逆さ虹を見に

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 数分後、顔色の良くなった女の人は一転して、明るく天馬に話しかけた。 「今日の虹は逆さまで、長いこと出てたのよ。あなた、知ってる?」 「いいえ」 「でね。私ったら帽子をかぶらないで、ずっと日向に立っていたから」 「はぁ」 「あなたが通りがからなかったら、もっと危なかったわ。ありがとう!」 「……どうも」 「私ね、あさってに引っ越すの。だからこの町、よく見ておこうと思って……」  天馬は、女の人をうるさく感じ始めていた。  女の人と並んで三角座りしながらも、どのタイミングで家に帰れるだろうかと、探っていた。  女の人は天馬に話しかけながら、携帯電話を操作していた。 「今、迎えを頼んだから。もう大丈夫」 「ではぼくはこれで」 「待って。まだ話しましょうよ」  立ち去ろうとする天馬の腕を、女の人が元気よくつかんだ。 「私はアイリス。二十四歳。あなたは?」 「個人情報は言いません」 「あ、スニーカーに名前」  女の人はスニーカーに書かれたペン字を見つけ、はしゃいだ。 「六の三の『熊谷(くまがい)』ね。クマさんて呼んでいい?」 「………」  天馬は返事をしなかった。女の人は木漏れ日の下、童謡をハミングした。 「森でクマさんに会えるなんて、この歌みたい」 「ここ公園」 「私はアイリスだから、リスになればいいかな」  アイリスと名乗った女の人は、夕暮れの空を見上げた。 「ここは逆さ虹の森ね――森にはたくさん動物がいて、みんななかよく暮らしているの」 「あの……」  逆さ虹なら消えている。天馬は、どんどん家に帰りたくなっている。 「私はいたずら好きのリスで、あなたは親切なコグマ」  アイリスは天馬の両肩を、軽々しくたたいた。 「ふたりは大のなかよし!」 「やかましいわ!」  天馬は大声を出して、アイリスの手を払いのけた。 「あ」 「そんなにグイグイくるなや。ツッコミ待ちか、自分」 「それそれ」  アイリスは満面の笑みを浮かべた。天馬は耳を赤くして、顔を横に向けた。 「さっき私を助けてくれた時、関西弁だったよね?」 「……ぼく大阪育ちで。今月はじめに引っ越してきたとこ」 「へえ」 「まだこっちの言葉、うまく話せなくて。けっこう戻るんです」 「それで口数が少なかったの」 「まぁ」  見知らぬアイリスに、警戒していた面のほうが大きいとは、言わなかった。 「気持ちはわかるわ。私も子供のころは、話すの苦手だったから」 「……なんで?」 「私は日本人とギリシャ人の間に生まれたの」  天馬はアイリスを、改めてよく見た。  小顔ですらりとした体型に、濃い褐色の髪。瞳は、かすかに灰みがかっている。欧米の血が混じっていると聞いて、納得する顔立ち。 「母がギリシャ人でね。アメリカの大学で、日本人の父と知り合って結婚。……私と母の会話は、英語と日本語、それからギリシャ語が混じった」  アイリスはなめらかな日本語で、昔の話をした。 「今は日本語だけで話せるけど。子供のころは、ちょっとね」 「……育ちはずっと、日本?」 「ギリシャ留学もしたわ」  アイリスは胸をそらした。 「少し話がそれたけど。まわりと違うことを、気にしすぎたら駄目」 「あ、はい」 「失敗を怖がらないで」  アイリスの話を聞くと、方言を気にした自分が小さく思えて、天馬は後ろ頭をかいた。
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