2節 夢中追跡管理局 (1)

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2節 夢中追跡管理局 (1)

 意識を取り戻した私が立っていたのは、大きい木造建ての建物の敷地だった。外観はまるで古くから続く由緒ある小学校と言ったところだろうか、建物自体の規模もそれなりのものだと見て取れた。  現在立ち呆けているのは周りを植え込みで囲まれた敷地内、その所為で私が確認出来たのは目前の建物と上空を輝く満点の夜空、そして建物の敷地の出入り口らしき隙間から垣間見る僅かな街の景観だけだった。 「そもそも私はなんでこんな場所に?」  私は額に右手の指先を当てて思考を巡らせる。しかし、それ以前に整理しなければならない情報がいくら何でも多すぎる。  ここまでに至る経緯や現在の状況、未知の場所での今後の行動方針と、後にも先にも加えて今にもどちらの方向へと視線を動かしてみても問題が山のように重なっていた。 「駄目。全然分からない」   私は早々と問題に見切りをつけ、とりあえず分かっていることだけに焦点を当てて考え直すことにした。 「はい、まず一つ目」  まず一つ目は私自身の身体の事。あれだけ盛大に車に撥ねられたはずなのに、こうも平然と身体を動かせる訳がない。意識が落ちる寸前まで腕を這わせるのが精一杯だったのだから尚更に変だ。 (と言うか、目を覚ました場所が病院でない時点ですでに可笑しい)  沼に落ち入りそうな内容だったので論点を私はすぐさま切り替える。 「次に、二つ目」  二つ目は現在の私の格好だ。私服で歩いていたのに現在、私の着ている衣類はビジネススーツにすげ変わっている。 (それも私が就活で着てたやつと違うし、誰の仕業よまったく!)  人の所為にしている節があったが、私自身が着替えたとは考えにくい。確かに、私が気を失っている間に誰が着せ替えたという線もなくはない。しかし、意識のない人間を着せ替えたうえに知らない場所に放置するような人間も果てしているのかどうか。 (現実味がないし、それに本当にそんな人がいたらそれはそれで怖い……)  私は犯人を特定する事を諦め、次の議題へ移った。 「三つ目、これで最後……ここは一体どこでしょう?」  私からの問いかけに誰も答えてくれそうな人物は見当たらない。私の怪我や服装の件も重要だが現在地が分からない以上は動きようがない。しかしながら、この場所から敷地の外に見えている日本の家屋から察するに、少なくともここは海外ではないと推測できる。 「誰かに聞いてみるしかないか」  時間帯は決して良いとは言えない。それでも私は少しでも多く情報を得るために、とりあえず周辺を歩き回ってみようと敷地外へと歩き始めた直後。私はこの空間の異様さを知ることとなった。 「なにこれ、外に出られない!?」  敷地と道路の境界線、そこに見えない壁が遮るように私の行く手を阻んだ。私は押して叩いて、挙句に蹴ってもみたが透明な壁は動じる手ごたえを全く見せない。  そんな中で壁の奥の景観をはっきり見た私はさらにある違和感に気付いた。 「なんで明かりの点いた家が一軒も見当たらないの?」  私の目の前にはびっしりと民家が並んで建っている。それは一見、ただの住宅街にしか見えない。けれども、外は夜中にも関わらず明かりが漏れ出している部屋が一つも見当たらず、僅かな数の街灯だけが夜の住宅街を薄く照らしている。 (単に時間帯が遅すぎるだけか。いや、それにしては静かすぎる気がする)  みんなが寝静まっているだけならまだ納得は出来る。けれども、こうも物音の一つ聞こえないと些か不気味さを感じてしまう。早くこの胸のざわめきをどうにかしたい私だったが、やはりこの頑丈な壁の前では成す術は無かった。  「もう、何なのよコレ……」  見えない壁を叩く鈍い音と私が漏らす溜息。その両方に虚しさを覚え始めた私は外への脱出を断念すると、逆に透明な壁へと背を預けて空を眺めた。どうにもならない状況でも夜空の光景だけは私を静かになだめてくれているような気がする。 (やっぱり、私って死んじゃったのかなあ)  私だって分かっていたつもりだ。けれども、少しでも希望が残っていた以上はそれにすがりたくなるのは当然だろう。死に直面した時に限って人間は生への執着を見出すのかもしれないと、遠い夜空に惰性に生きてきた自分自身を映した。 「まあ、その方が色々と納得できるけどさ」  それでも、何故に私はこのような恰好をしているのかは依然と理解が出来ないままだ。 「それよりも、これからどうするべきかを考えないと」  私がこの現状に置かれている理由は必ず存在しているはず。まずはその手掛かりを見つけ出さないことには何も始まらない。けれども、外へと出られないにはどうしようもない。煮詰まった思考によって私の喉元からはうなり声が上がる。 (駄目だ、何も思い浮かばない……ん?)  視界に広がる夜空の下辺が妙に明るいことに違和感を感じた私は視線を下ろしていくと、そこで重大な見落としをしていたことに気が付いた。 「あの建物、明かりが点いてる」  外に出ることばかりに気を取られすぎていた所為で単純なものを見逃していた。まだ自分にやれることは残っていると、建物から漏れ出す明かりが私の心へと僅かに光明を射した。  私は腰を上げると建物の玄関前と近づいていく。やがて、両開きの扉を前に私は扉の上にと掲げられた看板を読み上げた。 「夢中追跡管理局(むちゅうついせきかんりきょく)?」  なんだか胡散臭い名前、というのが私の第一印象。公的な機関のような名前をしているが、私自身そんな名前の機関を目にした事も聞いたことも無かった。 「なんだかNPO団体の名前みたいだな」  テレビに映るコメンテーターの備考欄によく似たような名前の組織名が載っていた記憶がある。そう思ってしまうと私の中での胡散臭い印象が余計に深みを増した。 「そんなこと気にしている場合じゃない」  私は慌てて首を大きく左右に降って潜入感をはぐらかした。どのみち、私には此処しか当てが残っていないので襟好みは出来ない。私は意を決して扉の取っ手を握った。 (どうか変な場所じゃありませんように!)  私は内心で祈るように扉を静かにゆっくりと押し開くと、開けた扉の先は広間だった。茶や黒に変色した木材が目立つ内装の造りは、建物の外観に見合った近代的とは言えないどこか懐かしさに近いものを私は感じていた。 「あら? 貴女、見ない顔ね」  経験したことのない空間に周囲を見渡していた私へと誰かが声を掛けてきた。声の調子から女性だろうか、声を掛けられたことで私は内装に見とれて自身の目的を見失っていたことに気付いた。 「こっちよ、御嬢さん」  右往左往している私に、再び話し掛けた女性の声を辿った。声がした方向へと顔を向けると、広間中央に設けられた受付所みたいな場所。そこに眼鏡をかけた女性が微笑ましい表情を浮かべながら座って此方を見ていた。 「あの、貴女は?」  彼女は見たところ私よりは年上に見えるが、物静かな物腰の割には若いなと印象を抱いた。 「私? 先ずはこっちに来てくれるかしら、距離が開いていると会話が捗らないから。それに、貴女も色々と聞きたいことあるでしょう?」  訝しがる私に対して、目の前の彼女は意味ありげに私を手招いた。  私は彼女の口振りを聞くに、あの女性は私以上に自身の現状について何か知っていることを醸し出している。 「......分かりました」  私は頷くと、ゆっくりと彼女のところへと歩み寄った。十分に彼女と会話が出来る距離まで近づいたところで彼女は「そこでいいわ」と言って私を制止した。 「まあ、前置きは必要よね。ようこそ夢中追跡管理局へ、私は鹿目 朱美(かなめ あけみ)。この場所を訪れた人達の案内係ってところかしら、私にとっては仕事の一部に過ぎないけどね」  鹿目と名乗った女性は突然遣って来た私に驚いているような気配は見られない。 「初めまして。私、犬童 結花って言います」  お互いに軽い自己紹介を済ませた後、私は彼女を静観していた。彼女は信用して良い人のなのか依然と判断に迷っていたからだ。少しの沈黙の経て、私の口はぎこちなさげに開かれた。 「あの……いきなりですけど、とりあえず聞いてみても良いですか?」  少なくとも彼女は嘘はついていないだろうと私は判断することにした。一回きりのやり取りだけではあるが、事務的に説明する彼女の言い方は淡としていたが冷たさは感じなかったからだ。 「別に構わないわよ、お互いに信用できないと何も始まらないもの」 「ありがとうございます。では、単刀直入に聞きますね。私って……」  不躾な私の申し出を快く受けてくれた彼女の両目を点にしてしまったこと、私自身が言い切ってから物凄く後悔することになる。 「私って、死んでしまったんでしょうか?」  他にも聞くべきことが沢山あったはずなのに、何故その問いを選んだのかは私自身も理解が出来なかった。私の表情は瞬時に冷え固まり、そのついでに冷え切った思考がどんな言い分をすれば良いかを至って冷静に考えていた。
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