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プロローグ
世の中には信じられなことが起きるもんだ。
兎耳山 尚季は、姉の経営する動物病院の受付に、チラシを置きながら、溜息をついた。
― 【王様の耳】は、ペットの声に耳を傾ける癒しサロンです ―
場所は兎耳山動物病院のすぐ隣のログハウス。ペットの躾、困った癖、ペットの訴えることが何か分からない。などなど、どうぞお気軽にご相談ください。
こんなチラシを見て、本当に飼い主が反応してくれるのだろうかと思うが、今の尚季には人間相手に仕事をできない訳がある。
ペット相手なら、摩訶不思議なことで授かった特殊能力で仕事になるかもしれないと思い立って、ペットサロンを開業することにした。
姉の瑞希も応援してくれて、宣伝のチラシを受付に置かせてくれるのと、術後のケアとしてペットサロンを勧めると言ってくれたので、まずは様子見といったところか・・・・・・。
「あら、ペットサロンって、私が出かける時に、この子を預かってお散歩させてくれるのかしら?」
急に話しかけられて尚季が振り向くと、丸々とした体形のお金のかかった服に身をかためた女性が、お腹が突き出たフレンチブルドッグを抱いて、尚季を見上げている。
目が合った途端に、フレンチブルドッグがワフッと何かつぶやいたのが聞こえ、尚季はこの体型では地面にお腹がついて散歩は無理だろうと、同情しながらフレンチブルドッグの頭を撫でた。
「ええ、お預かりします。ただ今の時期は、まだ日差しが強くてアスファルトが焼けて熱いので、あまり地面から離れていない体型のワンちゃんには散歩はきついかと思います。【王様の耳】はジャグジーもありますから、そこで散歩の代わりに、スイミングをしてもらうこともできます」
「まぁ、素敵! あとで伺うわ。ところで、あなた、院内なのにどうして帽子をかぶってらっしゃるの?」
尚季はハッとして中折れ帽に手を当てた。身体が逃げをとって後じさりしてしまう。
「あっ、えっとこれは・・・・・・」
何か言い訳を探そうと、狼狽えている尚季の姿に、人前で言いにくい秘密があると察したご婦人が、眉尻を下げて小声で謝ってきた。
「ひょっとして円形脱毛症か何かかしら? ごめんなさいね。余計なことを言って。ほら、最近マナーのなっていない人って多いでしょ?」
え・円形脱毛症!? 尚季はまさかと目を見張ったが、他に帽子を脱がなくていい理由を思いつかず、仕方がないのでしぶしぶ頷いた。
「やっぱり! あなたお若いけれど、言葉使いはしっかりしてらっしゃるし、部屋で帽子を脱がないなんておかしいと思ったのよね。お隣のペットサロンではバイトでもしてらっしゃるの?」
今度は学生に見間違われたのかと、よく喋るご婦人に愛想笑いを返しつつ、
秘密を抱えていなくても、人間相手の商売を続けるのは無理かもしれないと尚季は思った。ポケットから名刺を取り出し、ご婦人に渡しながら自己紹介をする。
「この春、獣医大学を卒業して、隣のペットサロン【王様の耳】を開業する兎耳山尚季と申します。この動物病院の医院長、兎耳山瑞希の弟です。どうぞよろしくお願い致します」
ぺこりと頭を下げると、ご婦人は単なる学生バイトと間違えたことを謝り、ペット仲間にも宣伝してあげると言ってくれた。
うん、こういう明るい社交的な人は、人付き合いも上手いから、味方につけたら何かと取り計らってくれるだろうなと思い、尚季はさっき心の中でつけたマイナスイメージをプラスに変える。
もう一度、よろしくお願いしますと頭を下げると、動物病院のエントランスを出て、隣に併設されたログハウスに帰っていった。
この建物は、祖父母が生前に建てた別荘で、といっても自分の家の横に建てたのだから、普通に住居だろうと、当時尚季は思ったのだが、ジャグジーやら、健康器具やらが沢山置いてあって、いかに祖父母が人生をエンジョイしていたかが偲ばれる。
本当なら、今でも、そのウォーキングマシーンでトレーニングしている祖母を見られるはずだったのだが、3か月前、旅行先で起きた事故に巻き込まれ、尚季の両親と祖父母は亡くなった。
両親の手伝いをしていた瑞希は、葬儀と法事を済ませると、ペットの受診を待っていた飼い主たちのためと、自分自身の辛さを紛らわせるためにも、すぐに動物病院を再開させた。
しかし、獣医系大学を卒業して2カ月経ったばかりの尚季は、父母から現場の手ほどきを受けながら、もっと最新技術を導入したペットショップにしたいと夢見ていた矢先だったので、急に足元が崩れたように感じて、失敗ばかりを繰り返し、姉の病院から締め出されてしまった。
このままではいけない! 何とか立ち直って、使い物になることを姉に証明しなければと思っていた時に、ある日信じられないことが尚季に起きて、悩んだ末、ペットサロンを開くことになった。
どんな秘密を抱えているかって? それはこれからお話するとしよう。
どうか、俺が元に戻れることをみんなで祈ってくれ。
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