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翌日、収穫祭の準備は全て整い日奈乃は無表情を貫くも、珍しく心が揺れていた。そして、神楽を舞うために高舞台へと歩む足取りにも微かに緊張の色が見て取れた。
「ヒナノ、らしく無いわ。存分にやりなさい!」
通りすがりに母、彩嶺は背中を強く叩くと、一瞬こちらに目を向けた日奈乃に強い意思を込め、口の端をあげて含みのある笑みを見せると、同じように日奈乃も口の端を上げて応えていた。
(何を迷う、私は母の代わりなのだ、ヒナノここにありを見せつければ良いのよ)
彩嶺は過去の事でここ泉濠で疎まれていた、それでも斎主として立派にやり遂げていた。日奈乃もその娘である為、疎ましく思う者がいる、それゆえ母がその目を向けられながらもやり遂げてきた事が、自分に出来るのかと迷っていた。
(らしくないわね……)
今までそんな事を意識するような事は無く、日奈乃はそんな事に惑わされるような性格では無かった。泉濠という場所がそういう思いにさせたのだが、それを意識していた事が急に馬鹿馬鹿しくなっていた。
そして、舞台に立った時もう迷いは無くなっていた。
日奈乃は舞った。
多くの人々が見ている中で、まるでそれを見せつけるように。
優しく全てを包み込むかのような優雅な動きに、見る者の目は釘付けにされ心を奪われていた。
「流石は至高の舞姫だな、アヤネさんの舞も力強く荒々しくてなかなかの舞だったが、ヒナノはむしろ慈愛に満ち、優雅なその動きは見る者に安らぎさえ与える。それでいて、何者も寄せ付け無い隙のない力強さもある、ここまで惹きつけられるとはな……」
智憲は感嘆の声を上げた。
二人舞や簡易な舞を泉濠の者は見た事があっても、日奈乃の一人舞を見るのが初めての者が多かった。二人舞は相手に合わせるため、本来の個人の能力は抑えられやすく実力は測りにくいのだ。
智憲は夏の大祭である魄濛山での舞を見ており、その時も目を奪われていたが、何度見ても目が離せ無いと感じていた。
一人舞を終えて舞台裾に降りた日奈乃は皆に称賛され、多くの人々に囲まれたその様子を、遠巻きに不満顔で見る少女がいた。
少女は、酋長の甥である邦秋の娘、咲絵であった。
「ヒナノさん、ちょっといいかしら」
人の群れから解放され、一人となった日奈乃のもとを咲絵が訪れていた。
「どうされました、サキエさん?」
「あなたの舞はいつ見ても素晴らしいわ。それは素直に称賛いたしますわ」
「ありがとうございます」
その言葉に無関心を装いながらも、それを包み隠すかのように微笑みを浮かべた日奈乃に対し、不満げに眉間に皺をよせた。
「話は他にあるのよ、あなた近いうちに斎主になると聞いたのだけれど本気なの?」
「私はまだ何も聞かされていませんわ、母さまがオキヒトさまに進言したという話は耳にしましたけど」
その言葉に少し興味を持つと、すっと目を閉じた日奈乃は少し思案するようにしながら咲絵に含みのある笑みを見せ、それに対し不満そうにため息をはいた。
「あなた、まさかそれを受ける気じゃないでしょうね」
「母さまと、お婆様から話があればお受けすることになるでしょうね」
「あなたその意味をお解りなの、一族の責任を貴方が引き受ける事になるのよ、その覚悟が貴方にはあるのかしら」
「覚悟なんて私はありませんわ、覚悟を決めるというのは私はあまり好きではありませんから」
「なっ——!」
そういって楽しげにくすっと笑った日奈乃に、対し絶句した咲絵は腕を組みながら指をとんとんとして日奈乃を少し睨んだ。
「覚悟と言うのは、他の道を模索せず突きつけられた道を甘んじて受ける行為ですよね、それは卑怯な行為ではないでしょうか。私はそう思っているのですが?」
うっすら笑みを浮かべながらも、その目は相手の心を探るような瞳で咲絵に貴方はどう思っているのと、強い意志を込めて見つめていた。
「そ、そうね、そうとも言えるわね。でも貴方、責任を突きつけられて覚悟を求められたらどうされるのかしら?」
日奈乃から感じる圧力に嫌な感じをした咲絵は視線をそらし、その言葉に対して反射的に思いついた疑問を投げ返していた。
「もちろん他の道を模索しますわ、その上でそれを受けるかを決めますね」
「そう……。わたくし貴方のそいうところ嫌いですわ、何でも知っているような、悟ったようなその物言い。それでいて大事な事ははぐらかして、無知を装う、ほんと嫌いですわ」
相変わらず不満げな表情であったが、そこには少し相手を思うように心配気な雰囲気があった。
「サキエさんは素直なのですね、私はそういう貴方が好きですよ」
「なっ——!くっ……やっぱりわたくし貴方が嫌いですわ!!」
顔を真っ赤にして日奈乃に向けて指をびしっと突き立てると、踵を返してずかずかと荒げた足取りでさり、それをこれ以上ない楽し気な気持ちを抑えるように無表情を装っていたが、口の端にはその思いが溢れるように笑みが浮かんでいた。
「おい、犯罪者の息子。よくもまぁ平然とこの場に居られるもんだ」
月凪と彩嶺が二人舞を始めしばらくした頃、いつの間にか邦秋の息子である紆匙は颯樹と優志の元へとやってきていた。
颯樹は内心めいいっぱい嫌な顔をしていたが、姉同様無表情で無関心を装うと、まるで誰も居ないように無視をして通り過ぎていた。
「おいこら、無視するんじゃねぇよ!」
肩を掴まれた颯樹はため息をつくと仕方さそうに振り向いた。
「何か用か……」
その言葉に紆匙は楽しそうに笑みを浮かべた。
「あそこで舞っているのはお前の妹だよな、今何歳なんだ?」
「八つだな」
「おいおい、北興地はそんな幼子までかり出さなきゃならんほど、人手不足なのか可哀想だなおまえの妹は、失敗して恥をかくようなことにならなければいいけどな」
そう口にして、颯樹の目の前に顔を突き出すと、不敵な笑みを浮かべていた。颯樹はそんな紆匙を睨みつけ、その目に怒りを携えていた。
「お前にツクナの何が分かる、あいつは人一倍頑張ってんだよ!人手不足だからじゃ無い、あいつを表に出しても恥ずかしくない、そう婆さんと母さんが判断したんだ見くびるな!」
怒りの中に強い思い帯びた目で、目の前にあった紆匙の額にその額を押し付け、手は怒りで震えていた。
「軽い挨拶みたいなものじゃないか、そんなに恐い顔するなよ……」
颯樹に気圧され明らかに怯んだ紆匙は、そこから離れつように少し後ずさりしていた。
「だけど、ヒナノだっけか、お前の姉に斎主を譲るらしいじゃねぇか。それはあれだろ犯罪者であるお前の母親が、斎主な事が反感の元になってるから娘に譲って誤魔化そうってんだろ?」
「くっ——」
その言葉に颯樹は絶句し、それに紆匙は楽しげに噴き出すように笑い声をあげていた。
「悪い悪い、まさか図星を指されて声も出なくなるとはな。だがなそんな事で変わると思ってるのか、犯罪者の娘だぜ何もかわらねぇよそんな小細工で——」
「いい加減にしてください、貴方がたの策略に付き合うつもりはありません」
それを制したのは優志だった。二人の間に入り込み怒りに満ちた目で紆匙を睨みつけた。
「今日は収穫祭です、あまり無粋な事をするようなら許しませんよ」
普段大人しく、側から見れば情けなくも見える人物なのだが、彼はある一定の線を越えると父親譲りの強さを引き出す事があり、今の彼のその目には強い力が備わっていた。
「ちっ、わかったよ。そんな怒らなくてもいいだろユウシ。ま、どのみちすぐにどうこうなる訳でもないしな、このぐらいにしといてやるよ」
優志の目に背筋の凍る思いをした紆匙はそう言い放つと、颯樹の横を通り過ぎるように歩みを進め
「いつかお前らの足をすくってやるよ」
そう耳元で囁くと、笑みを見せて去っていった。
「大丈夫ですか、ソウジュ?」
「ああ、すまない、気を使わせちまったな」
優志に声をかけられ、少し怒りを携えた表情で去っていく紆匙を睨みつけていた。
(あんな奴の思うようになってたまるか)
そう思いながら高舞台の妹に視線を送り、必死に頑張る姿に少し表情を緩めていた。
高舞台で舞ながら彼らの一部始終見ていた彩嶺は、心配そうな表情を浮かべていた。
二人舞を終えた二人は舞台裾に降り、ようやく緊張から解放された月凪は安堵の表情を浮かべつつ、そこにやって来た桃花と楽しそうに会話していた。
「ソウジュ、大丈夫?」
母は颯樹にそう声をかけると、颯樹は無言で軽く頷き真剣な眼差しを向けた。
「俺はあんたの息子である事を誇る、だから俺たちが誇れるあんたでいてくれ、頼む……」
「ソウジュ、母親の事をあんたなんて言うのは駄目よ。でも、ありがとう、その言葉は胸に刻んでおくわ」
息子の真剣な顔に少しはぐらかす様に彩嶺はそう言ったが、その瞳は少し潤みを含む優しさをたたえ、それに応える様に颯樹は通り抜けざまに母が掲げた手の平を強く叩いていた。
「いやいやとても素晴らしい、娘さんも幼いのによくお勤めされていましたね」
舞を終えた二人が舞台裾に降りた頃、そこより少し離れた場所にいた幸岳と智憲のもとに邦秋が嫁の瑠美南を連れてやって来ていた。
「どうもありがとうございます」
少し眉間に皺を刻みつつ一応の礼を述べた幸岳は、出された手を掴み握手をした。
「ユキタケさん、そろそろ泉濠に神事を移してもらえませんかね、あの様に幼子まで連れ出さねばならぬ様では今後もご苦労なされることでしょうし」
「何度も言いっておりますように、申す訳ないですが我が家が引き継いできたものを簡単に手放すことはできません、お引き取り願えますかな」
そう返された邦秋は少し口元に含みのある笑みを浮かべ、それに幸岳は顔を歪めた。
「こちらも何度も申しておりますが、貴方がたが泉濠にお越しいただいて神事を行って頂ければいいのです、われら泉濠の人々がお手伝いしますし。それに元々貴方がた一族が執り行っていたわけでは無いですよね、昔は皆で行っていたのをたまたま貴方がた一族に一任されたというだけで、昔のように皆で管理すれば良いと思うのですがね」
「あの北興地で開かれた神事を外に出すつもりはありません、それに[[rb:山棲 > さんせい]]の方々との共存も必要でありますし、我が家で受け継ぐことになったのも皆で管理が難しくなった事での事ですし」
その話に邦秋は噴き出すように笑い声をあげ、幸岳と智憲は不快な表情を見せた。
「いやいやすみません、あまりに旧態然とした考えだったものでつい。もう人々の流れは泉濠ですよ、その流れにそうべきでしょう。古きに学び共同での管理を取り入れ、新しき人々の集う場所で行う、そういう柔軟性も必要でしょう」
「確かに貴方のいう事にも一理あるし、我が泉濠にとっても神事が北興地にある事で周囲の村々に不信感を抱かれているのも確かだが、われらとて元は北興地の村人だ、俺は神事は泉濠に無くともいままで通りで良いと思っているがな」
邦秋の話に口を出したのは智憲だった、泉濠では邦秋のようにすべてを泉濠に移すべきだという強硬派と、神事は移さずとも共存する事で問題無いという穏健派に分かれているのである。しかし、ある一点がその均衡を崩しつつあった。
「ですがね、あの方がおられる今は不信感しかありませんよ。あの大罪を犯したアヤネさんを囲った北興地、主にあなた方に不満を持つ人は多いですよ、ましてやあの方が斎主などとなってしまわれては、不満は募る一方ですよ」
「いい加減にしてくれないかクニアキさん!アヤネとて追い詰められて仕方なく行った事だとあの時に皆が納得し、しかも我が父がそれを肩代わりする事で終わっているはずだ、いまさら蒸し返すのは辞めてもらいたい!!」
怒りに満ちた思いに声を荒げた幸岳は、掴みかかりそうになる思いを堪えるように必死にこらえていた。
「そうですね、少し言い過ぎました反省いたします。ですがね……」
そう口にすると幸岳の傍らを通り過ぎるように歩みを進めた。
「いつか足元をすくわれぬよう、お気をつけください」
そして通り過ぎざま耳元で囁くようにそう伝えると、笑いながらその場を後にしていた。
「大丈夫かユキタケ……」
「ああ、今はまだな……」
智憲がそばに歩み寄りそう口にすると、幸岳は口舌がましいといった様子をかみ殺すようにそうつげていた。
「あの、主人がご迷惑をおかけしました……あの人も悪い人では無いのです、ただなにぶん不器用なもので申し訳ありません……」
未だ苛立ちを隠せぬ二人に、瑠美南が申し訳なさそうに話しかけるその表情は、慈愛に満ちた雰囲気がありその場が和んでいた。
「ああルミナさん、クニアキの為に大変ですね。確かにあいつも泉濠の為にというのはわかるんだが、やり方に問題があるのはいなめんからな、あまり暴走し無いよう見てあげてください」
「ありがとうございます、では失礼させていただきます」
智憲は表情を緩め優しくそう告げると、瑠美南は優しい笑みを浮かべ、その場を後にし邦秋を追っていった。その様子に幸岳も少し表情を和らげていた。
奉納舞がすべて終わり、残すは男たちによる力くらべであった。
いわゆる組手による力くらべで、倒された方が負けという相撲神事である。
「トモノリ、今日はあまり加減できそうに無い、思わず本気でやってしまったらすまん、先に謝っておく」
「まぁ、そうだろうな……でもなるべく加減を頼む、お前が本気出したら誰も手におえん……」
尋常では無い雰囲気で必死に怒りを抑えようとする幸岳はそう語りながら舞台へと足を進めると、智憲は少し背筋の寒い思いをしていた。
幸岳は出てくる相手をすべてまるで赤子の手をひねるかのように、軽々とどんどんうちのめしていた。
「どんどんかかってこい!なんならみんなまとめてきてもいいんだぜ!!」
そう声を荒げたが、誰一人敵う相手はおらず意気消沈のまま、最後の一人である智憲が目の前にたった。
「お前が最後の相手か、相手にとって不足はないな」
「いやいや、本当無理だから加減をたの——」
幸岳はそう口にすると、少し後ずさりした智憲をこれでもかという勢いで地面に叩きつけていた。
「すまんな、トモノリ、おかげで気が晴れた」
「ああ、そうかよ俺は気分が悪いし、体がいてぇよ!!」
清々しい笑顔を浮かべた幸岳に智憲は不満顏で、文句をぶちまけていた。
「父さま凄い、びっくりするぐらい強いんだね見直しちゃった」
地面に突っ伏している智憲をよそ目に、満面の笑みを浮かべて抱きついてきた月凪を抱きとめた幸岳は、その体を軽々と持ち上げるとそのまま自分の頭に掲げていた。
「ああ、ツクナお前は本当に可愛いいい子だな、お前の舞も最高だったぞ」
不安だった二人舞を終え肩の荷がおりていた月凪は、年相応の娘のようにはしゃぎ、そんな姿に幸岳は心が洗われる思いに笑顔を見せていた。
いろいろな思いの渦巻く中で、唯一その流れに巻き込まれる事も無く純粋な笑顔を振りまく月凪の姿は、家族の心を和ませている事に本人は全く気づいていなかった。
こうして今年の収穫祭は無事つつがなく終焉を迎えるのであった。
帰り道一人はしゃぐ月凪は、家族にとって雨雲の中に降り注ぐ一筋の光のようであった。
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