交錯

5/6
前へ
/25ページ
次へ
リビングのドアをそっと開ける。 寒冷地だというのに、窓が大きい。 窓の外に広がる札幌の夜景と、月明かりに照らされる部屋の真ん中に置かれたグランドピアノが、やたらに幻想的だ。 そっとその前に座って、鍵盤蓋を開く。 ピアノを習っていたのは中学までだ。 無駄な後継者教育とやらの一貫でやらされていたことの中では、珍しく割と好きだったことの一つだ。 実家にいるときは、習うのを止めてからも気分転換に時折弾いていたが、当然一人暮らしを始めてからは全然触っていない。 軽く指慣らしのメロディを奏でて、それから。 聖が好きだと言っていた有名バンドの曲を弾いてみる。 そのうち弾いてみせようと思って、実家にいるとき密かに練習していた曲だ。 まだ少しトチる箇所が何箇所かある。 あいつに聴かせるには、もう少し練習が必要だな。 そう思って、指を止めたとき。 「意外だな、君はピアノを弾くのか」 リビングの入口から、声がかかった。 部屋の照明がパッとつく。 そこに、鷹城が立っていた。 「あ、スイマセン、勝手に」 龍大は椅子から立とうとしたが、鷹城はそのまま座ってろ、と言わんばかりに手を振る。 「何でも好きに使っていいと言っただろ、続けてていい」 そう言いながら、スタスタとリビングを横切ってキッチンに向かう彼は、バスローブを羽織ったいかにも寛いでいるスタイルだ。 風呂上がりなのか、アッシュグレーの髪が少し濡れている。 「Oriental Blue(オリブル)が好きなのか?」 今しがた弾いていた曲を演奏しているバンド名だ。 「俺が、っつーより、(ツレ)が好きなんで」 そう返すと、ああ、と彼は少し笑った。 「弾いて聴かせてやりたいんだな」 どうやら、アルコールを取りにきたらしい。 冷蔵庫から取り出したクラフトビールらしき小瓶の蓋を手際よく栓抜きで開けて、彼はクイッと煽った。 何気ない仕草一つでも本当に様になる人だ。 「もう一回弾いてみろ」 やや命令口調なのが気にはなったけれども、カウンターに寄りかかっているそのひとは、その整いすぎている容貌のせいか、逆らいがたい雰囲気を醸し出している。 龍大は、もう一度弾き始めた。 と、先程と同じあたりでトチる。 「そこ、運指を変えてみ」 ビールの瓶をカウンターに置いて、鷹城はピアノに近寄った。 「こっちのが弾きやすい」 滑らかに動く指に、龍大は思わず唸る。 「そうかも!スゲェ」 教えて貰ったとおりにそのフレーズを弾いてみると、今度はスムーズにいけそうだった。 「マジさんきゅ!何回やっても上手くいかなかったんだよな、ココ」 「お役に立てて何より」 フッと笑う鷹城は、そのままビールの瓶を手にしてリビングを出て行きかける。 「あっ、待って、あのさ、この先のとこも教えてくんねえ?」 龍大は慌てて呼び止めたが、はたと我に返る。 「あ…悪ぃ、その、これからアレ(・・)だよな」 モゴモゴと決まり悪そうにそう言う龍大に、鷹城は可笑しそうに笑い出した。 「ちょっと待ってろ」 そう言って、ビール瓶をカウンターに置くと、彼は一旦リビングを出て行く。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

710人が本棚に入れています
本棚に追加