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狩りを終えた男達が帰ってきたのは日が傾きつつある頃だった。
「これ、なんだ……」
「それはツクナが……」
異様な匂いでどす黒い色の料理を、怪訝そうに眉を寄せて指差した父、幸岳に母の彩嶺が苦い顔でそう口にすると、目を腫らして真っ赤にした月凪は小声で「ごめんなさい……」と口にしていた。
得体の知れ無いものになった料理の前に歩み寄ったクアイは、おもむろに手を伸ばすと、それを口に放り込んだ。
「ちょ、クアイ!」
誰ともなく何人かの声が同時に上がり、皆が心配そうにその様子を見つめ、女性陣の何人かは口を抑えていた。
「食えるようなもんじゃないだろ、すぐに吐き出せよ!」
普段無口で感情を表に出さない兄、颯樹が珍しく声を荒げたが、それにクアイは片手を前に出して制すると無言で食べ続けた。
「大丈夫かよ……」
「くそまじぃ、つか苦いし辛いしわけわかんねぇ」
そう言ったクアイの表情は歪み額には脂汗が浮かんでいた、その言葉に月凪は悔しそうに俯くと、居心地の悪さに気持ちが押しつぶされそうになり、次の瞬間その場から逃げ出すかのように踵を返そうとしたが、クアイにその手を掴まれていた。
「はなして……」
振りほどこうとするその手は力無く小さく震え、視線をそらすように後ろ向きに俯いていたが、クアイはそんな月凪の体をたぐり寄せ向き合うように体を抱き寄せた。
「もういっぱい泣いたんだろ。一生懸命作ったんだろ。それだけで十分なんだよ、もう泣くなよ……」
月凪はクアイの腕の中で何度も頷いた。
この日ほど泣いたのは記憶にないほどであり、普段は弱気な姿を見せない月凪には心理的傷としてこの日の事は心に残り、思い返すのも嫌な思い出となるのであった。
その夜は狩りで採ってきた鹿を男達が急遽捌く事となり、月凪が駄目にした料理の代わりとして用意され、思いの外豪華な食事となった。
宴会となった夕食は酒も振舞われ、甘酒を知らずに飲んだ月凪は真っ赤な顔をしてふらふらになるとそのまま眠ってしまっていた。
「ごめんなさい、かあさま……」
月凪は彩嶺の腕の中で、うっすらと瞳に涙を浮かべながら眠りに落ちていた。
「寝ながら泣いてるわこの子、今日はあんなに泣いたのにまだ泣き足りないのかしら」
彩嶺は月凪を見つめながら優しい笑みを浮かべそうつぶやくと、それに幸岳は娘の頭を撫でると優しく表情を緩めていた。
「しかしユキタケさんの末娘にはいろいろ驚かされますね、あの歳でここまで自力で来たのは始めてじゃないですか?」
ヌイタシロの弟、トイノカは月凪に視線を向けるとそう口にした。
大抵初参加が七歳ぐらいなのだが、途中で歩けなくなったり、途中で駄々をこねたりと大人に抱きかかえられる事が普通なのだ。
「ヒナノもソウジュも最後は抱きかかえてたからな、俺の子供では初だな」
日奈乃は自分をよく知り、限界を知る聡明なところが幼い頃からあるため、無理をせず早い段階で父に言葉をかけていた。颯樹は昔から無口で何も言わないのだが、本人が限界を感じた時、父にすがり表情で訴えていた。
「ツクナは自分がやりたくない事にはすぐに弱音を吐くが、本人が大事だと感じる事には絶対に引かない頑固なところがある」
二人と違い何も言わず足手纏いになるのも嫌ったが、その表情は苦悶に歪み苦しそうにしているのは大人達にはみてとれた。
「私はいつ倒れるのではないのかと、気が気ではありませんでしたよ」
彩嶺は幸岳の言葉に対し不満げに表情を歪めた。月凪は何も言わずとも顔色も悪く無理をしているのがわかり、それを見た彩嶺が幸岳に救いを求めたが幸岳は月凪を見て無言で首を横に振るだけだった。
「あいつの性格を考えたら仕方あるまい、あれですら不満そうだったぞ」
娘を気遣い休息を入れたたがそれを月凪も気づいており、お互いに気づかないふりをしていた様であるが、わかり易すぎていたようだ。
「しかし、あの料理にも驚いたなあれはあれで凄いぞ」
ヌイタシロのその言葉に幸岳と彩嶺はお互いに顔を見合せると、苦笑いを浮かべながらなんとも言えぬ表情を浮かべていた。
「あの子は謎が多いもので、器用なのに時折ありえない事をするのですよ。それが良い方にも悪い方にも作用するんです、本人はいたって真面目にやってるのですがね」
「あれは典型的な悪い方だな、あれだけは勘弁して欲しい……」
彩嶺そう言うとヌイタシロと弟夫婦を含めた五人は、お互いの顔を見合い笑い合っていた。
「しかし俺たちはいつまでこの生活が出来るかわからんな、多くの者が今は山を降りている」
「俺たちの先祖がここで生活をし始めた影響か」
話が落ち着いたところで、何とは無しにヌイタシロは口を開きそれに幸岳が難しい表情で応えていた。
「そうなるが、その事で生活が安定して余裕も出来、それは良い事だと思う、山で暮らすのは楽ではないからな。だが先祖の文化が薄れていくのは悲しい事だ……」
かつての山棲族はまともな農耕も無く栽培技術も脆弱で、植物採集では乱獲してしまうことも多くあり、生活圏そのものや食料確保も難しかったようで、主に保存食が必要となる冬支度にも苦労していたそうだ。
それが北興地の人々と交流するようになり、一定の食糧を得られるようになった事で以前より安定した生活が送れるようになっており、山棲族にとってはありがたい事だった。
だが全員がそれをよしとしていたわけでは無く、ほんの僅かではあるが共存を拒む者もおり、その者達はこの地を去っており今は行方も知れないようである。
「こうして古いものは流れに飲み込まれ、知らぬ間に新しいものと共存していくのだろうな」
ヌイタシロは感慨深げに星空を見上げるとそう呟いた。
「俺たちも新しい力に委ねることになるだろうな、こいつらが新しい世界を広げてくれるかもしれん」
「それがより良い世界であればよいですね」
そう話し眠っている子供達を見つめた幸岳と彩嶺は、若干の不安を感じながらも期待を胸に膨らませるように暖かい笑みを浮かべた。
空に無限に広がる星達は、人々の無限の可能性を彷彿させているようで、その中でも一際大きく輝く月は星々の中核をなしているようであり、今後の未来が明るいものになるようなそんな気にさせてくれるようであった。
月凪にとっては苦痛な一日も、その言動は周りの者に心の癒しを与えていた事を、本人は知る由もなかった。
翌日北興地へと戻るとき、月凪はクアイに
「私料理出来るように頑張るから、美味しくできたら食べてくれる……」
と口にすると、クアイは満面の笑みで強く頷き、それに凪月は笑顔を返していた。
フレラはクアイにのしかかるように肩に腕を回すと、茶化すように顔を軽く小突き、山棲達はこぞってクアイを冷かしそれにクアイは不満げな表情を浮かべた。
その時月凪の言葉に父と兄は顔を引きつらせていたが、母は少し感動するように笑顔を浮かべた。
澄み渡り突き抜けるような空の色は、ここにいる全員の今日という新たな門出を祝っているかのようであった。
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