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十四話 ギャロとカフス
ギャロという男は、そもそも容姿が美しい。メイベルに似ている所はないが、平民には珍しい金色の髪をして、目の色も明るい青色である。立ち居振る舞いも明快で鈍重さや陰気さを感じさせない彼は、ヒース邸の誰もに信頼されていた。
だから、誰もギャロを警戒しない。
「こんにちは。陽気が春めいて来ましたね」
昼下がりに一人、ガゼボで本を読んでいたジョシュは、不意に掛けられた声に羽をばたつかせる。
「……ッ!? ――ギャロ、さん……?」
ガゼボの入り口から内部をうかがい見ているギャロは、今回で三回目の訪問だった。
「こんにちは。今日もベリンダ様のお使いですか?」
「そうです」
「あ、そうなのですか。いつもありがとうございます。ベリンダ様にお礼をお伝え下さい」
ぺこりと頭を下げて、俄にジョシュは緊張した。いつもは邸内でバリーやカーラを交えているので、二人きりで会ったことがないのだ。
「承りました。……それにしても、未だ花も咲きそろわないというのに、それでもこの庭は美しいですね。ご存じですか? 私も以前はこのお屋敷に勤めていたのですよ」
ご存じどころか同僚でしたと思いながら、ジョシュは頷く。
「ええ、バリーさんかカーラさんから聞いたような気がします」
庭の話題を振りつつも、ギャロの目は庭など見ていない。注視してくる強い視線を避けるように、ジョシュは目を伏せた。
「このお屋敷のひとは皆長いですからね。バリーさんもカーラさんも、ベンさんもモリーさんも私よりもずっと以前からお勤めでした」
「フィルグレスの方々がみなさまお優しいので、居心地が良いのでしょうね」
「そうですね。きっとそうだと思います」
そのような世間話をする為にわざわざ庭に入り込んで来たのだろうか。この後一体何を話せばいいのだ、と緊張していると、ギャロはすっと頭を下げた。
「それでは失礼します」
「あ、はい。ありがとうございました」
洗練された仕草で踵を返したギャロは、邸とは反対の方向――庭の奥へと小径を歩いて行く。
(奥様のお墓にお参りするのだろうか)
そんな疑問を浮かべながら、ジョシュはギャロの背を見送った。そしてふっと息をつく。知らず、肩に力が入っていた。
(だって怖いんだよ……何か企んでるに違いないって思ってしまう)
実際の所、ギャロは同じ孤児院出身の幼馴染みでもある。物心ついた頃には見知っていたのだ。けれど親しかったかといえばそんなことはなく。優れた容姿と性格で同年代の孤児たちのリーダー格であったギャロは、平凡なシュウにとっては近寄りがたい存在だった。何でも良く出来るギャロは孤児院の職員たちにも一目置かれていて、シュウたち平凡な子供達はギャロを通じて職員たちに管理されていたのだ。
そんなギャロだったから、メイベル奥様の慰問が始まり彼が引き取られた時、誰もが喝采した。ギャロなら当然だ、だって僕たちとは全然違うもの、と。ギャロの貴族的な金髪碧眼がその思い込みに拍車を掛けていたのは間違いないだろう。
(まあ僕は黒髪碧眼のレイナルド様をすっごく格好いいって思っていたけどね)
孤児院を出る時、ギャロはメイベル奥様に贈られたドレスシャツとスーツを身につけ、貴族の子息然としていた。孤児達は夢中でその姿を褒めそやした。
けれどもシュウがその時見つめていたのは、メイベルを挟んでギャロと反対側に立つ少年だった。メイベルの孫らしいその少年はいつも慰問の供をしているものの、むっつりとしてあまり笑わない。孤児院の中を歩き回っていることもあったが常に一人で、孤児達と馴れ合おうとはしなかった。シュウは彼の硬質な雰囲気と神秘的な群青色の瞳に惹かれ、話しかけてみたいと思っていたのだが、彼の目がシュウに留まることは終ぞなかった。
ギャロを連れ帰ったメイベルは、しばらく姿を見せなかった。再び現れたのは三ヶ月ほどしてからのことで、その時に初めて、シュウはレイナルドと話をした――そして何故か、その半年後にはシュウまでもがメイベルに引き取られる事になったのである。
(正直あの時は、レイナルド様と会う回数が増えそうなのが嬉しくて、ギャロのことは頭になかった)
ヒース邸で同孤児院出身の小姓同士として引き合わされたギャロは、とても優しかった。分不相応なひとり部屋に怯えるシュウと一緒に寝てくれたこともあったし、仕事は嫌な顔ひとつせず、懇切丁寧に教えてくれた。
(それがいつの間にか、影で威張り散らして小突いたり蹴ったりしてくるようになったんだよな)
『自分はメイベル様の孫なんだ。ただの孤児のお前とは違うんだ』そうした事を口にするようにもなっていた。『だからヒース邸はいずれ自分の物になる。その時に後悔するなよ』そんな風にも言われていた。それとなくバリーに訊いてみれば、確かにメイベルは、あの孤児院で孫を探していたらしい。
ギャロの怖いところは、そうした二面性を周囲には全く悟らせなかった所だ。影ではシュウをいびっていた癖に、他者の目がある時には、徹底的に親切な先輩として振る舞った。
(レイナルド様がいらっしゃらなかったら、僕はヒース邸を辞めていただろうな)
会う度に優しくしてくれるレイナルドは、シュウの光だった。彼の群青色の瞳の中に煌めく星々が大好きだった。学業が忙しくて彼が長期的に姿を見せなかった時には、シュウはすっかり元気をなくしてしまって、あのギャロさえもが苛めを手控えたくらいなのだ。尤も、レイナルドが元どおりに姿を見せるようになった途端、ギャロの苛めも復活したのだが。
(まあ、今はレイナルド様のことじゃなくて――ギャロだ)
そんな風に苛められて来た過去が身に染みついているのでつい疑ってしまうが。
(実際の所、今のギャロが何をしたって訳でもないんだよね)
執拗に見つめられることは確かだが、言ってみればそれだけだ。無礼どころか、会う度に最上級の礼を尽くしてくる。
(気味が悪いだけで実害はない、んだよね)
しかも相手はレイナルドの伯母ベリンダのお気に入りの従者で、レイナルドはじめヒース邸の使用人たちとも古く深い縁故がある。
(結局、放っておくしかないかな)
ジョシュとしては消極的な判断を下さざるを得ない状況だった。
その後もセシリアとベリンダからの贈り物は続いた。
レイナルドから馴染みの服飾店を聞き出しているのか、贈ってくる服は羽のスリットまでジョシュにぴったりだったし、好みも把握しているようだ。
靴やステッキ、手袋、帽子といった小物も贈られ、ジョシュの持ち物が増えた為にクローゼットが手狭になって来た。
「そろそろ奥様の部屋を片付けるべきなのかもしれませんね」
バリーはそんな事を言うものの、それをレイナルドに進言する気はない様子だ。
取り敢えずかさばる冬物を整理するらしく、クローゼットと庭を行き来して、靴やコートなどを虫干ししはじめた。
「それは?」
バリーは運び役、ジョシュとカーラは庭にて並べる役である。コートを吊り下げていたジョシュは、バリーが運んできた箱に目を留めた。箱というよりは、櫃である。帽子や靴などの小物が入っている紙製の箱とは違い木で出来ており、表面には細やかな象眼細工が施されている豪華な物だった。
「これはレイナルド様の大切な物です」
そう答えると、バリーは自ら櫃を開けた。どうやら人任せにする気は無いらしい。
櫃の内部からバリーが取り出したのは、レイナルドの物にしては小さな服である。白いシャツやジレ、スーツなどが数着。いずれも、小さい上にレイナルドが着るにしてはいささか粗末だ。不思議に思って眺めていると、やがて靴や鞄も出てくるではないか。靴も鞄もかろうじて革製ではあるものの、どちらもくたびれて傷が付いている。しかも装飾の類いはない、実用的な物だ――平民の持ち物と言っても可笑しくない。そして更に取り出されたものは、ノートや筆記具、本の類いである。それらもあまり質は宜しくないようだが、バリーは白手袋をした手でそれらを非常に丁寧に並べてゆく。
(あれは――!?)
そこまで見て、やっとジョシュにはそれらの持ち主が分かった。
「それ……」
「――レイナルド様の大切な物でございます」
バリーはジョシュの方を見ぬままに、先程と同じ言葉を繰り返す。
彼が次に櫃から取り出した物は小さな白い木箱で、恭しく開いた内側には、小さなピンがひとつだけ納められていた。どうやらカフスのようだ。嵌め込まれた水色っぽい石はガラスのように見え、それを取り巻く金属の土台はくすみ錆びていた。
何となく既視感を覚えさせるそれを、ジョシュは記憶に留めた。
「ジョシュ様、こちらを掛けて下さいな。私では手が届かなくて」
「あ、はい……」
カーラの呼ぶ声に応えてジョシュは彼女の手伝いに向かったが、どうにも、バリーとカーラの二人に口を封じられたように感じてならなかった。
質問は受け付けない。そういう気構えを、二人から感じたのである。
(でもあれは――間違いない。僕の物だ)
本や筆記具、ノートの文字に見覚えがある。
(あれが、レイナルド様の大切な物――? それって、僕の事を忘れていない……今も大事に思ってくれているから、なのかな……?)
そう思い至ってしまうと、もう駄目だった。
「……ちょっと僕、お手洗いに行って来ますね」
小声で断って小走りに邸の中へ向かうと、一階の化粧室へ駆け込む。鏡の前のスツールに座り込み、胸を押さえた。歓喜と苦悶にせめぎ合う心臓は、痛いほどに暴れ狂っていた。
(覚えていて下さって嬉しい)
同時に、
(覚えていて下さっているのが心苦しい)
とも思う。
あれから十年だ。早逝した付き合いたての恋人を吹っ切る期間としては、十分すぎるほど長い。だからジョシュは、レイナルドもとうに自分の事は忘れているだろうし、それで良いと思っていたのだ。
(だけどバリーさんとカーラさんの態度……あの恭しいほどの手つき)
シュウの遺品に対する彼らの態度は、そのままレイナルドの心を映しているのではないか――そんな恐れが、突如としてジョシュの胸に湧き上がった。
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