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十三話 結婚
雪が溶け霜が去り、冬枯れた庭に少しずつ草花の芽吹きが感じられるようになった早春――四月も末のことだった。
帰宅したレイナルドの上着を受け取ったジョシュは、次いで差し出された物に目を丸くした。
レイナルドの手のひら大の楕円形のプレートである。精緻な飾り彫を施された枠に収められた彩色絵は、貴族の婦女を描いた肖像画のようだ。
「あ……ああ、これがメイベル様の――」
貴族然とした服飾に紛れていて気付かなかったが、若々しく瑞々しい容貌はジョシュと似通っていた。
「そうだ。かなり前に受け取っていたのだが、職場に置き去りにしたままずっと忘れていた」
確か、ジョシュがヒース邸に来た晩に『メイベルの姿見を探しておけ』というやり取りが、レイナルドとバリーの間で交わされていたのである。結局ヒース邸には存在せずに、フィルグレス本家から直接レイナルドの手元に届けられたということだろうか。それにしても、ならばこれは半年近くもレイナルドの職場に留めおかれていたことになる。
「確かにそっくりですね……若い頃のメイベル様と僕」
ジョシュは手のひらの中の肖像画をじっくりと眺めた。この色使いを信じるなら、白金の髪の色味も菫の瞳の色もそっくりである。詳細に見比べれば、メイベルの方が若干勝ち気そうで、ジョシュの方が優しげな目元をしているが、概ね同じであるといえた。
(それにしても何故僕とメイベル様がこんなにそっくりなんだろう……?)
人間だった頃には、似ても似つかなかったというのに。
「それを持って帰って来たのはな、とうとう母と伯母が来るというからだ。伯母は呆れるほどに祖母を敬愛していて、お前のその容姿を絶対に話題にするので、先に見ていた方が良かろうと思ったのだ」
「――レイナルド様のお母様と伯母様が――」
驚きと恐れに、ジョシュは息を呑む。
「ああ、前々から来たい来たいとうるさく言われていたのだが……断り切れなくなった。面倒を掛けるが、すぐに帰らせるから少しだけ会ってやってくれ」
当然どれだけ畏怖しようとも、ジョシュが否やを言えるはずもなく。
二人の訪れは、半月後と決定した。
レイナルドの母はセシリア、伯母はベリンダである。華奢で優しげなセシリアに対して、伯母のベリンダは大柄で迫力のある美女である。黒い髪や青系の目も典型的なフィルグレスの血統を示し、レイナルドとセシリア、ベリンダの三人が並ぶと、レイナルドとベリンダが母子のようだった。
「まあ、本当にお母様にそっくりなのね」
通された居間にて、挨拶もそこそこに女性二人が感嘆の声をあげる。
どう反応したものか困って、ジョシュは曖昧な笑みを浮かべた。
セシリアに会ったのは初めてだが、ベリンダとは過去何度も顔を合わせている。勿論、シュウだった頃の話だ。彼女は母メイベルが大好きだったらしく、ヒース邸には五日と空けずに顔を出していたのだ。
「あなた魔族なのでしょう? 血の繋がりなんてないでしょうに、どうしてこんなに似ているのかしら。不思議ね」
「正直うらやましいわ。わたくしは美しいお母様に似たかったから」
バリーとカーラがお茶とお菓子をセッティングし、居間の小さなテーブルが一気に華やぐ。レイナルドとジョシュはそもそもお茶請けの類いはあまり食べないし、婦人二人も甘い物に見境のない年齢でもない。故に、お茶会としてはささやかな規模だった。その変わり腕によりを掛けたのか、小さくとも細工の細やかなケーキたちが主役である。
「あら嬉しいわ。長く来ていなかったけど、モリーは私の好物を覚えていてくれたのね」
「私の好きな物も用意してくれているわ。ありがたいわね」
それぞれの皿に好みのケーキを載せるカーラ。セシリアににこりと微笑まれ、カーラは恐縮したように礼をする。メイベルもレイナルドもそうだが、フィルグレス家は使用人に優しい家風なのだ。だからこそ、十年を経ても勤め先を替えず、ジョシュはヒース邸の面々に再会出来たのである。
ジョシュとレイナルドの前には、チーズビスケットやジンジャークッキーの入った籠がある。ジョシュは自分寄りに置かれていたそれを、そっとレイナルドの方へと押しやる。
セシリアとベリンダはお茶とケーキを楽しみながらレイナルドに話しかけ、レイナルドはそれに相槌を打っている。ジョシュは香りを楽しむ振りでゆっくりと茶器をくゆらせていたが、内心は緊張のただ中にあった。
(予想したよりも、ベリンダ様もセシリア様も優しい)
興味津々な雰囲気は感じるが、目は優しい。淫魔のジョシュへの悪意は、彼女らからは感じられなかった。
問題があるのは、ベリンダが伴ってきた従者――彼女の後ろに控える金髪の男だった。男はジョシュと同じ二十六歳で、年齢に見合った成長を遂げたらしい。元々整っていた容貌からはすっかり少年っぽさが抜け、青年らしい落ち着きを得ていた。
その男がじっとジョシュの一挙手一投足を見つめてくる為に、ジョシュは緊張を強いられていた。一体何故、不躾なほど執拗に見つめてくるのだろう。不安さえ抱きながらジョシュは己の出で立ちを思い返すが、服はこの日の為にレイナルドが誂えてくれた落ち着いた色味のスーツであり、髪はカーラが丁寧に編み整えてくれたものである。普段はひとつにまとめているだけの髪を、片側を編み込み、反対側の肩の前に流したのだ。結わえた髪紐も勿論、レイナルドに贈られた美しい紐である。奇妙なところなど、どこにもないはずだった――淫魔の証の羽と尾以外は。
「ギャロも久しぶりだな。元気にしていたか?」
「はい。平穏無事に毎日を過ごしております」
「ギャロはさすがにお母様が目を掛けた子ですから。どこに出しても恥ずかしくないのですよ」
誇らしそうにベリンダが笑う――成程、とジョシュは目を細めた。
ギャロは、ジョシュのかつての同僚である。ジョシュよりも先に引き取られた孤児で、本人曰く『メイベル奥様の孫』だったはずなのだが、現在はベリンダの元へ奉公に上がっているようだ。
(なんだよ……あんなに偉そうにしてたくせに、結局奉公人を続けているんじゃないか)
さんざん彼に偉そうぶられて辛く当たられた過去を思い出し、ジョシュは慌てて茶器を傾けて、不機嫌に歪みそうになる口元を隠した。
(『ヒース邸を継ぐのは俺だからな、そしたらお前なんか真っ先に首だ!』って言ってたのは誰だっつーの)
レイナルドやベリンダの様子を見る限り円満そうなので、ギャロが何かをしでかしてヒース邸を首にした訳ではなさそうだ。
ジョシュがレイナルドに連れられてヒース邸に戻るに辺り、真っ先に懸念したのがギャロのことだったのだが、戻ってみれば彼はおらず、安堵したのである。
それがまさか、こんな機会に再会するとは思わなかった。
(まあ、愛人と従者って立ち位置だから、話をすることはないと思うけど)
その事には安堵しながら、ジョシュは大人しくレイナルドの隣に控えていた。
婦人二人の話題はレイナルドを軸に様々に移り変わっていく――フィルグレス親族の冠婚葬祭の話題を経て最終的に辿り着いたのは、レイナルドの結婚、の話題であった。
「あなたは――あなたたちは、どうするのかしら?」
セシリアが意味深な言い方をするのへ、隣のベリンダも頷く。妙に結託した感のある二人に見つめられたレイナルドはうろたえた。
「それは、まだ――」
「あら、でも、すでに一緒に住んでしまっているのだし、ねえ?」
ジョシュは話題の内容に驚いて目を白黒させていたが、やがて、レイナルドに目配せをされて立ち上がった。二人が来る前に、障りのある話題になったら退室するように言われていたのである。
「済みません。失礼致します」
綺麗な礼と笑顔で、二人に挨拶をする。二人はジョシュには笑顔を返したが、レイナルドには批判的な目を向けた。
(結婚――?)
レイナルドは当然断るに決まっている。
不思議なのは、
(なぜセシリア様とベリンダ様は大切なご子息に、淫魔との結婚を勧めなさるのだろう)
ということだった。
三男とはいえ、レイナルドは男ぶりも良く、騎士としても申し分のない腕前である。妻を娶るにしても婿入りを望まれるにしても、引く手あまたの申し分のない人物だろう。なのに何故。
(そういえば、バリーさんとモリーさんも妙に『レイナルド様を頼む』って言ってたな……)
あれはヒース邸に来た翌日のことだった。レイナルド自身も『俺の親兄弟は、お前が淫魔だろうが悪魔だろうが気にしない』と断言していた。そしてその言葉通り、実際に会った親族はジョシュが淫魔であることを全く気にしていない。
(普通は『淫魔なんかとは別れて人族のお嬢さんと結婚なさい』って叱る場面なのでは――?)
ところがあの婦人二人は、レイナルドにジョシュとの結婚を勧める始末である。
それから程なくして二人の婦人は去って行った。
レイナルドからはねぎらいの言葉を受けたが、それだけだった。ジョシュも何かを聞きだそうとするような事はなく。二人は結婚については何も語り合わぬまま、普段通りの日常へと戻ったのである。
だが後日セシリアとベリンダから、ジョシュ宛ての贈り物が頻繁に届くようになる。ベリンダの使いとしてそれを持ち込むのはあの男――ジョシュに執拗な視線を向けていたギャロであった。
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