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ふう、と軽く息を吐き、携帯をポケットに入れて窓の外を見た。葉桜がふわふわと揺れている。春から夏に移ってく時期は空が眩しい。そう言えば今年は桜餅食べてなかった。
「悪いな、忘れないうちに書いておきたくってさ」
近所の和菓子屋さんに寄って帰ろうかな。まだ売ってるよな?
「なあ、全然関係ないけど野原って彼女とかいるの?」
桜餅と道明寺なら道明寺がいいけど、この辺じゃ滅多に見かけない。道明寺も美味しいのに何でだろう。うん、和菓子は何でも美味しい。五月だと柏餅。もう少し暑くなったら水羊羹、わらび餅、くず…
「なぁ、野原、聞いてる?」
「は? え? 俺?」
突然名前を呼ばれて驚いた。さっきから聞こえていた声は広世だった。
「うん、良かった無視されてるのかと思った」
しないしない、する訳ない。
「え、と、何?」
「駅であんまり会わないけど、彼女と会うために急いで帰ってるのかと思ってさ」
「彼女……は、いない」
いたこともない。
変な間を挟んだ俺の言葉に広世の目が細められる。
あ、コンタクトになったから、これまでレンズの後ろにあった瞳がよくみえる。こんな形で、こんな色だったんだ。艶のある黒髪と同じように深い色の目がきれい。色素が薄いせいで赤味がかった俺の髪や瞳の色と違う。
「なにそれ?『彼女』はいないんなら『彼氏』はいるの?」
どこか試すような声色で聞かれた。
彼氏って、つまり男と付き合ってるか? 何で……俺が女みたいっていいたいのか?
中学の時を思い出し、少し気持ちが波立ったのを打ち消すよう、思い切り頭を横に振った。振りすぎて軽くめまいがする位には否定してやった。
「いないいない! 彼女も彼氏もいない!」
「そっか」
くらくらするついでに、焦って顔が赤くなったのが自分でも分かる。揺れる視界の中でどうにか隣を見ると、広世は唇の端を上げて笑い再び画面を見て指を動かした。数文字分何か書いてから手を止めて何か考えている。口元は相変わらずきれいなカーブを描いて微笑んでいた。
「もう五月も半分過ぎたのに、野原とはあんまり話した事なかったな」
「そうだね」
(広世はいつも何かやってて忙しそうだし。)
と心の中で答えていると踏切の音が聞こえてきた。
「広世、さっきすごい勢いで書いてたけど、また朗読劇でもするの?」
俺が興味持ったことに驚いたのか、広世は一瞬目を見開き照れくさそうにくしゃっと笑った。
あ、こんな顔もするんだ。
間近で見たはにかむような笑顔を見て、ようやく自分と同じ年のクラスメイトだと思えてきた。
「劇じゃないけど、気になる? まだ推敲してないけど、今度…ようか? ……でよけ……いよ」
音の割れた構内アナウンスで後半はよく聞き取れなかった。間もなくホームに広世の乗る電車が入ってくる。俺とは反対方向。
「ああ、うん。読ませて」
俺の言葉に広世は軽くうなずいて立ち上がり、片手をあげてホームに出た。すっと伸びた背中が何だか楽しそうだった。
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