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十五話 最愛の恋人
(覚えていて大切に思って下さっているのだとしても、きちんと過去に出来ているのならいいのだけど)
恐れてばかりいても仕方が無い。気を取り直したジョシュは、まずはモリーの所へと向かった。
昼を控えた厨房はよい匂いに満ちている。半地下にあたる厨房だが、火を使っている為に十分暖かく、明かり取りの窓からも春の日差しが降り注いでいた。
「あら、ジョシュ様」
「モリーさん、何か手伝うことあるかな?」
「そうですねえ。昼からなら、夏用の食器の手入れをしたいなと思っているんですけどね」
今はない、と言うことなのだろう。事実、モリーは昼の支度はすっかり終えてしまったのか、カップを片手に今まさに腰掛けようとしている所だったのだ。
「ジョシュ様も飲みますか?」
「ありがとう」
モリーはポットのハーブティーを注いでくれる。使っているハーブはこのヒース邸で栽培したものだ。
ジョシュはモリーの向かいに腰掛けると、適温のお茶に口を付ける。カモミールとレモンの爽やかな風味だ。その風味を味わいつつ、ジョシュはモリーに世間話を仕掛ける。話題は、以前モリーから聞いたことのある『妹が結婚した話』だ。そこから話を膨らませて、妹やモリーの友達、その友達の貴族の話、そこで聞きかじった貴族の恋の話――そして最後に、レイナルドの恋愛遍歴を話のついでのように訊ねてみた。
が、反応は芳しくない。
「男女問わず人気のある方なのは、見たとおりですよ」
「――そりゃあそうですよね。顔も良し家柄も良し」
「性格だっていいですよ。大変一途な方です――さ、お昼にしましょう。ジョシュ様、お皿を出して下さいな」
モリーはヒヤリとすることを言ったが最後、話題を打ち切った。
バリーとカーラにも日を跨いで機会を伺い、同じように訊ねてみたのだが、やはり分かりやすい返答は貰えなかった。
『シュウの後にも恋人がいた』
その事実を確認したいだけなのだが。誰もが触れてはいけない事のように話を切り上げてしまう。
もちろんレイナルド本人に聞く訳にはいかず。
やむなく、尋ねてきたセシリアにまで問いかけてみたのだが、『今の恋人は貴方なのだから自信を持って!!』と何故か必死に励まされる始末。
そして弱り切ったジョシュは、庭に居た――レイナルドに入ってはならないと言いつけられた、ヒースの庭の入り口、ナツユキカズラのアーチの近くに居た。
(墓所だと、レイナルド様は仰っていた……)
あの時はメイベルの墓だろうと思い込み、それ以来ここに近寄ることはなかったのだが――。
(レイナルド様が僕の死亡後に誰かと付き合ったとして、その人まで死ぬ確率はどのくらい……?)
そんな不吉な確率は、おそらく高くないはずだ。だとすれば奥庭にあるのはやはりメイベルの墓――でなければ、シュウの墓だ。そもそも冷静に考えれば、メイベルの墓をジョシュに隠す必要がないではないか。
けれどもジョシュは、シュウの墓が市民墓地にあることも知っていた。となると、ここにまでシュウの墓があるとも考え辛いのだが。
(何にせよ、見れば分かることだ)
そう思っているのに、足は地面に縫い止められたように動かない。
メイベルの墓なら現状維持だ。見知らぬ他人、つまりレイナルドの恋人の墓だった場合は多少なりと落ち込む。問題は、シュウの墓だった場合だ。
(シュウの墓だったら僕は――僕たちは)
「ジョシュ様、こんな所でどうかなさったんですか?」
不意に掛けられた声に、ジョシュは小さく飛び上がった。警戒するように尾を跳ね上げ、羽を広げて振り返る。
「……ギャロ……、さん?」
こうして驚かされるのは二度目の、ギャロである。いつも通りの薄い微笑を浮かべて、慇懃な礼を見せてくる。
「ベリンダ様からの贈り物を届けに参りました」
「あ、ああ……いつも有り難うございます」
庭での遭遇は二度目だが、邸では何度も出くわしている。
「こんな所で何をなさっているのですか?」
「え……、いえ……」
「この奥に入るのを躊躇っていらっしゃる?」
ギャロは意味ありげにナツユキカズラのアーチを、その奥のヒースの庭を見つめた。
「…………」
「無理もありませんね。何と言っても、この奥にはレイナルド様の最愛の恋人の墓があるわけですから」
ジョシュは弾かれたように顔を上げてギャロを見つめる。取り繕う気も回らなかった。
そんなジョシュを見て、ギャロは僅かに眉を動かした。
「貴方は、その最愛の恋人によく似ていますよ」
「え……?」
似ている? シュウとジョシュが? 思いがけない事を聞いて、ジョシュは目を瞠った。シュウはありふれた茶髪の平凡な顔立ちの少年で、現在のジョシュは白金の髪に菫の瞳という際だった色彩を備えた美貌だ。似ている箇所など、ジョシュ本人の記憶をひっくり返してもどこにも無かった。
(あ……つまり、レイナルド様の最愛の恋人っていうのは……シュウじゃ、ないんだ……?)
察してしまった真実に胸が軋む。
「笑顔がとてもそっくりです――というか、表情や仕草全般が似ているように思います」
「……ギャロさんはその方をよくご存じなんですね」
わざわざ邸の庭に墓を作るくらいだ。死んでも離したくない恋人だったのだろう。とすれば、ヒース邸に住んで居たのかも知れないし、それならばレイナルドとその恋人の仲はメイベル公認だったはずである。
「幼い頃から一緒でしたから」
「……?」
そこで再び混乱させられる。ギャロの幼い頃といえば孤児院時代だろうが、あそこには金髪に菫の瞳の子供などいなかった。
「この邸で一緒に働いていたんですよ、小姓として。とても朗らかな良い子でした」
ギャロは『朗らかな良い子』と呼んだその相手を思い返し慈しむような、優しい眼差しでヒースの庭を見晴るかした。
更にもたらされた情報の奇妙さに、ジョシュは目を瞬く。
「あの、そのひとの名前は――?」
どう考えても、シュウだとしか思えない。だがそれならば、ギャロの態度と評価が変だ。
ギャロが庭から視線を戻し、ジョシュを見つめる。薄く形のいい唇が躊躇いを見せずに開きはじめた――その時。
「ギャロ」
低く重く響いたのは、本来ならここに居ないはずの人物、この邸の主人、奥庭に過去の恋人を秘しているらしい騎士、レイナルドの声だった。
ジョシュは弾かれたように彼を振り返るが、凍てついた声で名を呼ばれたギャロは彼の出現に驚いた様子もなく、深く息を吐いただけだった。
「お帰りなさいませレイナルド様。――そう、今日は貴方が早く帰らないはずがない日ですよね」
「え……」
レイナルドからもバリーからもそんな予定は聞いていなかった。
ジョシュはレイナルドを見つめた。レイナルドは何故か、騎士服をきっちりと着込んだままの姿である。よっぽど急ぎの用事でも無い限り、普段は私服に着替えてから帰ってくるというのに。
不思議そうにギャロとレイナルドを見るジョシュへ、ギャロは哀れむような視線を投げた。
「この身代わりの淫魔に黙って、どうやってこの奥庭に籠もるつもりだったんです?」
「黙れ」
レイナルドの叱咤の声は鋭く、春のひだまりすら容易にかき消してしまいそうだった。だがギャロは全く臆した風もなく、それどころか鼻で嗤う。
「はは、その取り乱しよう。貴方まさかこの淫魔を本当に――?」
「黙れと言っている」
「でもシュウを忘れることも出来ないのでしょう? 母君と伯母君にああも結婚を勧められ何の障害もないというのに、それでもこの淫魔を娶れないのでしょう? 臆病で卑怯で滑稽ですね」
ギャロの口から飛び出した『シュウ』と言う名にジョシュは息を呑む。やっと知ることの出来た『レイナルドの最愛の恋人』の名は、やはりシュウの名だった――だが驚愕の新事実発覚に驚いてもいられない。何故この二人は、こんなにも仲が悪そうなのだ?
(ギャロとレイナルド様ってこんなだっただろうか?)
セシリアとベリンダに付き添ってギャロが現れた時の二人の様子は、非常に和やかだったはずなのだが。
「ジョシュ、部屋に帰っていなさい」
レイナルドはギャロを睨みつつも反論はしないようだ。ギャロも睨まれても悠然としている。どうも、喧嘩慣れしているような雰囲気が漂っている。
「――ではお二人も一緒に戻りましょう。気を落ち着かせる為に、お茶でも飲まれては如何ですか?」
「この方と差し向かいで気など休まるものですか」
ジョシュの取り成しを非常に刺々しく一蹴したのはギャロだ。悪意と嘲りの入り交じったその態度に、ジョシュは怒りを覚えた。
(さっきからなんなんだこいつ)
一体なにが気に入らないのか知らないが、レイナルドに対する暴言は許せない。
「なら帰れ」
主筋のお方に無礼を働く従者に、ジョシュはそう言い放った。
「ここがレイナルド様のお屋敷で其方が招かれざる客である以上、去るべき者は其方だ」
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