二、さくら

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 姉の日奈乃(ひなの)と共に日の出前に社殿(しゃでん)へとたどり着くと、建物の階段を登り中へ入っていた。中では既に着替え終えた祖母の結梅(ゆうめ)と母、彩嶺(あやね)により儀式の準備を進められていた。  貴重な動物性油を利用した、結灯台(けつとうだい)と呼ばれる灯が祭事室(さいじしつ)の四隅に置かれ、まだ日の光が無く暗い部屋を申し訳程度に照らしていた。 「お婆様、ツクナの準備をしてまいります」  その言葉に祖母は一瞬目配せをして軽く頷くと、すぐに準備に戻っていた。  姉が結灯台の一つを取り、それを持って隣の小部屋へ移動すると、月凪(つくな)はこの日の為に新たに仕立てた儀式用の衣装を、姉に着付けさせてもらった。 「うん、よく似合ってるわよツクナ」  同じように儀式用の衣装を身につけた姉に、優しく笑顔を向けられそう言われると、照れ臭そうに微笑み返した。  略式であるとはいえ儀式用の衣装は、白く薄い絹製で少し袖の長めな上着に、朱の腰巻という神聖なものである。 「じゃ、行きましょうか」  姉に促され社殿の祭事室へと移動すると、先ほどの結灯台を元の位置に戻し、月凪と共に中央へと足をを進めた。 「練習した通り、落ち着いて行えば良いからね」 「はい」  姉は耳元で(ささ)やきそれに答えた月凪の声は少し震え、うっすら照らされたその顔は緊張した面持ちであった。  すでに準備を終えた祖母と母が部屋の端に正座しており、祭事室の中は少し張り詰めたような空気が流れていた。  月凪と姉は祭壇前まで歩み寄ると、そこに正座し深々と頭を下げた。 「では始めるか」  祖母のその言葉を合図に姉と月凪は立ち上がり、儀式にはいると祖母と母は傍でその様子を見守った。  神事は巫女による舞から始まる。  日々行う朝夕の祭りである為、簡素な舞ではあるが神聖な物であることに変わりない。  姉が先行するように舞い、それに合わせるように月凪がそれに続くことで、儀式の始まりを告げていた。  慣れた手つきで行う姉にたどたどしく続く月凪は、緊張のあまり失敗しないようにと不安を感じながらも、なんとか冷静さを保とうと頑張る姿は初々しく、普段実年齢より大人びて見える月凪も今は幼い幼女そのものであった。  それを見つめる祖母と母には、その様子は微笑ましいものであったに違い無い。  舞を終え祖母と母の傍に座ると、入れ替わるように祖母が祭壇前に歩み寄り、お供え物を運び祝詞をあげ、それを終えると儀式は終了である。  一通り儀式を終え、今まで緊張で強張っていた月凪の顔が緩み、安堵(あんど)の表情を見せながら心を落ち着けるように深呼吸をした。 「ヒナノの舞は相変わらず見惚(みほ)れてしまうの、すでにわしらも及ばぬな」 「ありがとうございます、お祖母様」 祖母は労いの言葉をかけ、姉は表情を和らげるように微笑みながら軽く頭を下げると、片付けへと入った。 「ツクナや、ここに座りなさい」  儀式を終え片付けに入ろうとした月凪は呼び止められ、祖母と対峙(たいじ)する様に座らされると狼狽(ろうばい)した。何か失敗でもしてしまったのかとおろおろと所在(しょざい)無さげにする様子に、祖母はその表情を(くず)していた。 「そう慌てずともよい、少し神事とその由来を話しておこうと思っただけじゃ」 「そ、そうなのですか、何か失敗でもしたのかと思いました……」  ほっと胸をなでおろした月凪に祖母は優しく微笑みかけると話を続け、その傍らでは母と姉が片付けを進めていた。 「長くなるゆえ、ゆっくり話そうではないか。お祭りしておる神様が龍神様であられるのは知っておるな」  その言葉にこくりと頷くと、祖母は語りかけるように話を始めた。 「我らのご先祖様達はこの地に来る前は海に近い、蓬古離(ほうこり)と呼ばれる平野部で生活しており、その頃は太陽と海の神に感謝し、それを信仰しておった」  この地で山棲(さんせい)族との共存生活が始まり本格的な交流を進めていくなか、自分達と彼らの間で、信仰の違いがあることを認識することとなっていた。  『蓬古離』で生活をしていた頃は、太陽と海の恵みに感謝し、そこに神が宿ると考えそれを信仰していた。しかしここには海はなく、山と川を中心とした生活が基本となり、それまでとは環境が変化したことで彼らの心境にも微かに、信仰対象への違和感を抱きつつあった。 「だがこの地で暮らし始め、山棲の方々と交流する中で北に一際(ひときわ)高く(そび)える山、魄濛山(はくもうさん)神域(しんいき)とし、それを信仰しておることを教わった。我らのご先祖様達もそれを受け入れることとで、よりこの地に合った信仰へと変えていく事になったのじゃ」  『魄濛山』とは山棲族と共に向かった住居のある山の名である。  山棲族は魄濛山を御神体(ごしんたい)とし、水が生み出す自然の力に恩恵(おんけい)を感じ、その恵みに感謝する事を信仰心としていることを教えられ、北興地(ほくきょうち)の祖先もそこに共感を感じることとなったのである。  山棲族の信仰についての説明と、代々受け継がれし物の話を聞き、北興地の人々も、言葉こそなかったものの大切に引き継がれてきた事を知り、魄濛山を御神体とした信仰を受け入れる事としたのであった。 「しかし、同じように感謝の対象である水には明確な信仰が無いうえに、山を御神体としていながらも、山棲族には偶像信仰という概念がなかった。その事に御先祖様たちは水の神様であられる龍神様を信仰し、魄濛山に住まう神であると提示すると、それを山棲の方々も受け入れてくれたのだそうじゃ」  魄濛山を御神体として(あが)めているも、山棲の人々は儀式用の建造物などは持たず、各自が祈祷(きとう)を行ったり、規則性無く時折集団祈祷をするだけであった。それを知った北興地の人々は、規則性と統一性をもつために、龍神様を祀るための祠を魄濛山に創建(そうけん)することを提案(ていあん)したが、山棲族は聖域に手を加える事に反対した。  しかし北興地の人々は(ほこら)を立てる事が神への感謝を示し、恩恵を受けるために必要である事を譲らず、その事を熱心に伝える事で理解を得ると共に、山棲族が祠を守る事で、祠を作る事に協力と承諾を得る事とが出来たのであった。  里での神事は北興地の人々に委ねられ、社殿を村に建てることでそれを守り受け継ぐことを、代々執り行ってきたのが巫覡(ふげき)と呼ばれる人々であった。 「魄濛山の中腹に建てられた龍神様の祠は、山棲の方々に守っていただいており、ヌイタシロ殿が山で生活しておられるのはそれも理由の一つなのじゃ。祭事を受け持っておる儂らにとっては、大変お世話になっておる方々じゃ、感謝の思いを忘れぬようにな」  かつては祭りに男性が勤めていた事もあったが、男性は村を守る為に力仕事で働く事が多いため、祭りに参加することが難しい事が多かった。そのため女性が行う事が主になっていき、その中でも自然の力をより感じられる者が、巫女として選出され神への代行者とされていったのである。  奉納(ほうのう)の舞も元々は人々が喜びや(いきどお)りといったものを感じた時に、自然と行う動作が元となり、喜びや敬いを表す舞として定着した。  それに優雅(ゆうが)さを表す女性らしい動きが加わり、今のようになっていく中で、徐々に組織的になっていき、ふさわしいとされる代表者が、限られた一族の中で選ばれるようになっていった。  その中でも月凪の家系は多く選出される一族であったために、祭事をとりまとめることを任されるようになり、いつしか神事の全てを()り行うこととなったのであった。 「我らが日々こうして平和に過ごせておるのも、龍神様のおかげじゃ、その事に感謝し祈りを(ささ)げるのがわしら巫覡の務めじゃ。代々伝えられてきた事を我々も伝えて行かねばならぬの」  祖母の話が終わりを告げた頃、片付けを終えた母と姉もいつしか横に座っていた。 「今日はここまでじゃ、これからは毎日お勤めしてもらう事になるからの」 「はい」  貫頭衣(かんとうい)に着替え外に出た頃にはすっかり空は明るくなり、今日という一日の始まりを告げていた。 「あの山が御神体ですか……」 「大きな山だよね、私たちがとても小さな存在だと実感してしまうわ」  そう呟きながら魄濛山を見上げていた月凪の隣に立ち、姉はそう話しかけると表情を緩め同じように見上げた。 「あの山が私たちの生命の源で、生きとし生けるもの全てが、恵みを頂いているのですよ」  二人の横に立ちそう語った母の言葉を耳にした月凪は、山棲族の手伝いをした時に見た規模の大きさに、圧倒されていたことを思い出していた。  そして、先ほど祖母の話を聞いた事でより一層その思いは強くなり、今まで以上に魄濛山が神聖な山である感覚を覚えていた。  魄濛山を見つめ続ける月凪の顔には、畏怖と敬いの気持ちが入り混じるような表情を見せながらも、好奇心に満ちたその瞳を輝かせていた。
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