逆さ虹を見に

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逆さ虹を見に

 虹を見るために、石の階段をのぼる。  風が吹き渡り、新緑がこすれる音がする。足元で木漏れ日が揺らぐ。  熊谷天馬(くまがいてんま)は、次の段に足をあげながら、下校前のことを思い出していた。    ◇◇◇ 「虹が逆さまでも、地震は起き……ないよ」  そのひとことで、六年生の教室がしんとなった。静かになるひとことを言った男の子……天馬はすぐ『よけいなことを言った』と、後悔した。  地震が起きそうだと騒いでいた子供たちは、三階の窓から虹を見るのをやめて、天馬に視線を集中させた。  教室の外は晴れていて、空高くには大きな虹がかかっている。それは下向きに弧を描く『逆さ虹』と呼ばれるものだった。 「こんな虹、見たことないぞ? それも雨上がりじゃないのに出た、イジョウキショウだ。……なんでお前、悪いことが起きないって、言いきれるんだよ」  逆さ虹を不吉だと、もっとも騒いでいた男の子が、天馬をにらんだ。  天馬は口を開けただけで、何も言わなかった。  ――逆さ虹は、太陽光が大気の氷に反射することで、発生する現象だ。前にも見たことがある。珍しいが不思議がるほどではない。ましてや、地震の前触れなんかじゃない――。  頭では言葉が出てきたものの、天馬はそれを外に出せなかった。 「……男子うるさい。もうさ、しらけたし、みんな帰ろう」  教室の中央に座っていた女の子が、大きくため息をついた。そして教室の女の子たちが先に動き出して、男の子たちもそれに続いた。ランドセルを背負って、教室を出ていく。  天馬の隣の席にいる男の子はランドセルを背負ったまま、虹と天馬を、交互に見ていた。 「おい、もう行こうぜ」  隣の席の子が、別の子に呼ばれた。 「うん……」  隣の席の子は帰る前に、天馬に「じゃあね」と言った。  椅子に座ったままの天馬に、ひとりの女の子がのんびりと寄った。 「あの、二重の虹を見ると幸せになれるって、知ってる?」  天馬は首を横に振った。 「今、逆さまの虹の下にね、もう一つ虹がかかっているんだよ」  天馬は女の子の胸にある名札を、そっと見た。天馬はよそから転校してきたばかりで、まだひと月も経っていないので、クラスメイト全員の名前が言えない。特に女の子たちの名前を覚えていない。  女の子の名札には『田辺』と書かれていた。 「窓のほうまで行けば、見えるよ。二重の虹」  田辺さんはにっこり笑うと、教室を出ていった。  天馬はみんながいなくなったあと、顔を隠すように、キャップ帽子を被った。刈りあげた後ろ頭に指が触れ、みっともないほど冷や汗をかいていたと、気がついた。  窓から二重の虹を見ないで、ひとりで教室を出る。  明日から大型連休に入るから、しばらく学校に来なくていい。そう思うと、天馬は気が楽になった。
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