一、つくな

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「父さま、どこまで行くの」  山棲族と出会った翌日、移住場所へと赴くべく一団が山を歩む中、月凪(つくな)は不安げな表情を浮かべながら父、幸岳(ゆきたけ)の衣服を(つか)んでいた。 「疲れたなら休むか、まだ少しあるぞ」  父の言葉に対し首を横に振ってそれを否定していたが、渓谷(けいこく)の続く不慣れな山道を歩き続けることで蓄積(ちくせき)した疲れが、大丈夫と誤魔化すように笑った表情に、色濃く表れていた。  一団が歩む道は所々に雪が残り、一方には川が流れ逆側にはそそり立つような切り立った崖が広がる。その情景を観る者には自然豊かな美しい景色であるが、そこを歩むまだ幼く不慣れな月凪には足が(すく)む思いで、それがさらなる疲労感を(あお)っていた。 「すまねぇ、ちょっとばかし足をつっちまったようだ、休ませてくれねぇかな」  一団に申し訳ないといった表情を見せた父は、足を抑えるようにしゃがみこみ、娘の頭を軽く撫でると竹筒を差し出していた。  その優しさに悔しさを(にじ)ませた顔を伏せ、受け取った月凪はそれを胸の前に両手で一度きつく握りしめると、その顔を上げ直し精一杯の笑みを見せた。  北興地(ほくきょうち)の北部、山の麓に山棲族(さんせいぞく)の冬の住居はあった。  北興地は環濠集落(かんごうしゅうらく)であるのに対し、こちらは冬の仮住まいという事もあり濠などは無く、簡単な獣除けの柵があるだけの作りである。  この仮住まいの村に月凪達がたどり着いたのは前日の陽が南より西に傾きつつある頃で、そこで顔合わせをした山棲族は、二十数人であった。  挨拶を交わした際に月凪が、この春より巫女として参加する事を(おさ)であるヌイタシロに父が説明し、それに少し恥ずかしそうに挨拶をしていた。  村が違うとはいえ冬場には何度か交流があり、会話を交わしたことがある者も少なからずいたこともあって、緊張がほぐれた月凪は視界に写った兄、颯樹(そうじゅ)を見入っていた。  普段言葉数の少ない兄が談笑する様子が珍しく、それを物珍しそうに見ていると話し相手のクアイに目が合い笑いかけられ、思わず父の後ろに隠れ軽く頭を下げていた。  クアイは山棲族の長であるヌイタシロの息子で、兄と同い年である。  今回、祖母の結梅と姉の日奈乃は朝夕の祈りがある為に村に戻り、両親と兄の三人に、初参加となる月凪の四人が参加することとなり、翌日の出発に向けてここで一泊させてもらったのであった。  月凪一家が一夜を借り、手伝いをするのは一族の長であるヌイタシロの家族とその弟家族の六人であり、他の一団は別の村人達とまた別の場所へと転居するのであった。  冬の間は全員で共同生活をしているものの、春になれば各自小さな集団で山へと向かい、それぞれ別の場所での生活をする。  それによって狩場の分散、乱獲を減らす生活の知恵である。 「お前初めてだろ、しっかり食べておいた方がいいぜ」  少し離れた場所で雪の無い場所を見つけて腰をかけ、汗をかいた体を拭いつつ父達が談笑しているのを眺めていると、その視界に突如どんぐりで出来た平焼菓子が映っていた。 「あ、ありがとう」  焼菓子を月凪に手渡したクアイは隣に座ると軽く微笑みかけ、それに対し恥ずかしそうに顔を赤らめ視線を逸らした。  クアイに何か言葉を返そうと焼菓子を口にしながら思案していると、頭を不快に触られる感覚を感じていた。 「お前が思うより疲れは溜まってるんだ、倒れられたりしたら迷惑だ、無理はするなよ……」  不快の元凶はいつの間にかやってきていた兄であり、気安く頭をぽんぽんと叩き声をかけられ、月凪はそれにむっとしてその手を払った。 「それだけ元気があれば大丈夫だな……」  兄はそう口にして皮肉そうに少し笑みを見せると父の方へと歩いて行き、月凪はその後ろ姿に対し不満顔でいーっだとつぶやいた。 「口は悪いけど、あれでも心配してんだぜ」  クアイはふたりのやりとりに表情を和らげ、月凪はますます不機嫌そうにしながらも「知ってる……」とつぶやいた。  兄の言うことも、現状自分が足を引っ張っているのも、無理をしたことで心配させているという事実も悔しかった。  そんな事を考えながら両腕の指を組み奥歯を噛み締めていると、不意に身体が宙に浮く感覚を覚え、驚きのあまり表情をこわばらせた。 「な、なにを——!」 「そんな怖い顔すんなって、もう少し甘えてもいいと思うぜ。しっかしお前軽いな、ちゃんと食ってるのか?」  不意に後ろから抱きかかえたクアイはそう言って楽しげに笑うと、思った以上に軽い月凪の身体を抱き上げたまま向き合うように振り向かせると顔をすっと寄せた。 「このまま抱きかかえてってやろうか?」  一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに状況に気づき顔を真っ赤にして狼狽(ろうばい)し始め「じ、自分で歩けるから」と言いながらじたばたともがいた。 「暴れるな、あぶねぇって!」  その事を想定していなかったクアイは思わず掴む手を滑らせてしまい、ひっくり返るように頭が逆さまになってしまった月凪は、どうする事も出来ずきつく目を閉じた。 「たっく、気をつけなクアイ、口説くならもっとうまくやりなよ、なぁツクナちゃん」  不意に身体の落下が止まり逆さまになりかけたまま目を開けると、目の前には勝気な顔をした少女が楽しげに口の端を上げ、含みのあるような笑みを浮かべていた。年の頃は、姉の日奈乃より少し上ぐらいで、クアイの姉フレラである。  そっと地面に降ろしてもらい礼を言うと、フレラは腕を組んでいいよと目配せして、面白そうにクアイに視線を移した。 「そんなんじゃないですよ姉さん、ソウジュの妹だから気になっただけですよ」  クアイは明らかに怪訝な声でフレラを見ると抗議するような顔をし、その様子を月凪は惚けた顔で見ていた。 「気になったってことはそういうことなんだろ、素直じゃ無いねぇ」  そう言って高笑いすると、クアイは小さな声で「そういう言い方するからだろ」とつぶやき、諦めたような顔でため息を吐いた。  そんな様子にくすっと笑った月凪は、視線を合わせるように屈んだフレラが視界に入り少し驚いた顔をした。 「こいつ昨日から、ソウジュにツクナちゃんのことばっか聞いてたんだぜ、よほど気に入ったんだろうね、ツクナちゃんかわいいから。でもああいう軽いのは気をつけなよ、すぐ誰にでも優しい顔するからね、甘い顔しちゃ駄目だぜ、男は甘やかすとろくなことがないからね」  そう言い残すと笑いながら去っていき、月凪とクアイはお互いの顔を見合わせると、クアイは気まずそうに視線をずらした。 「誰にでも優しいわけじゃ無いから……」  少しふてくされた顔で月凪に聞こえる程度の声でつぶやき、それを見た月凪はくすりと笑いそれにクアイはふんと鼻をならしていた。  そんな様子に月凪が吹き出すと、つられるようにクアイも笑い出し二人でひとしきり笑い合っていた。
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