名前嫌いの処方箋 ~すばると昴星~

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名前嫌いの処方箋 ~すばると昴星~

--100%、大っ嫌い。  何をかって?   野々宮『すばる』--女の子らしくない、自分の名前が、である。  そのお陰で、すばるは幼稚園の頃から男の子みたいだのクルマ屋だの、散々からかわれてきたのだ。    一番最悪の思い出は、小学校。おバカな男子に、クラスのみんなの前で「ああ~昴よ~」って熱唱された時は、顔から火が出るかと思った。  歌にもなってるなんて、ホント最悪だ。  すばるにこんな厄介な名前を付けた諸悪の根元、張本人は、父だ。  父はずっと男の子が欲しくて、やっと授かった赤ちゃんが男の子と分かった時は相当舞い上がったらしい。  ところが、生まれてみたら女の子だったから、さあ大変。  諦めきれなかった父は、男の子用に決めていた名前を、そのまんま付けちゃった--というわけ。  大人になった今では被害はかなり減ったけれど、保育園で働くすばるは、いまだに子どもたちから「すばる先生って男の子みたいな名前~」と言われる日々を送っている。  --タタンタタン、タタンタタン……。  規則正しい振動が、一日働いて疲れた体に、子守歌のように心地よく響く。   時刻は夜の九時、疲れも眠気もピークだ。  持ち帰り仕事のたっぷり入った大きな紙袋を膝の上に抱えて、すばるは、ふあぁ~……とあくびをかみ殺した。  寝ちゃいけない。ここで寝たら、絶対乗り越す羽目になる。  分かっているけど……分かっていても、まぶたがとろーんと下がってくる。  あ~どうして、電車の振動って、こんなに眠くなるんだろう~。    そして、抵抗虚しく、意識消失。  終点で駅員さんに揺り起こされ、折り返しの電車で、自宅の最寄り駅に降りたときには、とっぷり夜が更けていた。  うう、電車の暖房で温まった体に、真冬の寒さがしみるよ~。  はあっと漏らした溜め息が、白く雲になって消えていく。  すばるはしんと冷えた空気にぶるっと身震いして、マフラーを口元までたくし上げた。   「よっこらしょっと」  時折おばあちゃんみたいな掛け声をかけて、ずり落ちてくる大きな紙袋と格闘しながら夜の住宅街を歩いていると。  暗い空き地にぼんやりと人影があった。 「この寒いのに、何してるんだろう?」  がっしりしたシルエットからして、男の人みたいだ。  気になって足を止めて見ていると、どうやら、双眼鏡で上を向いて、何かを見ているらしい。  なに見てるんだろ? 空? つられて夜空に目を凝らしてみたけど……別に珍しいものなんかなんにもない。へんなの~。  すばるは突然ハッとした。この人、もしかして不審者? 覗き? なのでは?!  ぞわぞわっと、寒さとは別の身震いが全身を走る。    とにかく、気付かれないように、そうっとそうっと……。  抜き足差し足で慎重に歩きだして、後ちょっとで空き地を通過というところで、ジャリッ! ブーツが小石を踏みつけた。  うひぃ! 恐る恐る、すばるが空き地の人影に目をやると、人影の後ろで、何かが不気味にユラリと動いた。 「?!」  怖いのに目が離せない。  暗闇に何かがキラッと光った。と思ったら、 「わうん!」  鳴き声と同時に、黒い影が狙いを定めたように、こちらに向かってきたではないか!  --うそ、犬?!  「ぎゃーーー!!」  逃げろー!   すばるは大きな紙袋を抱えて一目散に駆け出した。  あらん限りの力を振り絞って、全力疾走! ひ~なんでこんな時に限って大荷物ーー! 前が見えなーい!  ところが手袋でずるっと紙袋が滑り落ち。 「うわわわわっ?!」  紙袋に蹴躓いたすばるは、ドッシーン! 思いっきり、コケてしまった。  ああもうダメだ……。犬に喰われる……。  背後から近づいてくる犬の足音に、ギュッと身を固くして目をつぶる。    目の前で足音がぴたりと止まった、次の瞬間。  ベロン。  --ほっぺたを、生暖かくて、湿っていて、……ちょっと生臭いものがひと撫でした--と、思ったら。  ベロンベロンベロンベロン。  ……顔中、舐め回された……。 「へ……?」  すばるがそーっと目を開けると、ツヤツヤ黒い鼻面のドアップ。  ぴんと耳の立った賢そうなお顔のシェパード犬が、ハフハフ白い息と共に、シッポを千切れんばかりに振っている。  じいっと興味津々見つめてくる黒い瞳は、案外に優しそうな……。 「すみませんすみません! 大丈夫ですか?! お怪我は?!」  さっきの空き地の人が息を切らせて、大慌てで走ってきた。 「はあ……大丈夫です……?」  あれ、不審者にしては反応が普通だ……。  黒いダウンジャケットの大きな身体を縮めて、申し訳なさそうにオロオロしてる。  身体は大きくて熊みたいだけど、近くで見るとあんまり怖くない。熊は熊でも、のほほんとした温厚そうな顔が、クマのぬいぐるみにそっくりだ。 「本当に申し訳ありません! もっとしっかりリードを持っているべきでした」 「いえ、私が急に走ったのがいけなかったんです。犬が追いかけてくるのは当たり前なのに……」  ひたすら平謝りのクマさんに、すばるの方が申し訳なくなった。不審者扱いしたうえに、勝手に走ってコケたのは自分なのだ。  よろよろ立ち上がろうとしていたら、手をさしのべて力強く引っ張ってくれたうえに、道路に転がった紙袋まで拾ってくれた。    しかも、取っ手が壊れちゃったのを見て、「嫌じゃなかったら、家の近くまで持ちます」。荷物を持って、ついて来てくれるという。  うう……クマさん、いいひとだったよー。  不審者扱いして本当にゴメンナサイ。すばるは心の中で深ーく頭を下げた……。  遠間隔の街灯がぼんやり照らす静まり返った住宅街を、ワンちゃんを先頭に、すばるとクマさんで並んで歩いていく。   「さっき空き地で、双眼鏡を見てましたけど、何を見ていたんですか?」  ゲンキンなもので、不審者じゃないと分かれば、気楽なものだ。  何を見ていたのか気になって聞いてみた。すると返ってきたのは予想外の答え。 「実は星を見ていたんですー……」   「星?」  大きな身体におおよそ似合わない単語に、すばるが目をパチパチさせて隣を見ると、クマさんが恥ずかしそうに、はは……、と頭をかいた。 「今日は新月で、月明かりがないので絶好の星見日和なんですよ。この子の散歩がてら、開けた所で星を見たいなぁと思いまして」 「はあ……そうなんですか~」  言われて夜空に目を上げると……本当だ。確かに、濃紺の空に星がチラチラ瞬いている。  こんな街中でも意外とたくさん星が見える事に、すばるは驚いた。 「そう言えば、星をちゃんと見るの、いつぶりだろう」  思わず口からこぼれた。  星どころか、夜空を見上げた事さえ、久し振りかも知れない。 「忙しいと、なかなか空を見上げる余裕がなくなりますよね。無理もないですよ」  クマさんが、優しくうなずいて、相槌を打ってくれた。  うーん……、確かに。仕事が忙しくて、いつの間にか余裕が無くなっちゃってたのかも。いけないなぁ。 「でもそんな時こそ星を見るといいかも知れませんよ。星の瞬きは1/f揺らぎだそうですから」 「1/f揺らぎ?」  どっかで聞いたことがあるけど何だっけ?  すばるがうーんと首をひねるのを見て、クマさんが説明してくれた。 「人が心地良いと感じるリズムや振動に含まれている周波数のことですよ。リラックス効果や自律神経を整える作用があるんです」 「へえ~」 「波の音や川のせせらぎ、木洩れ日やろうそくの炎なんかにも含まれているそうです。あとは電車のガタンゴトン言う振動とか」 「そう言えば確かに落ち着きますね~」  実はさっき寝過ごして終点まで行っちゃいました、とはさすがに初対面の人に言うのは恥ずかしいから、やめた。  そうかぁ、あの逆らえない眠気の犯人は1/f揺らぎだったのかあ~。  ものすごーく気持ち良かったもんねー。納得納得。 「その1/f揺らぎ効果が、星の瞬きにもあるんですよ。風が強い冬は大気が揺らいで大きく瞬くので、特にいいかも知れませんねぇ」 「綺麗なうえにリラックス効果もあるなんて。じゃあ一生懸命上を見なくちゃ」  星に気を取られるあまり完全に足元がお留守になっていたすばるは、前を歩くシェパード君にぶつかって、「キャイン!」「あっごめん!!」。あわてて飛び退いた。  それを見て、くすくすとクマさんが笑う。 「そんなに頑張らなくても……。星は余計な力を抜いてにのんびりゆったり見たほうがいいですよ~」  えへへ……。ついつい欲が出ちゃいました~。  余計な力を抜いて、のんびりゆったり、かぁ~。    もう一度、すばるは夜空を見上げてみた。  ぴりりと凍てついた紺色の空に瞬く星たち。  その中に、特に明るい星がひとつある。なんていう星なんだろう。   「あの一番目立つ明るい星は何ですか?」 「あれはおおいぬ座のシリウスです。星座をつくる星の中で、目で見て一番明るい星ですよ。ざっくりその右斜め上辺りにあるのが……」 「あ、オリオン座?!」 「ご名答! アタリです」  ほめられて思わず頬が緩む。  何を隠そう、オリオン座は、星オンチのすばるが唯一分かる星座なのだ。 「冬は、一年のなかでも明るい星がそろってるので、星空観測にはうってつけですよ。あの赤っぽい星の辺りがヒヤデス星団、そこからもうちょっと斜めにいくと、プレアデス星団。有名な、昴です」  クマさんが夜空を差した指をつつーと、動かしていく。 「昴……」  そういえば、昴は冬の星だったっけ……。  その名前を聞いた途端、せっかく楽しくなりかけてた気持ちがしゅわしゅわとしぼんでいった。  かわりに込み上げてきたもやもやした感情に、すばるは夜空からすっと目をそらせた。 「どうかしました?」 「いえ、何でもないんです」  急に黙ってしまったすばるに、横のクマさんが不思議そうに首をかしげる。すばるはあわてて、無理矢理笑って見せた。  言おうか、言うまいか……。少し迷ってから、すばるは口を開いた。 「私の名前、すばるって言うんです」 「へえ、素敵な名前ですねえ!」   案の定、嬉しそうにぱっと目を輝やかせる星好きのクマさんが、ちょっと恨めしい。 「全然素敵じゃないですよ。私この名前大っ嫌いなんです」 「おや。どうしてですか?」  クマさんはつぶらな目をきょときょとさせて、信じられないという顔だ。  星が大好きな人には、この気持ちなんて分かるまい。  やさぐれた気持ちが、そのまま口調に出てしまう。 「すばるって、男の子の名前じゃないですか。小さい頃から散々からかわれるし、病院とかでも間違われるし、ホント嫌な思いばっかりですよ」 「まあ……確かにすばるは、男の子に多いかもしれませんが」 「でしょう? 男の子が欲しかった父が、やけくそに男の子みたいな名前を付けたんですよ。馬鹿みたいでしょ?」  名前の由来を考えると、いつもじわじわ~っと腹が立ってくるのだ。言葉の端々の小さなトゲに、クマさんがひるんでいる気配が伝わってくる。    その微妙な間の後で、クマさんが遠慮がちに言った。 「でもすばる……プレアデス星団は神話の七人姉妹からきてるんですよ。実は女性の星なんですよ~」 「えっ?! そうなんですか?」  そんなの初耳だ。食い付くすばるに、クマさんが我が意を得たりとにっこり笑顔で大きくうなずいた。 「それも、仲良し美人姉妹です」  ナヌ、美人姉妹~?! 「ええー! 小さい頃に知ってたら、言い返せたのに~! あ、いや、残念ながら美人は当てはまらないけど……」  悔しがるすばるに、クマさんが可笑しそうにクスクス笑う。 「お父様は星や宇宙がお好きなんですか?」 「うーん……そんないい趣味あるようには思えないですけど。とにかくひたすら仕事人間で、家にゆっくりいた試しがないんですよ。  小さい頃から、家族でどこか出掛けた記憶もないし」  趣味どころか、すばるは父の事をほとんど知らないのだ。  そして恐らく、父もすばるの事を知らないのだ。好きな物嫌いな物、得意な事苦手な事、そのほかも全部……。 「小さい頃なんか、父親だって分かってなくて、また来てねって言ったっていう逸話があるくらいですよ」  すばるが笑えるようで笑えないエピソードを披露すると、「あらら……」。クマさんが苦笑いした。 「私が、父の願い通り男の子だったら、もうちょっと家に寄り付いたのかも知れないですけど。……ま、そればかりはどうしようもできませんからね~」  ついポロッとこぼれてしまった本音を、軽く笑って誤魔化す。  そう、男の子だったら良かったのにって小さい頃から何度思ってきたことか。その思いは大人になった今も、すばるの心の奥にくすぶっているのだ。 「あきらめきれずに男の子の名前を付けた、ですか。でも、きっと理由はそれだけじゃないと、思いますけどねえ~」  少し考え込んでから、クマさんが言った。  口調はおっとりなのに、自信たっぷりに聞こえるのはどうしてだろう。  すばるがそっと隣を盗み見ると、思いのほか優しい笑顔がこちらを向いていて、ドキッ! 心臓が飛び上がった。 「『星はすばる ひこぼし ゆふづつ……』聞いたことありませんか?」  え? あるような、ないような。すばるは、ふるふると首を横にふった。 「枕草子の一節です。『星はすばる、彦星、金星が特に美しい』という意味なんですよ。清少納言も夜こうして星を眺めていたんですねぇ。  電気のない時代ですから、きっと、空一面に今と比べものにならない数の星が輝いていたでしょうねぇ」  そこでクマさんは一旦口を閉じて、夜空を見上げた。その目には空一面の星空が写っているに違いない。  すばるも同じように空に目を向けて、清少納言が見上げた夜空を想像してみる。  いつか読んだ本に、白い砂粒をまき散らしたようなって表現があったっけ。実際にこの目で見れたら、さぞかし綺麗なんだろうなあ。  得意の空想力をフル回転させて、夜空に満天の星空を描いていると、隣からのんびりのんびり声がした。 「それほど沢山の星が輝く中でも、一番美しい。  そう思う位、昴は人の心をつかんで離さない特別な星だったんですねぇ~」  クマさんのゆったりとした柔らかな声が、夜空に溶けていく。  昔から人の心をつかんで離さない星。特別な星。--その言葉の新鮮な響きに、なぜか心が揺さぶられた。 「昴は……あの辺りです。赤っぽい星の近くに星が五、六個集まってるところがあるでしょう?」  言われて、クマさんが指差す方向を見ると、点々と星の集まりが見える。 「是非、双眼鏡で見てみてください」  クマさんのダウンジャケットの中から、黒い双眼鏡が出てきた。さっき空き地で見てたやつだ。受け取ると、ズシッと重い。 「まず、先ほどの赤い星、アルデバランを双眼鏡で捉えてください。そうしたら、そこから斜め上にゆっくりずらして……」    言われる通りに双眼鏡でたどっていくと、暗い窓に突然沢山の星が飛び込んできた。 「わぁ~……」  目の前に広がる光景に、すばるは思わず息を飲んだ。  肉眼では数個しか見えなかったのに、何この星、星、星は!  濃紺の宇宙空間を背景に、大粒小粒の青白い星が、煌めくダイヤモンドみたいに一面に散りばめられているのだ。  まるで宝石箱をのぞいてるみたい……。これが、昴……?  いつもの夜空に、こんなに綺麗なものが隠れているなんて……。  双眼鏡から目が離せない。すばるが食い入るように見ていると、クマさんの声が耳に届いた。 「たくさん星が見えるでしょう? 120個ほどの星が集まってるんですよ。昴という呼び名には、たくさんの星が集まっているという意味があるんです。」  120、そんなに?! すごいな、星の花束だ。 「昴のプレアデス姉妹はギリシャ神話ですが、他にも世界のいろんな所で、昴にまつわる伝説があるんですよ。  中国、オーストラリア、タイ、ミクロネシア、インドネシア……インディアンの間にも。国籍や人種を越えて愛されている星です」  どこか誇らしそうにクマさんが言う。  日本どころか、世界の人に愛されている星かあ……。  双眼鏡を外して、今度は自分の目で昴をうっとり眺めていると、穏やか~な声が聞こえてきた。   「お父様がどんな思いを込めてすばるにしたのか、もちろん真相は分かりません。でも、こんな素敵な星の名前を、どうでも良いと思ってる子につけるとは、僕は思えないんです。  男の子じゃなくたって、やっぱり大切で、愛しくて、可愛くて、だからあの名前を贈りたいと思ったんじゃないでしょうか」   「そうなのかなぁ……」   だとしたら、男の子じゃなくても私の誕生を、父は喜んでくれてたのかな。  少なくとも生まれたばかりの赤ちゃんの頃は、父に愛されていたのかな。  ……そう思いたいけど、分からない。やっぱり、ただの都合のいい解釈の気も、してしまう。  けれど……。  --美人姉妹のすばる。清少納言が一番美しいと言ったすばる。世界中で愛されているすばる。  なにより、この目で見た、煌めく宝石のようなすばる……。  父が付けたすばるって名前そのものは、そんなに悪くないかもしれない……。  そんな気持ちになっていることに、すばるは驚いた。    結局自宅マンションまで送ってくれたクマさんに、すばるが丁重にお礼を言うと、 「どうです? ご自分の名前、少し好きになりましたか?」  つぶらな瞳を期待でキラキラさせて、クマさんが言った。 「うーん、『大嫌い』から『普通に嫌い』位にはなったかなー」  すばるが正直に言うと、「そうですか……」。目に見えてガックリ肩を落としてしまった。    けれども、『大っ嫌い』から『普通に嫌い』になっただけでも、すばるにとってはものすごく革命的なことなのだ。  黒船がどどーんと襲来に匹敵するような大事件なのだ。  期待に添えなくて申し訳ないけど、そこらへんは是非とも分かってもらいたい。  すばるが口を開きかけた時、 「……僕はあきらめません!」   シュンとうなだれていたクマさんが、キッと顔を上げた。  ……は?  咄嗟に意味が理解できずにポカンと見返すすばるに、クマさんが重々しくうなずいた。 「星好きとして、どうしても見過ごせないんです。あの昴と同じ名前なのに、自分の名前が嫌いだなんて。  僕は、あなたに自分の名前を好きになってほしいです。ですから……あきらめません」  へっ? ……もしかして私、クマさんの星心に火を付けちゃいましたか?! すばるの額にタラーリ、汗が流れる。 「嫌いのままでいいですってば~!」 「嫌です!」  なんだそりゃー! ただのロマンチストなクマさんかと思ったら……。やっかいだ。めちゃくちゃやっかいだ、この人ー!! 「これ、僕のやってるカフェです。そこのマンションの七階で夜限定のカフェを開いています」  クマさんが、すばるの目の前にピッと一枚の薄いカードを差し出した。  よくよく見てみると、濃紺に金色の星座が箔押しされている素敵なカードには、『カフェ・星あかり』と書かれているではないか。 「カフェって、まさかの星カフェですか?!」  クマさん、ただの星好きじゃなかったのかー! どうりで色々詳しいと思ったよ! 「はい。是非いらしてください。時間はかかっても、きっとあなたを自分の名前が好きにさせてみせますから!」  クマさんの優しい目の中に……メラメラ炎が見える。どうやら完全にスイッチが入ってしまったようだ。 「私こう見えてかなり頑固ですよ……?」 「望むところです!」  余計にキラキラ顔を輝かせるクマさんに、すばるはダメだこりゃ~と完全にお手上げ状態である。  ああ、『すばる』が嫌いなんてやっぱり言うんじゃなかったかもー!   「それでは、またカフェでお会いできるのを、楽しみにしていますね~」  にこにこ嬉しそうに笑って、クマさんがシェパード君と帰って行く。その後ろ姿まで、心なしか弾んでいる。  しょうがないなあ~。こんなに期待されたら行かない訳にいかないじゃないの……。  半分呆れながらも、ふつふつ笑いが込み上げてくる。  どうやら、これから当分の間、すばるはクマさんの星カフェに通う事になりそうだ……。  黒船をもたらした1人と1匹の背中が夜の住宅街に消えていくのを見送って、すばるがふと空を見上げると--。  きりっと冴え渡った深い紺色の空に--清少納言が一番美しいと称えた星が、静かに瞬いていた。
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