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五月の霞
男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり 紀貫之「土佐日記」
って、男が女の振りして書いてたんだよな。
****
連休明けの教室に、見慣れない奴が入ってきた。
「あれ、メガネは?コンタクトデビュー?」
すらりとした長身に、軽くウェーブの掛かった黒髪。眺めの前髪の間から切れ長な目をのぞかせて、広世が嬉しそうに笑った。
「そう、ついにコンタクト。体育祭終わってから家でちょっとずつ練習してたけど、遂に今日から両目1.5!」
男子校だけに、キャーとか、花や星が飛ぶような声は上がらないけれど、おお~、とみんながどよめいた。
教室の隅で友達と話をしていた俺も、クラスメイトの割にはあまり話したことのない広世の変化に声を出さずに驚いていた。
ずっとボストンフレームの眼鏡を掛けてた広世の素顔を見るのは、多分今日が初めてだ。
眼鏡の印象ばかりが強くて、頭の中の情報が上手く繋がらない。
そもそも、普通科で成績は中の下、ほどほどに楽しくやってる自分と、文系科目ではいつも上位に食い込む広世とは、同じ教室で授業を受ける以外、接点は殆どない。
広世は一年の時の学園祭で、放送部を中心とした有志による朗読ドラマの脚本を書いたことでいっぺんに有名になった。飛び入り自主企画は審査対象外なのに、特別賞までもらうほどの出来だった。
企画力と文章力、高いコミュ力で、顔も広いし友達も多い。おしゃべりって訳じゃないけど、面白いこと考え出して人を巻き込んでゆく力。
話してみれば、見た目のクールさとは裏腹に、頭の中はぐるぐると面白いことを考えてるってよく分かる。
一方俺はと言えば、沢山の友達と騒ぐより、趣味の合う仲間と気楽に過ごしたい派だった。
背が高いとか、女の子をすっとエスコートできそうな、アニメで言うメインキャラ的な男を見ると、つい身構えてしまう。
コンプレックスを刺激される、というのもあるけど別の星からきたような相手とは、話しても分かり合えなさそうだと一歩引いてしまう癖は昔から直らない。
十七才で、同じクラスにいて、同じ男なのに……犬で言うならセッターとパピヨンレベルの違いだ。どっちも犬だけど、見た目も戦闘力も頭脳も、ベクトルが違い過ぎる。
そんな事を考えながら、いい感じに整った広世の顔を見ていた。入口近くでいつもの連れに囲まれて、人気アニメの最新話で盛り上がっているのが聞こえる。
へー、サブカルまで網羅してるんだ。すごいな。
こちらが見ていることに気付かないだろうと、つい無遠慮に視線を送っていたら、突然目が合った。
切れ長の目をさらに細めた広世が俺の顔をまっすぐ見ている。
え、と…。あれ?
何となく気恥ずかしくって、ヘラって笑うと、めちゃくちゃ嬉しそうな笑顔が帰ってきた。距離もあるし、どう反応していいのか分からずに、思わず目を反らした。
やば、感じ悪かったかな?
視界の端に入っている広世の表情は分からない。ただ、自分の居心地の悪さをごまかすために、隣の席でどこのアイスが一番うまいか熱弁をふるってる奴に話しかけた。
「なー、一時限目の英作やってきた? 答え合わせさせてよ」
「一応やったけど、俺も野原とレベル変わんないから参考にならないんじゃね?」
「まーでも、方向性とかさ。見ときたいじゃん」
「何だよ、方向性って。ほれ、俺のでよければどうぞ。それよりさ、野原はスーパーカップとガリガリ君、どっちがうまいと思う?」
「どっちでもいーよー。あえて言えば俺はガツンとみかんかな」
そんな冗談を言いながらノートに視線を落とすふりをした。さっき自分を見ていた視線の感覚がまだ残って、眉間からじんじん身体の中に入りこんでくるような気がしてた。
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