1042人が本棚に入れています
本棚に追加
/345ページ
鋏を握りしめた瞬間、違和感が私の身体の中を駆け巡った。手の感覚が無く、鋏の重ささえ他人事のようだ。
「不思議……この鋏、昔からずっと私の鋏だったように手に馴染む。でも……」
気を許しては駄目。これから作品を仕上げるというミッションを成功させないといけないのに、鋏を握れたくらいでホッとしていたら飲まれちゃう。
装備したくらいで落ち着いては駄目だ。心をこんな所で休憩させてはいられない。
前へ。
花器は倒れたお弟子さんのをそのまま使おう。
「凛々胡はん、ほんまに止めといた方がええです……」
「ありがとう。それよりも手伝って」
私はお弟子さんと一緒に会場の出口付近へと移動した。
「良かった。やっぱり出口に作品は飾られて無かった」
作品数が減った場合、会場の出口付近に飾る予定の作品を減らすのが横山派では一般的だ。見せたい作品や代表格となる作品は展覧会の会場の中盤あたりに設置している。
出口付近に飾るのは、しっとりしていたり、やや印象が弱い作品を敢えて置くのが鉄則。そうすることで「あぁ、もう一度代表作品が見たかったなぁ」と思わせるのだ。
むしろ『花器』だけで華を飾らないという手法もありなの。でも、そんなやり方は使い古された表現法であり、陸・セガールさんにそんな技が刺さるわけがない。
だから無理してでも作品を仕上げる必要がある。
「凛々胡ちゃん、持ってきたよ」
「ありがとう」
余っていた華一式を持ってきてくれたお弟子さん。私はその中から選び早速作業に入る。華の高さを整える為、鋏を入れた瞬間に異変は起こった。
「えっ、嘘……」
鋏を入れた瞬間、持っていた華が一瞬にして枯れたのだ。ドライフラワーになったかのように色を失った花。砂漠に植えられたようにいっきに水分が抜け、生命の終わりを告げた。
びっくりしたわたしは鋏を落としてしまった。急いで拾い上げると、床の畳が少し変色していた。
「凛々胡ちゃん、華も床も枯れてる……やっぱり止めた方が良いよ、絶対に呪われる」
不穏な空気が立ち込める。目眩で後退りするお弟子まで現れた。
最初のコメントを投稿しよう!