三、まつり

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 雪は既に遠く望む山脈に残る程度で、山棲(さんせい)族が山に戻って数日が経っていた。  使い古した弓をクアイから譲ってもらい、それを森に隠してこっそりと練習を数日に一度する事が、月凪(つくな)の楽しみになっていた。  木漏れ日落ちる静寂の中で古びた弓矢に触れていると、クアイの温もりを感じられるようであった。人気の無いこの空間は気兼ねなくさくらに会うにも適しており、この束の間のひと時は月凪には心落ち着ける大切な時間だった。 「……ん、うぅん」  顔に何かが触れる感触に月凪は、寝惚け眼でその目をあけるとそこには満面の笑みのさくらがいた。 「サクラ……そっか寝ちゃったんだ……」  朝からお祈りと昼には田起こしの手伝いで、昼過ぎにようやく解放されたお休みの時間を利用してひたすら弓の練習をしていた為にその疲れで眠ってしまったのだ。 「もうすぐ夕方かぁ、早く帰らないと怒られちゃうね」  そう呟いて立ち上がった月凪に、さくらは嬉しそうに飛びついた。それに対し両手を広げて受け止めていたが、その手のひらに幾つもの豆が出来ておりそれに痛みを感じてさくらを下ろすと、少し額に冷や汗を浮かべて手を抑えていた。  昼の田起こしで桑を使い、その手で弓を引いていた為に幼い月凪の手は、皮がまだ薄く悲鳴を上げていたのだ。 「痛い……?」  そんな様子に不安を抱き、月凪の顔をしたから覗き込むと、少しやせ我慢して笑って見せた。  そんな月凪の両のひらを、さくらはそっと小さな両手でそれぞれの手に触れると、まるで[[rb:瞑想 > めいそう]]するように目を[[rb:瞑 > つむ]]った。 「サクラ?」  そんな様子に月凪は声をかけたが、返事は無くまるでそれに応えるように手のひらの痛みがすっとひいていた。そして目を開いたさくらはにこっと微笑んだ。  あれほど豆だらけで痛かった手が、綺麗な手になり全く痛みがなかった。  これには流石の月凪も一瞬戸惑ったが、すぐに顔がほころびさくらを抱きかかえていた。 「凄いよサクラ!どうやったの、なんでこんな事が出来るの!?」  まくし立てた言葉に、流石にまだ言葉を覚えたばかりのさくらは理解できず、きょとんとした。 (なんで傷が治ったの、すごいねサクラ)  その様子に落ち着き直し、心の声で問いかけた。 『んとね、さくらはツクナの事はなんでもわかるの。だからツクナの手にいたおまめさんに、おとなしくしてねっていったらね、おとなしくしてくれたの』  ツクナはそれの意味は正しく理解できなかったが、心の声で問いかけて傷を治す事がさくらには出来るのだという事はわかった。 (凄いねサクラ、でもそれが出来るのは私にだけなのかな?) 『ツクナのことはわかるけど、知らない人はサクラがわからないからだめなの』  ちょっと不安そうな顔で月凪をみたが、それに軽く首を降りさくらを抱きかかえて頬ずりすると。 「それでも凄いよサクラ!」  と喜び感嘆(かんたん)の声をあげた。ひとしきり喜びあった二人であったが、日が沈みかけている事に月凪は焦った顔になった。弓矢を木の木陰に隠すと、足早に帰路につくと、さくらはいつものように帰りの道すがらには、いつの間にか居なくなっていた。  山へと戻ったクアイは午前の狩りで捕らえた鹿の解体を、山棲の人々と一緒に行っていた。  住居に帰る前に水場で汚れを洗い流し、血抜きも済ませて持ち帰り、鹿の脚に縄を使って吊るして縛り上げる。そうする事で腰を屈める事無く、楽に作業ができるのである。  皮を丁寧に剥ぐとその皮はなめして使うために別途保存する。肉は細かく部位ごとに切り分け、内臓と骨は狩猟仲間である狼たちにわけられる。内臓も料理するといい味を出すのだが、狼たちが好むため滅多に口には入らない。  現場で血抜きをしているとはいえ、鹿は血が多いため解体中にも血があふれ出て多くの血が付いてしまうのだ。  ある程度小分けが終わったところで従兄弟であるメアンマタと共に、大人たちと離れた場所で小分けされた肉の血を洗い流す準備をしていた。 「ほら、水持ってきたよ」 「流石姉さん、いい頃合いだよ」  姉のフレラが水を持ってくると、解体した肉を洗い流す作業に入っていた。  ある程度切りがついたところで、一息ついていた。細かい解体もすすめることになる為、長丁場となり一気に行うにはきつい作業であり、休息が必要なのである。 「クアイ兄さんって、ツクナに弓を教えてるんだよね」  その言葉を聞いたクアイは、口にしていた水を盛大にぶちまけると咳き込み、フレラは眉間(みけん)にしわを寄せ「きたねぇよ!」と罵倒(ばとう)した。 「な、なんで知ってんだよ!」 「なんでって、ねぇ……」  メアンマタはそう口にするとフレラに顔を向け、その二人の様子にフレラは思いっきり笑いを噴き出していた。 「ばればれだって、こそこそ二人でしかも弓矢を持ち歩いてたら、逆に目立つっての」  その言葉にクアイは顔に手を乗せて天を仰ぐ感じでため息を付くと 「あの馬鹿、何が絶対ばれないだよ……」  とつぶやくと、はっとしたように少し表情をこわばらせるとフレラに顔を向けた。 「ま、まさか、ツクナの家族も……」 「ああ、知ってるよ。ヒナノなんてうちのとこに来て、ツクナがお世話になりますって糞真面目に言ってきたぜ。あいつは本当いちいちかたっ苦しいんだよ」  とそこまで話すと日奈乃(ヒナノ)愚痴(ぐち)をしばらくつぶやいていた。 「ツクナは大丈夫なのか、また怒られてるんじゃねぇの……」  自業自得とはいえ、あれだけ弓を嬉しそうに扱っていた月凪を思い出すと、少し可哀想な気がしていた。 「ああ、それなら大丈夫だ、特にそれで問題が起きるわけじゃないから放任するって言ってたぜ。ただ、戒めも込めて知らぬふりをして、あえてはらはらさせるんだとよ。いい性格してるぜ、流石にそれを聞いて、ツクナがちょっと可哀想になったぜ」  そう口にしたフレラは忌々しそうに顔を歪めた、日奈乃がフレラに話に来たのも、月凪には知らないふりを続けて欲しいという事を言いに来たのだそうだ。  その話にメアンマタも苦笑いし、クアイはため息まじりに「あいつやっぱ馬鹿だ……」と呟いていた。  休息を終えた三人が作業に戻る頃には、日が西に傾きつつあり一日の終わりを迎えつつあった。  夏を迎え暑い時期となっていた。  (かんごう)集落で濠には水が流れており、周りにも水田が広がっており、水の引かれた水田に風が通ることで多少の熱は抑えられるものの暑いことには変わりなかった。 「あっつい……」  それでも一日の仕事は理不尽にやって来る、朝のお祈りは建物に風が通りにくく、じっとしているだけでも暑いのだが、舞を奉納すると汗が滝のように流れ暑さが一層増すのである。  月凪は肌に張り付いた儀式用の衣装を脱ぎ、貫頭衣に着替えると心なしか涼しく感じられた気がしていた。  朝の祈祷を終え、月凪は皆の衣装を軽く水洗いして、籠に収めていた。 「おはよう、サクラ」 「ツクナ、おはよう」  洗濯の帰り道、気がつくとさくらが後ろをちょこちょことついて来ていた。  月凪はさくらが汗こそ流していたものの、涼しげな顔をしていた事を不思議に感じていた。 「暑く無いのサクラ?」 「あつい?」  月凪の言葉に理解出来無いといった表情を見せた。 (暑いっていうのはお日様の光で体があったかくなって、こうして汗がでてくるようなことだよ)  月凪は心でそう話しかけながら、暑いという状態を思い描き不快な感じをさくらの心へと伝えていた。  さくらは自分へと語りかけられた思いを読み取ると、暑いという事がわかり、その表情は不快さと同時に意味を理解したという喜びの入り混じる顔を浮かべていた。  さくらには知識だけでなく、五感といった生きとし生けるものにある感覚も持ち合わせておらず、月凪の心から伝わる感覚からそれらを徐々に得ていく事となっていた。  だがその五感がないという事は、月凪は元よりさくら自身も知らない事で、それを得る事で少しづつ人に近いものになっていくのだが、その事はだれも知る由はなかった。  月凪にはさくらが言葉の理解が難しくとも、頭にを思い浮かべた事を理解している事は、言葉で説明するより早くて楽だと感じていた。 「うん、あつい、あついー」  新しく芽生えた感覚と、理解したその言葉がさくらには嬉しく、覚えたてのその言葉を連呼していて、その様子が微笑ましく感じられ月凪は苦笑した。 「雨でも降ってくれたら気持ちいいのにね」  雲がまばらにあるも、雨が降るような天気ではなく、なんとなく雨が恋しくなりそんな事を口ずさんでいた。 「あめ?」 (空に雲がかかって、水を降らせることよ、それが雨。サクラも見たことあるんじゃ無い) 「サクラ知ってるーそれー」  それに対しはっとした顔をして嬉しそうに声をあげていた。 (洗濯物がよく乾くのはいいけど、今日も暑さがつづきそうね)  空を眩しそうに見つめながらそう呟くと、さくらが月凪の服を引っ張った。 「雨、欲しいの?」 (そうね、少し降ると気持ちいいかもね) 「そうなんだ」  そう言って、にこっと笑うとさくらはなにやら空を見つめ真剣な眼差しを向けた。 「サクラどうしたの」  その問いにもさくらは答えず、しばらくの間身動きをしなかったかと思うと空気の流れが変わっていた事に月凪が気付いていた。  空気に若干の湿り気が入り始め空に少し厚い雲がかかり始めていた。 「サクラ……これ……」  そう呟くや否や、雫が頬にあたり雨が降りはじめ、月凪は驚きを隠せずにいた。 「雨……これサクラが、やったの……」  あまりの事に状況を飲み込む事が出来なかったが、さくらの笑顔に現実であることを受け止める事となっていた。  雨は一瞬の通り雨でありすぐに降り止む事となったのだが、その出来事は人のなせる業ではなかった。 「サクラ、こんな事もできるんだ、どうしてこんな事ができるの?」  そう言うと月凪は言葉がまだ正しく伝わら無い事を忘れ、さくらを抱き上げると楽しそうに笑い声をあげ、さくらを空につきあげた。  すぐにその事を思い出した月凪は、その気持ちをさくらにめい一杯伝えていた。その後ろに輝く太陽と消えつつある虹が二人を包み込んでいるいるようであった。  さくらとしばらく抱き合っていたが、さくらを降ろすと髪に付いた雫をはらい、額に付いた雨を拭った。 (涼しい、気持ちいいよサクラー)  月凪はそう心で呟くと、籠に入った洗濯物を手に取り水をはらうと、もう一度しまい直した。それを見たさくらがちょっと表情を陰らせた。 (ま、すぐに乾くし気にしなくて大丈夫だよ)  そう語りかけて微笑んだ月凪を見たさくらは笑い返していた。 (でもあまりこれはやら無いほうがいいね)  きょとんとした顔をして首を傾げていた。 (サクラみたいな事、普通はでき無いんだよ、だからそれを知ったらみんなが怖るかもしれ無いから)  特に変わった力があるわけでは無い月凪たちも、人によっては巫女というだけで明らかに訝しみ毛嫌いするものがいる事を知っていたため、さくらの今の力はそれ以上のものであるため警戒をうながしたのである。 「わかったー」  そう言うとさくらは力強く頷いた、本当に大事な事であるかどうかをわかっているかは月凪は知る事は出来なかった。  さくらは通い合うものであるならば、対象の心を読めるために相手の確信に近いものも理解できるのであるが、月凪が知るのはもっと先の事である。  月凪は再び晴れ上がった空を見上げると、その空は雨が降る前に対して雲が明らかに減っていた事が無から有を生み出すほどの能力がさくらにあるわけでない事を物語っていた。  そんな空に爽やかな笑顔を浮かべ、さくらの手を握ると月凪は笑みを浮かべそこから二人走り去っていった。
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