一、つくな

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 母、彩嶺(あやね)と共に家に戻ると、朝食の準備に取り掛かることとなった。  月凪(つくな)は手慣れた手つきで火を起こし、頭と同じぐらいの大きさの(かめ)を準備して、そこに米と共に(あわ)(ひえ)を入れると、水を注いで火にかけた。  火の状態を確認するのと並行して、早朝に母が摘んで来た菜の花と、一晩水に浸し柔らかくした豆を湯通しして大きなお皿型の土器に乗せると、月凪担当の作業は終了である。 「ツクナは取り皿を準備して、後は私がやるから」  そう言いながら仕上げた(あつもの)を焚き火から下ろすと、母は月凪と場所を入れ替わる。  豆から作った(ひしお)を月凪の盛り付けた大皿の料理に少量入れ、混ぜあわせて味付けをすると、少し摘んで味見を小声で「よし」とつぶやいた。 「全然わかんない……」  それを横でじっと見つめていた月凪は、怪訝な顔を浮かべそう呟いていた。 「ツクナはいっぺんに入れすぎなのよ、少しずつ味付けして足りないと思えば追加すればいいのだから。あ、後、味付けに失敗したからって、よくわからない物を入れるのは止めようね……」  母は少し表情を引きつらせながら苦笑いを浮かべると、月凪は不満そうな表情を浮かべながら、うー、と(うな)っていた。  月凪は調味料を入れすぎる癖があり、そこで失敗して追い詰められるとどこからかもってきた謎な液体、主に作り置きの古い醤などであるが、それらを見境なく入れだし、母が気づいた時には得体の知れ無いものになってしまっているのである。 「おっ、いい匂いだな」  一通りの準備を終えた頃、朝食の臭いにつられるように父、幸岳(ゆきたけ)が起き、兄の颯樹(そうじゅ)も同じように寝床から起き上がり挨拶を交わした。 「おはようございますユキタケさん、ソウジュ、今日はツクナも手伝ってくれたのよ」 「えっ……」  母の言葉に父がそう呟き顔色を変えると、兄は明らかに怪訝そうな顔をした。  その様子を目の当たりにした月凪は、顔を真っ赤にしながら声にならない怒声をあげると、最後に「私は味付けしてないわよ!」と涙目になりながら一瞬睨みつけた。  涙が流れるのを誤魔化すように振り返ると、そこから数歩進み家の片隅で壁に向かい座り込むと、その背中には怒りとも嘆きともとれるなんとも言えぬ黒さを醸し出していた。  その様子に父はなんとも言えぬ表情を浮かべると、ばつが悪そうに狩りの準備を始め、兄はそれを横目に何食わぬ顔で父と自分の二人分の外衣の準備をしていた。  それから間もなくして朝のお祈りから帰って来た、祖母の結梅(ゆうめ)と姉の日奈乃(ひなの)は、その空間に流れている不穏な空気を感じ表情を曇らせた。 「ツクナはどうかしたのか?」  祖母がそう口にして指差した先には、部屋の片隅で両足を抱えながらぶつぶつと呟き、闇に染まるかのような雰囲気を醸し出し、混沌にも近い何かを背負った月凪がいた。 「ええ、少々……」  母はそう言うと苦笑し、それを察した祖母がため息をついた。  姉は月凪の隣に座り、なだめるように頭を撫でると、父と弟の颯樹を威嚇(いかく)するように黒く鈍い光を帯びた目で(にら)んだ。  それに父は殺意にも近い感覚を覚え、背筋に冷たいものを感じて視線をそらしたが、弟は一瞬表情を強張らせるも、あえてそれを無視するように見向きもせず素知らぬ顔で狩りの準備をたんたんと続けた。 「さぁ、あさげにしましょう、ツクナも食べますよ」  皆が席に着いた頃、母に(うなが)された月凪は、姉になだめられたことでしぶしぶ腰を上げ、姉に続くように席につく。  皆が揃そろうと神に感謝するように簡単な祝詞(のりと)を唱え、いただきますと合唱して食事に入った。 「先ほど山棲(さんせい)の方がおみえになられた、今年の転居日は天候次第じゃが明日になるそうじゃ。今日中に彼らの元に出かける事になるが、大丈夫かの?」  朝食を食べ始めた頃、祖母が父と母に目配せをしながら口を開いていた。  山棲とは祖先の頃より『山棲族《さんせいぞく」』と呼んできた先住民のことで、山を中心に生活している彼らを総じて、ここ『北興地(ほくきょうち)』に住む人々はそう呼んでいるのである。 「そうですか、準備は出来ておりますのでいつでも大丈夫です。今日中にお伺いするとなりますと、お昼には出立したほうがよろしいですね」  母は少し思案するように(あご)に手を当て小首を傾げると、祖母に視線を移し表情を和らげるようにそう応えていた。 「転居地の手伝いはアヤネ達に任せることになるな、俺らは狩りでの交流があるしな」 「ええそうですね、交流はお任せいたしますね」  父がそう言いながら先程まで手入れしていた道具に親指を向け、母は笑みを浮かべながら応え、それに父は頷き返していたい。  雪解けのこの時期に山棲族は山へ移住をするため、狩り納めとして毎年交流狩りを移住先の山で行っており北興地の中でも、交流が深い人々は家族総出で転居を手伝い、ちょっとしたお祭り感覚なのだ。  山棲族は移住後も狩りを続けるが、北興地の人々は農耕、主に稲作が始まるために次の冬までは休止となるのである。 「ツクナや、儂等が山棲の方々を助力しておる理由をまだ話しておんかったな」  少し不思議そうに話を聞いていた月凪の様子に、祖母はふと思い出したように少し眉をひそめるように語りかけると、それに応えるようにうなづき返した。 「山棲の方々は先住民でありながらも、儂等のご先祖と共存して頂けたのじゃ。ご先祖の努力もさることながら、よそ者を受け入れるという事は並大抵ではない、それ故儂等は少しでも恩返しするためにも、お役立てできるように助力を尽くさねばならぬのじゃ」  祖母は遠い目で瞳を閉じ感慨(かんがい)深げにそう口にすると、母は呟くように「そうですね」と応え、父はそれに深く頷いていた。祖母の言葉に月凪は少し小首を傾げながらも、お手伝いすることが大切であることを感じ取り頷き「はい」口を開いていた。  北興地の祖先がこの地に移り住んだのが、百年から百五十年ほど前と言われており、かつては『蓬古離(ほうこり)』と呼ばれる地に住んでいた。  蓬古離で暮らしていた頃から言葉による交流が盛んになり始め、稲作を中心に文化が急激に発達していった。  それにより安定した食糧の確保が出来るようになったものの、人口の集中と増加を招くことになってしまい、皮肉にも過剰に増えた人口が食糧難を引き起こすこととなった。  そのため食糧を中心に土地や水を巡った(いさか)いが絶えない状況となり、それに嫌気をさした人々が新たな地を求めこの地にやってきたのである。 「この時期を迎えると冬の終わりを感じますね、これで暖かくなると良いですね」  姉は両親の会話を耳にして、山棲族が山に戻る時期であることを噛み締め、春に思いをはせるように表情を和らげると、みなもそれに呼応するように表情を緩め、互いに頷きあっていた。  春から秋にかけては山で暮し、雪が降り始める頃に下山して、(ふもと)で冬を越すといった生活を彼らは先祖代々行っているのである。  かつて北興地の祖先がこの地を訪れたのが初夏の頃で、この地の肥沃(ひよく)な大地を利用し開拓を進めていく中、冬が間近に(せま)り下山した山棲族と対峙する事となった。  言語が違い、人語を解する水準が低い彼らとは、意思疎通(いしそつう)が出来ず敵対視されてしまいそれが諍いの元となってしまった。  そんな状況を少しでも改善しようと侵略者であるという自覚を持ち、根気よく交渉を続けたことで、徐々に害をなす者で無いと理解してもらうこととなり、共存の道を見出(みいだ)したのである。 「みんなお山に行くの?お山に住むのは大変じゃないの?」  家族との会話でようやく気持ちを落ち着けた月凪は、その話に子供の目線から感じた疑問を口にしていた。  何度か近くの山に行った事があるのだが、行くだけでも大変で、そこで暮らす事など想像できなかったのである。  共存生活を始める事となった山棲族は、言語力の高い北興地の人々に教わることで、今まで以上に意思疎通が出来るようになり、文化を学びそれを取り入れるようになった。  それにより平地に定着する者が増え始めるも、祖先の文化を継続する者も少なからず残り、その多くは信仰心の強い者であった。 「ここではお米を収穫し、近くの山で植物も採れるけど、山奥にしか無いものも多いし、狩りは山にいた方がしやすいのよ。それにお山に神様がいらっしゃって、少しでも近いところで恩恵を受けたいということもあるわね」  母が疑問に答えるように説明をしたが、幼い月凪には全てを理解できなかった。  だがおおよその話から、山で生活する事が山棲の人々にとって大切なのだという事は、なんとなく感じる事が出来ていた。  山棲族の人々は自然現象の全ては神の御業(みわざ)であると信じており、山に近い場所ではその恩恵を多く受けることが出来ると考えられ、その信仰は今も一部の者たちの心に根強く残り、それが山で過ごすことを続けている理由となっているのである。  山でしか得られない物は貴重品でもあり、それらを米などの食料へと交換することで農耕をせずとも生活が出来るようになったこともあり、山での暮らしに特化する事がお互い支え合うことにも繋がっているのであった。 「山の神域を山棲の方々に守ってもらっており、それも山で暮らしている理由にもなっておる。わしら巫覡(ふげき)は大変お世話になっておるのじゃ、感謝の意を忘れてはいかんぞ」  二人の話に祖母が言葉を付け加え、強調するように語尾を上げる事で感謝の意を示し、皆それに頷き、月凪も同じようにこくりと頭を下げ「はい」と口にしていた。  村の社の管理と(まつり)を代々執り行って来たのが月凪の家系で、山を神域として大切にしている山棲族とは親交が深く、お互い重要な役割を担っているのである。 「巫女になったらお世話になるのだから、ツクナも挨拶にいこうね」  にこやかに微笑む母の言葉に動揺とためらいの念を抱き、顔をこわばらせ戸惑いながらも、納得するように頷いた。  近々七歳を迎える月凪もこの春より巫女として参加する事となり、これからは山棲族の方々とは関わりが深くなるため、今年の転居には顔合わせの意味も込めて初めて参加することとなったのである。 「私、初めてだけど大丈夫かな」 「今回は挨拶とお手伝いだけだから大丈夫よ、でも無理はしちゃ駄目だからね」  不安げに口を開いた月凪に、姉は優しい笑みを浮かべ頭を撫でると、それに気持ちが和らいだようで嬉しそうな笑顔を浮かべていた。 「道中はまだ雪も残っておるだろうで、気をつけるんじゃぞ。まだ寒いゆえ汗で身体を冷さんようにな」  祖母のその言葉に一同が頷き、月凪は気を引き締めるように手に力を込めた。  食事を終え出発の準備を整えた一家は、冬山用の準備を終え、建物を出ると日が南に差し掛かる頃にその足を北へと向けていた。
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