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リビングのドアをそっと開ける。
寒冷地だというのに、窓が大きい。
窓の外に広がる札幌の夜景と、月明かりに照らされる部屋の真ん中に置かれたグランドピアノが、やたらに幻想的だ。
そっとその前に座って、鍵盤蓋を開く。
ピアノを習っていたのは中学までだ。
無駄な後継者教育とやらの一貫でやらされていたことの中では、珍しく割と好きだったことの一つだ。
実家にいるときは、習うのを止めてからも気分転換に時折弾いていたが、当然一人暮らしを始めてからは全然触っていない。
軽く指慣らしのメロディを奏でて、それから。
聖が好きだと言っていた有名バンドの曲を弾いてみる。
そのうち弾いてみせようと思って、実家にいるとき密かに練習していた曲だ。
まだ少しトチる箇所が何箇所かある。
あいつに聴かせるには、もう少し練習が必要だな。
そう思って、指を止めたとき。
「意外だな、君はピアノを弾くのか」
リビングの入口から、声がかかった。
部屋の照明がパッとつく。
そこに、鷹城が立っていた。
「あ、スイマセン、勝手に」
龍大は椅子から立とうとしたが、鷹城はそのまま座ってろ、と言わんばかりに手を振る。
「何でも好きに使っていいと言っただろ、続けてていい」
そう言いながら、スタスタとリビングを横切ってキッチンに向かう彼は、バスローブを羽織ったいかにも寛いでいるスタイルだ。
風呂上がりなのか、アッシュグレーの髪が少し濡れている。
「Oriental Blueが好きなのか?」
今しがた弾いていた曲を演奏しているバンド名だ。
「俺が、っつーより、聖が好きなんで」
そう返すと、ああ、と彼は少し笑った。
「弾いて聴かせてやりたいんだな」
どうやら、アルコールを取りにきたらしい。
冷蔵庫から取り出したクラフトビールらしき小瓶の蓋を手際よく栓抜きで開けて、彼はクイッと煽った。
何気ない仕草一つでも本当に様になる人だ。
「もう一回弾いてみろ」
やや命令口調なのが気にはなったけれども、カウンターに寄りかかっているそのひとは、その整いすぎている容貌のせいか、逆らいがたい雰囲気を醸し出している。
龍大は、もう一度弾き始めた。
と、先程と同じあたりでトチる。
「そこ、運指を変えてみ」
ビールの瓶をカウンターに置いて、鷹城はピアノに近寄った。
「こっちのが弾きやすい」
滑らかに動く指に、龍大は思わず唸る。
「そうかも!スゲェ」
教えて貰ったとおりにそのフレーズを弾いてみると、今度はスムーズにいけそうだった。
「マジさんきゅ!何回やっても上手くいかなかったんだよな、ココ」
「お役に立てて何より」
フッと笑う鷹城は、そのままビールの瓶を手にしてリビングを出て行きかける。
「あっ、待って、あのさ、この先のとこも教えてくんねえ?」
龍大は慌てて呼び止めたが、はたと我に返る。
「あ…悪ぃ、その、これからアレだよな」
モゴモゴと決まり悪そうにそう言う龍大に、鷹城は可笑しそうに笑い出した。
「ちょっと待ってろ」
そう言って、ビール瓶をカウンターに置くと、彼は一旦リビングを出て行く。
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