おまけ~中津川の憂鬱~

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なんで俺は、こんなとこで車中泊せにゃならんのかな。 はあ、と大きなため息をついて、中津川はハンドルに突っ伏した。 事の始まりは、彼の護衛対象である「坊っちゃん」が、連休は北海道旅行に行く、と言い出したところからだ。 北海道いいっすね、と内心中津川は喜んだ。 もちろん、旅行にだって、護衛である彼は付き従うことになるからだ。 坊っちゃんはおおらかで優しい。 兄である若頭に仕える先輩方は、いつ彼の逆鱗に触れるかといつも緊張感溢れる毎日を送っているらしい。 若頭はものすごくできる人だけれども、部下にもとても厳しい。 彼の逆鱗に触れても許されるのは、中津川のような下っ端には見ることも叶わない、溺愛している恋人ただ一人だけなのだという。 そんな人に仕えることにならなくてよかった、と常々中津川は思っている。 高原への憧れ、ということだけでなく、坊っちゃんのためになら命を投げ出して守りたいとさえ思える程度には、中津川はもう「坊っちゃん」に入れ込んでいた。 彼の坊っちゃんは、旅行に行っても、大抵は中津川にも同レベルのいい部屋を取ってくれるし、一緒に観光を楽しむことも許してくれる。 しかし、今回は違ったのだ。 まず、ツーリング旅行なのだ、と言われて、中津川はええっ?!と焦った。 坊っちゃんは、彼が長年想いを寄せている相手がバイク好きなのに影響されて、これまでもよくツーリングに出かけていた。 その都度、車で追いかけるのはなかなか骨のいる仕事だったのだが。 北海道までバイクで行くのだ、とウキウキと言われて、中津川は少し気が重くなった。 坊っちゃんがバイクで行くということは、中津川は車でそれを追いかけて行かなくてはならないのだ。 当たり前だけど、護衛なのに先に飛行機で、というわけにはいかない。 更には、友達の家に泊まる、と言われたのだ。 悪ぃな、お前たちには近くのホテル取ってやるから。 そう言われたけれども、護衛が離れて泊まるんじゃ仕事にならない。 というわけで、彼は、坊っちゃんが泊めて貰っている友達のマンションの前で、車中泊する羽目になっているのだ。 坊っちゃんは高校生ぐらいから、周囲の人間に、自分に護衛がついていることを知られるのを嫌がるようになったので、今回もなるべく周りには気づかれないようにしつつ護衛するのが中津川の使命だ。 ガチャ、と音がして、助手席のドアが開いた。 相棒が買い出しから戻ってきたのだ。 相棒の迫田(さこた)は、少し前まで護衛ではなく運転手だった。 しかし、坊っちゃんがバイクを乗り回すようになって、特に大学に入って一人暮らしを始めてからは、車とか乗ってらんねぇよ、と車に乗らなくなってからは、中津川とコンビを組んで護衛を勤めている。 運転手だっただけあって、運転は中津川よりずっと上手い。 だから、ツーリングのお供のときはほとんど迫田が運転してくれる。 中津川はほぼ、迫田が疲れたときの交替要員だ。 更に迫田は、武術も中津川よりずっと強い。 宇賀神会の中で最も強いのは、まさかの若頭そのひとだけれども、ナンバーツーが高原、そしてその次が迫田なのだ。 「おにぎり、梅と昆布でよかったか?」 迫田に訊かれ、中津川は頷いた。 中津川が実は渋いおにぎりの具を好むことを、迫田にはとっくに知られている。 もう6年、コンビを組んで坊っちゃんの護衛に当たっているのだ。 「スンマセン、先輩に買いに行かせて」 「お前はちゃんと見張ってたんだろう?仕事してたんだ、謝ることはない」 迫田はガチガチのいかにも極道、という見た目だ。 角刈りの頭に、厳つい顔つき。 ゴリゴリの分厚い胸板を包むブラックスーツと派手な柄シャツは、どこからどう見てもその筋の男で、威圧感に満ち溢れている。 しかし、その怖い見た目に反して、実は中津川にはかなり甘い。 先輩なのに「俺のほうが運転上手いからな」と運転はほとんどしてくれるし、お前は見張ってろ、と言って、今みたいに買い出しにも行ってくれる。 「食ったら寝てろ。疲れただろ?」 そう言って、明け方まで不寝番を引き受けてもくれるのだ。 大抵、翌日もほとんど運転は迫田がしてくれることになるのに。
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