かった、無事だったんだね)  振り返りその頭を撫でた月凪に、さくらは嬉しそうに笑ってしがみついていた。 (心配したんだよ、サクラ……)  それにさくらは理解出来ないといった様子で小首を傾げるだけだった。 『し、んぱ、い…?』  思案するような顔を浮かべ、月凪の言葉をただ復唱するように心につぶやき返すだけだった。月凪の強い思いを理解する事が出来ても、言葉の意味としてはおおよそ理解出来ないのであった。  その様子に月凪は「心配」より「安心」が心で上回っているのだろうと感じ、さくらをぎゅっと抱きしめると、自分の思いの丈を言葉では無い気持ちでさくらにぶつけた。  するとさくらは悲しそうな顔をして、涙をぼろぼろと流していた。  不安な気持ち、苦しい気持ち、悲しい気持ち、居ても立っても居られないそんな思いをぶつけられ、自分が月凪をそんな思いにさせてしまっていたことを知ったのだ。 (これが心配だよ、サクラ……)  月凪にしがみついたさくらは、その月凪の心の言葉に首を振っていやいやという仕草をしていた。「心配」があまりに辛く、その思いを初めて知ったさくらは、何も理解出来ないも不快を訴えて無く赤子と同じ気持ちであった。  さくらはまだ純粋な娘で無いもわから無いんだと、月凪は悟っていた。そして、もう一度さくらを抱きしめた。今度は、嬉しさと、安堵と、大切に思う気持ちをありったけぶつけた。 (これがありがとうだよ……)  この気持ちに対して月凪はいい言葉が思い浮かばなかったが、自分が今言いたかった言葉を素直に言った。本来なら、安心や安堵、もしくは嬉しいといった言葉が的確なのであろうが、月凪はあえてこの言葉を選んでいた。 「あり、が、とう……」  さくらはその気持ちに、初めて言葉というものを口にしていた。月凪の思いを復唱するような、それでいて今の自分の思いを伝えるように、まるで二人の思いが同じであることを、自分で確認するように言葉を紡いでいた。 「サクラ……」  月凪はそう言うとお互いの顔を見て笑いあった。  今のさくらは何も知ら無い純粋な娘で、善悪もわから無いんだと感じていた。  さくらが何者でどこから来たのかはわから無い、本人すらそれを知ら無いことも月凪は理解していた。  ただ、村の娘ではないことは確かで、さくらに家族がいるのか一人なのかわからない、家族にはぐれ村に迷い込んでしまった事も考えられた。  考えたところで知識も思考も幼い月凪に、答えが出るわけが無かった。今は再び会えたことを、分かち合うだけでいいと感じていた。  風が一層強く吹き付け、それと共に西の山脈に降り始めていた雪がうっすらと舞っていた。それは秋が終わりを迎え、冬に入る事をつたえていた。  空はすっかり暗くなり、それが寒さに拍車をかけていた。だが今の二人にはそれを感じないほどの暖かい心に満ちており、冬を迎えた季節の中で春を感じているようであった。
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!