2つの記憶

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2つの記憶

俺は、なぜ父が泣いているのか、理解できなかった。 覚えているのは、ベッドに横たわる母親と 椅子に座り、母の手を握りながら震える父。 覗いて見てはじめて、父が泣いているんだとわかった。 悲しいから泣く、そのくらいはわかっていたはずだが、死というものを理解していなかった俺には、初めて見る父の泣き顔から、その意味を見つけることができなかった。 少しだけ、その意味を感じさせられる出来事が、母の死から5年後におきた。 飼っていた犬のランが死んでしまったんだ。 その犬は、俺が父にお願いして他の家から譲り受けたものだった。 経済的な余裕もなかっただろうに、よく許してくれたなと思う。 今思えば、父も心の癒しが欲しかったのかもしれない。 ランは、父が忙しいので主に俺が世話をしていた。 初めの頃こそちゃんと世話をしていたが、時間が経つにつれて少しずつ、少しずつ、ランの世話をすることが少なくなった。 そんなランが事故で死んでしまった。 悲しくない、といえば嘘になる。 だが俺の心の中には、もう世話をしなくていいんだ、という気持ちが確かに生まれてしまっていた。 だが、居て当たり前の存在が急にいなくなった。そのせいか、俺の心には小さく穴が空いたんじゃないかと感じた。 これが、俺が初めて感じた小さな「悲しみ」という感情だった。 もう1つ、覚えていることがある。 …憂依、あなたの名前には、他人のことを心配し、助けてあげられる人になってほしい、ていうパパとママの願いがあるのよ?それと、もう1つ… 俺の名の意味を語る母親の姿だった。 俺が幼すぎることもあってか、その時母がどんな顔をしていたか、2つ目の意味はなんなのか、はっきり思い出せない。 父に聞こうにも、俺はもう高校1年生になり、思春期だった。もう素直に向き合えるような歳じゃなかった。 この情名高校に入学し、もう2週間が過ぎた。 どうやらこの高校は何かしらの部活に入らなければいけないらしく、俺は頭を悩ませていた。 やりたいと思うことなど何も無い、つまらない男だった。 俺はその日も、1人でいつも通り帰ることにした。 いつも通りに雲を見ながら、帰ったら何しようか考え、 いつも通りすれ違う小学生たちを見て、元気だなと思い、 いつも通りに、なんとなーく並木道を通って帰っていた。 いつも通りじゃなかったのは、その先にそいつがいたことだけだった。 風が強く、そいつはきれいな茶髪を抑えながら、何か困っている様子だった。なにか探す仕草をしていたわけではなかったが、なんとなく、そう感じた。 何事もなく、普通に横を通り過ぎようとした。 いつも通りの俺の頭の中に、突然記憶が蘇る。 …憂依、あなたの名前には、他人のことを心配し、助けてあげられる人になってほしい、ていうパパとママの願いがあるのよ? ······ 「っ。なぁ、困っているみたいだけど、どうかした?」 何を思ったのか覚えていない。 気づけば俺は、彼女に声をかけていた。
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