二 売場は戦場だった

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二 売場は戦場だった

 ひとまず、護は用があって出現したのではなく、すぐに成仏もしない、必要もないこと、冬晟も仕事が途中であることから、パン屋に戻ることになった──  階段を、冬晟は歩いて下りる途中、館内をあらためて眺めた。 「ここ、郵便局だったのか……」 「まぁ、役場も郵便局も似た様なかんじ? 子供の頃は違いなんて、わかんなかったもんなー ……ところでなんで、ここにしたの?」  自分の店を出すのに、木造で、リノベーション可能の物件を探していた時に出逢ったのだが、まさか護と関わる場所とは思わなかったと、冬晟は話した。そのまま続けて…… 「ここでは酵母がうまく育ってくれるんだ。──それなのに、あいつ……」  不穏な表情を浮かべかけ……パッと切り捨てた。冬晟は職人の顔になって、厨房に入って行った。  残された護は、これからどうしようと考え──店をもっとよく見てみようと思った。冬晟と違い、宙にふわっと浮かんで降りかけて、自分が緑色の制服姿なのを思い出す。  ──元郵便局に、昔の郵便局員姿……未練たっぷりの幽霊みたいで、アレかな……。  ちょっと意識を集中して、別の格好を想像すると、うまく衣装チェンジできた。  生前、気に入りだったTシャツに、いい具合に色落ちしたジーンズ、履き込まれた感のある革靴を合わせる。靴は、想像だ。履き込む前に死んでしまったし、若い頃にそんなものは持ってなかったので。 「お、なかなか、いいじゃん?」  靴とジーンズの履き心地だ。久々に、いい格好をした時の高揚感を味わう。  少し浮かれ気分で売場に降り立つと、レジに入っている、若い女性と向かい合った。 「服、変えたんですね」 「僕が見えてるよね」  ほぼ同時だった。  最初の時に、階段から降りてきた護に気づいて、顔を強張らせたのだから、見えていない筈がない。 「私、妹の星名(せいな)です。初めまして」  ハンチング帽からこぼれた、ウェーブがかった茶髪を揺らして言った。兄が美形なら妹は美女──柔和な表情の彼女には、北谷斗眞の面影があった。 「北谷先輩の、娘さんか……どうりできれいだ……」  それに、兄妹そろって霊感があって、自分を見ても動じない。よく似るものだと思う。 「いえ、そんな……でももう、子持ちですから」 「へえっ? まだ、二十歳くらいにしか見えないのに」 「二十四です。二歳になる娘がいます」  冬晟が自分の店を経営していて、妹の星名はそういうことだから──他人の子供の成長は早い、と、つまりそういうことだろうか? 「時は流れたんだな」 「……ちょっと、わからないです」  星名は、アーモンド形の目を、少し細めて言った。何をしても、美人だ。 「兄妹で、店を切り盛りしてるんだ?」 「……夫も。それと、週2で製造パートさんと、土祝に来てくれるバイトの子がいます」 「へぇ、旦那さんまで手伝っているんだ。お店、繁盛してるんだね」 「手伝っている、というのとは少し違いますが……お店はまぁ、程々には」  噂をすれば、だろうか。店奥から、星名と同じ柴染(ふしぞめ)色のハンチング帽に、黒いポロシャツ姿の男が現れた──。  帽子の下の髪は焦げ茶で、短く刈られており、体育会系会社員といった雰囲気。星名に相応しく、美形の部類だが、冬晟とはまったく別のタイプだった。 「……また、こんなに出して。前は看板メニューだったからって、七種類も作ることはないだろ」  護をまったく無視して、テーブルに陳列されたペストリーを見て、忌々しそうに言った。……ということは、この男には護が見えていない。 「夫の、貴仁(たかひと)です」 「は?」  星名は護にだけ聞こえる小声で言ったが、無人の店内では、貴仁にも聞こえたらしい。 「ううん、なんでもない」  星名はスッと、背後に貼ってある板を指差した。『食品衛生責任者 三城貴仁』とある。  ──ってことは、妹さんは、三城星名っていうのか。  三城と書いて、サンジョウなのか、ミキなのか──は、後で冬晟の口から知ることとなる。 「まぁ、いいでしょ。ペストリーは前からのファンの方が買ってくれるし、むしろ、ない方がクレームつくじゃない」 「だからって、こうやって何種類も置いてるから、いつまでもペストリーはないのかって言われるんじゃないか? うちも、いつまでもパン屋ってわけじゃないんだから、品揃えは見直していかないと」  ──いつまでもパン屋じゃ、ない……?  そこに引っかかる護だが、星名はあっさりスルーして、 「それよりも、見て。あなたの作った総菜パン、殆ど残ってないでしょう。人気なのよ。閉店前に駆け込みでくるお客さんもいるから、早く追加を作ってしまってよ」 「ああ? ……そうだな」  まだ、残りに余裕があるペストリーに比べて、端の方はガラ空きだった。さっき、護が見た時にあった、照り焼きチキンのパンは、なくなっていた。その他にも、惣菜系のパンがたくさん並んでいたのは、油などの痕跡を見ればわかる。──確かに人気なのだ。  三城貴仁は機嫌を良くして、厨房へ入って行った。それを見届けると、星名が…… 「彼、元は料理人で……と言っても大学生の時、バイトで調理を任されていて。私達はそこで出会ったんですが、凄く評判なのを見てました。卒業後は、経営コンサル業に就いて……それで、自分の料理の腕と、飲食店経営できる自信があるんです。実際、惣菜の味の評価は高いけど……」  その言い方だと、パンはそれほどでもないと言う風に聞こえるのだが──パン屋で、それはないのでは、と、思っていたところで、 『いつまでもパン屋ってわけじゃない』  発言を思い出した。  ──ああ、なるほど……義理の弟君は自分の料理に自信があって、ペストリーとか並べているパンメインなのが、気に入らないんだ。……でも、ここは冬晟の店だよな? 後から、しかも妹婿で入って来て、それは言えないんじゃないかなー  だから、星名にだけ、愚痴をこぼしたのだろうか。  だとすると、厨房にいる冬晟とは、どんな顔を突き合わせているのだろう……?  護はそおっと、厨房の方を見た。  白いコック帽にコックコートの冬晟と、ハンチングと同色のエプロンを付けた三城貴仁が、傍目から見ると、不思議に共生している。  ふたり共がそこの主に見え、例えるなら、フレンチのコックと、居酒屋の料理長が、同じキッチンで立ち振る舞っているみたいだ。  そして、お互いに互いを意識していない。まるで見えていない様に立ち動いている。果たして、この義兄弟は、割り切った大人なのか、究極の不仲なのか──護にも兄がいたが、血が繋がった兄弟だったし、義理の兄弟の関係はまるでわからない。 「違うお店をしたいのなら、他所に出せばいいのに、どうしてここで一緒に?」 「それは──ここを買って、まだ二年半で、いろいろと事情があって……離れるわけにはいかなくて」 「ああ。何かわからないけど、ここだと酵母がよく育つんだって、さっき、冬晟が言ってた──パンを焼くのにいい菌が要るんだろ? 僕はパンなんか作れないけど、菌で焼いて作るっていうのは、知ってる」 「……正確には、菌を焼いてるんじゃないんですよ」 「そうなんだ、よくわからないけど」  星名は美女の瞳で、やけに困った様な表情をしていた。  その意味もよくわからないが、兄と夫に仲良くして欲しいのだが、そうもいかないという、困惑顔だろうか。  確かに、冬晟は意志を曲げないだろう。  間違ったものを作っていないと信じている人間の、味がした。自分にそういうものは作れないが、そう思っている人間の精神は、人としてわかる気がする。  他人に疎まれても、理解されなかったとしても、自分が間違っていなければ、貫きたい──冬晟がそうしたい人間というなら、応援したい……そうすることで、北谷斗眞にできなかったことが、もし、埋められるなら──  ──それはちょっと違うか…… 冬晟君は冬晟君だし、先輩は先輩だ。  しかも、斗眞はもう、亡くなっているのだ──そう考えていると、斗眞が死んだ時の話など、まだ殆ど聞いていないのに気づく。  パン屋で支店も出し、弟子も店を出す程の規模で経営していて、いまはその店はなく、息子の冬晟が、いままたパン屋をやっているのには──たくさんの事情がありそうだ。  ──それを全部聞いても……何にもならないけどな……  死んだ人間に、できることなど何もない。  わかっているが──なら何故、自分はいまださまよい、いま、ここにいるのだろう……                  ☆  四時過ぎには店を閉め、会計処理や掃除を済ませると、星名は急いで帰って行った。二歳の娘をこれから迎えに行くらしく、母親の顔になっていた。  三城貴仁の方は、いつの間にか消えていた。護もずっと店内を眺めていたわけではなく、気づいたらその時間だったので、まぁ、いつかのタイミングに帰ったのだろう。  そんなわけで、厨房にはいま、冬晟しかいない。心なしか、のびのびと動いているのが見えた。大変なのも伝わるが、好きなことに打ち込んでいる、それゆえのしんどさと楽しさが伝わってくる。  ──ああいう仕事はいいよな。自分もあんな職業に就きたかった……最初に民間企業に入っていたら違ったかもな……  と、護は考えてしまっていた。  郵便局──護が入った当時は、郵政省という行政機関が運営し、勤務する人間は公務員だった。  公務員、食いっぱぐれがなくていいじゃない、と、家族親戚ご近所の評判も上々──だったが、護自身がそう考えて、選んだ道ではなかった。  その頃、平成不況が直撃し、三歳上の兄、(まなぶ)の就職は困難を極めた。まず、大学名で振り落とされ、面接まで辿り着くことができない。真面目に優秀にやってきた人間ほど、こんなバカな……と、打ちのめされた。  本條家では、兄が優秀で、兄にできないことは弟にできるわけがなかった。事実、兄は入れた公立高校に、護は受験で失敗した。滑り止めで受かっていた私立に進学できたものの、公立の何倍も高い授業料を払う羽目になり、両親はひどく落胆した。  護は別に、勉強ができないわけではなかった。入った高校では成績優秀で、教師も周囲も当然、大学に進学するものと思っていた。  だが、大学に行ってさえ、就職できない兄のひと声──「高卒で公務員になれば?」……で、一変した。 「護くらいの学力の大学生なんて、世の中にいっぱいいる。そんな学生、企業は採らない。大学に四年通っても、時間と授業料の無駄」  ただでさえ、高校が私立で金がかかっている──そんな負い目があって、他に並みいる大学生に自分もなりたいとは、言えなかった。  それに、公務員試験を受ける、郵便局員になると言えば、「ああ、それなら大学まで行かなくても……」と、誰もが言ってくれた。  ただ、ひとりの男を除いて。 『本條、大学に進学しないって聞いたけど、本当か?』  高校で、ひとつ上だった北谷斗眞──天文学部の先輩だった。  金のかかる私立高校らしく、校内にプラネタリウムなどという施設があった。ここに入学しければ、しなかっただろうという部活を、あえてしてみようと、特に星に興味があるわけでもないのに、その部の戸を叩いたら、その向こうにいたのが、斗眞だった。  斗眞は、名前の一文字が、北斗七星の『斗』と同じで、星になじみがある気がしていて、天文学部に入ったらしい。かなりの優等生だったが、宇宙方面に進学する気はないそうだ。 「もっと気楽に、勉強の合間に、星を眺める──そんな風に楽しめたらいいじゃない?」  安らぎを感じさせる声、口調で、話す人だった。  そうして誘われるままに、校外、野外へ、星空を見に出かけて行った。そして、斗眞が卒業した後も、「夏休みに入ったから、久々に会おう」と、言われる間柄になっていた。  町外れにある海岸で、夏の星空の下、再会した。  その時の開口一番が、 「本條、大学に進学しないって聞いたけど、本当か?」  ──だったので、ひどく驚いた。  どうして、知っているのか……いや、知ってくれているのだろう、と。 「進路指導室で、同じ大学の資料をもらっているのを見たから、てっきり、後を追って来ると思ってた」 「あ、ああ、あれ……」  昨年、斗眞の受験先を知り、情報が知りたくて、その大学の資料を取りに行ったのだ。言われてみれば、その帰りに会った気がする。まさか、そこまで見られて、そう思われていたとは思わなかった。……護は、進学できない事情を話した。すると── 「事情はわかったけど、でも、きみの気持ちはどうなんだい? ……いまの話に、きみの意思が入ってなかった」 「僕の意思なんて……本当に進学したければ、親に頼み込んだはずで。でも、そこまでしなかったから──大学に行く気はなかったんです」  ただ、斗眞が進学する大学と知って、自分でも入れるだろうかとか、確認がしたかっただけだ。天文学部に入った時と一緒で、そこで何をする、したいという目的はなかった。  しかし、どういうわけか、この時の斗眞はしつこく問い質してきて──仕方がなく、 「北谷先輩が行くから知りたかっただけで、本当に、大学に進学する気はなかった」  とまで、告白させられてしまった。すると、今度は…… 「僕は、きみが好きで、同じ大学に来るのをずっと待っていたんだ。進学しないというのなら──せめて、僕とつきあって」  好きだとか、同じ大学に行かないからつきあうとか、そもそも男同士なのにどういうことかとか──護が、わけがわからないと混乱しているうちに、 「──ごめん、いまのは僕が悪い。きみの気持ちを考えてなかった。だから……なかったことにしてくれる?」  と、急にピシャリとシメられてしまった。  少し驚いたが、いまのをなかったことにすれば、この混乱を帳消しにできるというのはわかったので、護は首を大きく縦に振った。  その時の、斗眞の細められた目が、いまも忘れられない──…  ──僕は、あの時、先輩を傷つけたのかもしれない……  自分なんかが断って──大体、ただの冗談だったのかもしれない。それなのに、なかったことにしていいと大きく頷かれて、優秀で優しい北谷先輩には、プライドに傷が……  そう考えるともう、どう、斗眞に接したらいいのか、わからなくなってしまった。  その後、護は郵便局員になり、北谷斗眞は優秀のうちに大学を卒業、一流企業に就職──二度と会うこともないまま、お互いに人生までもが終わっていた……。  ──ただひとつ、言えるのは。  硝子の向こうに、斗眞の忘れ形見、冬晟の姿を見て、思う。……こうして離れて、よくよく見ると、少し面影はあるかもしれない。  ──先輩は、僕のことを認めてくれて、気にかけてくれていた。僕をあんなに見てくれていた人は、他にいなかった……  ふるっと、視界が熱く揺れる。霊でも、こんな風に泣けるのだと、護は思う。そんな潤んだどんぐり目で、厨房にいる冬晟と、硝子越しに目が合う。  冬晟は、グレーがかった瞳で見つめ返してきた。傷つくことなど知らなそうな、強い男の目だった。そこは、斗眞と似てなかった。
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