間 三隅美実と主様

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間 三隅美実と主様

 三隅美実は、灰色の塀が続く道に、一人ぽつん、と立っていた。  他には誰もいない世界。風の音さえしない。  美実はそこで、何も言わず、ただじっと立っていた。  ちらり、と時間を確認するように腕時計に目を落としたとき、ざわり、と空気が動いた。今までちっとも吹いていなかった、風が吹く。  美実は顔をあげると、いつの間にか、彼女の目の前には大きな何かが現れた。大きくて、巨大な、見上げても見上げきれないぐらい巨大な、何か。 『やあ、蛇の姫』  影のようなそれが言った。 「お久しぶりです、主様」  美実はその姿に動じることなく、恭しく頭を下げる。 「それで主様、ご依頼の件ですが」 『ああ』 「あの学校にある入り口はひとまず閉じました。怪異も順番に、見つけ次第祓っていますが、如何せん、数が多くて……」 『時間がかかりそうか』 「はい、申し訳ありません。それに、なにか他に一つ。あの入り口から入ったものがいるはずなんですが」 『それが見つからない』 「ええ」  美実が少し首を傾げて、黒い髪が揺れた。 「他のと違ってどうも人に影響を及ぼさないようでしっぽが掴めなくて。なので、申し訳ありませんが、もう少しかかってしまいます」  一拍の間。 『そうか、わかった』  影が頷いた。 『仕方あるまい。きっちり頼む』 「はい、できるだけはやく」  言って美実が再び、丁寧に、恭しく、頭をさげる。 『時に、蛇の姫』  影がさきほどよりもほんの少しだけ、軽い口調で言った。 『こちらで暮らすつもりはないのかね。人の世は生きにくかろう』  ぴくり、と美実の肩が揺れる。その長い睫毛がゆっくりと伏せられる。 「それでも」  美実は眼を開けると、 「それでも、わたしは、まだ生咲の人たちを裏切れませんから」  さきほどよりも弱い、小さい声でこたえる。 『そうか……』 「はい」 『まあ、しようがないな』 「お誘いはとても光栄に思います」 『また口ばかり』 「そんなことありません」  ほんの少し美実の唇の端があがる。 「一週間後にまた、定期連絡に来ます。それよりも前に片がついたらその時に」 『ああ、待っている。……ところで、蛇の姫』 「はい」 『学生服を着た、頼りなさそうな、平均的な少年はご存知かな?』 「……は?」  美実は一瞬で怪訝そうな顔をした。 『どうやらこちらに迷い込んだみたいなのだが』  言いながら影がなにやら動き、直後、空中に映像が浮かび上がる。 「……ああ」  美実の口から、溜息のような、苛立ちまじりの声が漏れた。  うつっていたのは石居透史の姿。灰色の塀の間を、なんだか泣きそうな顔で歩いている。 「申し訳ありません。クラスメイトです」  美実が忌々しそうに呟くと、影がくつくつと楽しそうに笑う。 「……何か?」  それを訝しく思いながら問うと、 『よもや、蛇の姫の口から、クラスメイトなどという言葉が聞けるとはなぁ』 「……これでも一応、学生なので」 『ああ、そうだったな』  それでも影は笑うのをやめない。 「……主様」 『ああ、すまないすまない』  美実の僅かに嫌そうな言い方に、影は口だけは謝った。このままここにいては、さらにからかわれるだけだろう。聞き遂げられそうもない要望を諦めると、 「彼は連れて帰ります。申し訳ありません」  話をまとめにかかる。 『ああ、そうしてくれ。ではな』  まだくつくつ笑ったまま影はそういい、その輪郭が揺らぐ。  次の瞬間には、現れた時と同じぐらい突然に影がその姿を消していた。  まだ耳に残る笑い声と、これからやることを思い、美実は憂鬱感いっぱいにため息をつくと、迷子となっているはずの石居透史の方へと足を向けた。
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