夢に存在するモノたち

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夢に存在するモノたち

「はて、迷子探しのはずなのに僕自身が迷子になりそうだな……」  今回も実に面白そうな場所(ゆめ)へとやって来た。視界は濃い霧で塞がれ、一歩踏み出してみれば生えた木々たちが限り無く続いている。こうも単調な景色の中、僕もいい加減にそろそろ変化が欲しくなってくる頃合だ。 「もし誰かに同じところを回っていると言われたら、無難に納得してしまいそうだ」  僕は口ではそう言いながらも、本当に自分が迷子になっているとは微塵にも思わなかった。そのような確信が持てる根拠、それは今僕の先を歩いている彼の存在がとても大きい。  僕の目の前を歩く綺麗な黄金色の毛皮を纏う一匹の狐。尻尾まで含めれば二メートルは軽く超える大きさの狐、僕は彼のことを煤祈(すすき)と名付けた。先へ先へと自らの脚を進める煤祈は、戸惑う素振りを見せることなく僕を導いてくれている。 「夢追いとは実に多忙なもんだ」  僕の他にも同僚と呼べる人物はいくらかいるが、まるで手が足りていない。それなりに忙しく夢を渡り続けているのに、それでも追いつかない程だ。しかし、夢を移ろった数だけ、様々な世界が僕の目の前に広がっている。故に多忙であればあるだけ自身の役目は面白みが増すもの、僕はそう思っている。 「ギン! 見つけたよ!!」  森の中を歩いているだけの僕に、幼げに声を上げる煤祈は前方へ突然と駆け出した。僕と彼との距離が開いていくにつれ、その姿はやがて霧へ溶けて見えなくなっていった。 「そう慌てない、慌てない」  姿は見えずとも僕と煤祈は意識下で繋がっており、位置の把握は出来るので問題は無い。僕は気を急くこともせず、彼の進んでいった方向へ淡々と向かっていく。 「もう、おそいよギン」  しばらく歩みを進めた先で、僕を到着を座って待っている煤祈の姿が霧の中から浮かび始めた。不満げな声を上げながら落ち着かない様子で尻尾を忙しく揺らしている彼に、僕は軽く謝罪の言葉を述べた。 「ごめんゴメン。で、彼女は何処に?」 「ほら、あそこ」  僕の平謝りを慣れた様子で聞き流した彼は促すように自らの視線を前方へと向けた。促された視線の先には小学校低学年ぐらい女の子が一人。僕らの目の前を歩く彼女こそ、今回の僕らの目的だった。 「お手柄だったね、煤祈」 「ボクにかかればとーぜんだね!」  僕は煤祈の功績を褒めながら頭を撫でると、彼は満足そうに目を細めながら尻尾を左右に揺らしている。そんな可愛げのある彼の仕草に僕は軽く笑みを浮かべ、再び少女へと視線を戻す。 「ようやく見つけた。随分と手を煩わせてくれたじゃないか」  視界が塞がれる程の深い霧に加えて、無限に続く広大な樹海。そんな場所でたった一人の少女を見つけた瞬間には流石の僕も気が軽くなった。 「まさかこんな広い世界で迷子探しになるとは思わなかったよ」  金属が磁石に引き寄せられる様にふらふらと歩き続ける少女。彼女は僕達の存在、ましてや僕達の声にすら何の反応も示さない。それはまるで、意識の持ち主を差し置いて別の何者かが彼女を呼び寄せているかに思える。少女は今、自分が何処で何をしているのすら分かっていないだろう。 「それにしても、どうも寂しい場所だね。この夢は……」  夢とは、夢を見る各々が持つ唯一無二の世界。だが、ごく稀に他人の夢同士が繋がり合うことがある。夢はとても気まぐれで、引き合うこともあれば逆に一方的に引き寄せることもある。しかし、そんな悪戯の様に見える性質ですら僕は面白いと思えた。 「面白いね。現実(うつつ)よりも寂しい場所を望むだなんてさ」  深い霧だけあって湿気が肌に纏わりつく中、僕は改めて周りを見回してみた。周囲の視界は殆ど塞がれてしまっている。木の葉が僅かに揺れる音しか聞こえてこない森の中は霧に包まれている分、余計と不気味さが伝わってくる。 「いや、こんな場所ですら一種の欲の抽象化に過ぎないのかもしれないな」  夢は主が望む精神(こころ)が一番に安らげる空間。故に大抵の夢は普段押さえ込んでいる欲が忠実に現れるものだ。 (以前に訪れた乱痴気騒ぎをしていた夢の持ち主からすれば、この世界は随分と僕の目には優しく思えるけどね……)  僕が過去を振り返っている最中、上空から一滴の大きな水滴が煤祈の鼻先に当たって弾けた。一滴の雫は時間をかけながら徐々に二滴、三滴と数を増やし、やがて雨となった。 「ねえ、ギン。雨がふってきたよ」 「どうやら、そのようだ。これは……荒れそうだな」  この世界の主が招かれざる訪問者の侵入に気づいたらしい。徐々に強さを増す風は葉を揺らし、やがて枝を揺らし始める。そして、時間を置かずに雨は大雨へ、さらには風が加わり嵐となっていく。 「主はお怒りの様だね。おかげで僕の一張羅が台無しになってしまう」  目を開けるのが一苦労な程に荒れ狂った嵐。僕が着用していたスーツとズボンも激しい雨風に晒され、あっと言う間にずぶ濡れになる。 「ああ、もうびちょびちょ! 雨ってホント大っきらい!」  自慢の毛並みが雨風によって乱され、煤祈は大きな声で不愉快と叫んだ。一方、揺れる枝のような細くか弱い少女の身体は吹き付ける強風に動じる事なく、己を引き寄せる方向へ黙々と足を進めている。彼女が一体何に引き寄せられているのか、僕はその正体に興味が湧き始めた。 「その先に何があるのか、或いは何かがいるのか……。ますます面白くなってきたじゃないか」  彼女を引き寄せたとなれば、それはとても強い夢の持ち主という事。それは実際に僕が歩いてきた広大な世界がそれを裏付けている。僕は自分の胸の内に湧き出す好奇心に漏れ出る微笑を隠せなかった。 「ご苦労だったね、煤祈。もう大丈夫だ」 「えっ、ホント? それはうれしいんだけど、その顔……いつもみたいにムチャしないでよ?」 「……善処するよ」  心配そうに僕へと釘を刺す煤祈の一言に、僕は明後日の方向を向きながら右手で顎を擦った。僕の態度を見た煤祈は、いつものように訝しい視線を送っているのだろう。 「ホントかな……まあいいけどさ。何かあったらまたよんでよ」    煤祈は挨拶代わりに長い尻尾を数回横に揺らすと、彼の姿はまるで炎の熱で揺らめくようにぼやけていく。 「もし、またヘンな事したらに言いつけるから」  煤祈は最後に「またね」と言い残し、やがて彼の姿は大気に溶け合うように僕と少女を残して消えていった。 「先生の名前を出すなんて、彼も随分と子供らしくない振る舞いをするもんだ」  僕は先生と仰ぐ人物から自分へと(せっきょう)が放たれる様を想像してみた。これまでの周期から考えてみると、流石にそれなりの大きさのモノが飛んでくる頃合いかもしれない。 「彼の忠告は確かに今の僕には効果的かもね」  僕が余裕そうに浮かべていた微笑が苦笑へと変わっていくなか、嵐が森に漂う霧を吹き飛ばし僕の視界の先には巨大な岩山の姿が露になった。  彼女の足取りは小刻みに方向変えながらも狭い歩幅でゆっくりと目的地へ着々に近づいていく。彼女はどうやらその岩山へと向かっているようだ。 「……さて、鬼が(いずる)か、蛇が()るか。或いは蛇を通り超えて龍が飛び出るか。仕事は楽しんでこそだよ」  そんな戯言を呟きながら、気を取り直して僕は少女の後を追いかけ始める。煤祈には悪いが僕は自分の好奇心を優先させてもらうとしよう。  やがて、森の奥へと進んでいった僕の姿は木々の影が生み出す闇の中へ溶けていった。
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