最終章、かぞく

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 その日の夜、厳正は和室の仏壇に手を合わせていた。将人は二階で勉強をし、久美子はリビングでテレビを見ていた。アーサーは和室の襖に僅かに開けてあった隙間を通り抜けて厳正の横にちょこんと座った。 「おう。お前か」 「すいません。手間かけさせてしまって」 「出来の悪い息子の親友を守るためなら犬さらいでもなんでもなってやるさ」 厳正はアーサーが話を出来ることを知っていた。 「あの子にはまだ遊くんが必要だ」 尚且、息子の亡くなった親友の遊章であることまで知っていた。 厳正がアーサーのことを知ったのはごく最近であった。厳正はアーサーがこの家に来た当初から将人の独り言が増えていることに気が付き、わざとらしく「ワン!」と相槌を打つアーサーを不審がっていた。アーサーが将人に嫉妬をして厳正に散歩を任されている時、アーサーは道路の縁石の上をとことこと歩いていた。 「お前、起用に縁石に乗るなぁ。綱渡りみたいだな」 「ワンっ!」 その相槌を聞いた瞬間に厳正はアーサーをひょいと抱き上げて黒真珠を思わせるぐらいに輝くその目をじっと見つめた。その両眼には厳つい厳正の顔が大写しになる。 「お前、やけに人の言葉に相槌を打つな? お前、人の言葉がわかるんじゃないのか?」 アーサーは必死に首をぶんぶんと振った。それを見て疑惑はクロに変わった。 「おい。犬が否定するために首振るとはどういう了見だ? 俺は久美子程甘くねぇぞ? 将人も最近夜中にブツブツ言ってるのが聞こえるしなぁ。お前、人の言葉話せるだろ? そうでなければ将人がおかしくなったことになる。あいつは本当に出来は悪いがおかしくはない」 アーサーは顔を歪めて媚びるような目で厳正の顔を見つめた。だが、厳正は容赦する気配は全く無い。厳正は厳しい目でアーサーを見つめ返す。 「隠しきれないか」 ついに将人以外の人間の前で言葉を発したアーサー。厳正は大層驚くかと思われたがそんなことはなかった。 「近くのペットショップのオウムだって喋ってるぐらいだ。喋る犬がいてもいいじゃないか」 それとこれとは話が違うんだけどな…… アーサーがそんなことを思っていると厳正は優しく抱き上げた。 「こんなところで話をしていると捕まって見世物にされちまうぞ。目立たないところに行こう」 アーサーと厳正は家から少し離れた公園に向かった。その公園にあるサイクリングロードの池沿いにあるベンチに二人座り会話を始めた。 「で、君は何者かね? 妖怪の猫又とかに近いアレかね?」 「元は普通のチワワだったんですけどね……」 アーサーは自分の身に起こったことを全て説明した。 「なるほど。死んだらバルハラ宮殿でオーディンに復活させて貰ったと。そう言いたいわけかね」 厳正は北欧神話に対して明るかった。若い時に見ていたアニメから得た知識である。 「そうです。生き返ったら犬だったんです」 「輪廻の輪の先は犬、それもチワワだったと」 「信じてくれるんですか?」 「まさか将人の親友の遊くんとはな。遊くんが嘘を吐くはずがないから信じることにする」 「ありがたいです」 「で? どうするね? 須和さんの元に帰るかね? 一応連絡先は聞いてるから届けてやれんことはないぞ」 「両親ですか……」 「帰ったところで君の方が複雑なんじゃないか?」 「そうですね……」 「わかった。今更、須和さんに犬飼わないかって俺が言う問題でもないしうちにいてもらおうか」 「お気遣い。ありがとうございます」 「うちとしても久美子が君にのぼせ上がっているし、何より将人だ。将人にとって君はかけがえのない親友だったからねぇ。君が亡くなった時はずっと部屋に籠もって泣いていたんだぞ」 「すいません」 「事故死なんだから君が謝る必要はない」 「あの、将人くんにお父さんに僕が喋れることがバレたってことは」 「言わなくていい。君と将人の二人だけの秘密にしておきなさい」 父の息子に対するやさしさがそこにはあった。
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