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十六話 暗夜の標
些か乱暴な口調で命じられたギャロは、虚を衝かれたように表情をなくした。
「なんだと」
「帰れと言っている。茶も飲みたくないんだろう? せっかく此方が招いてやったのに」
ギャロに対して取り繕う気のなくなったジョシュは、丁寧さをかなぐり捨てていた。
「ジョシュ」
「この淫魔なにを偉そうに。お前なんか単なる代用品なんだぞ!」
ギャロに至近距離で怒鳴られているのを案じてか、レイナルドがジョシュの腕を引きつつ、二人の間へと身を割り込ませていく。ジョシュは大人しく庇われながらも、レイナルドの背からひょっこりと顔を覗かせてギャロに喧嘩をふっかけた。
「だから、今からその話し合いをしたいから、部外者にはご退場願いたいんだろうが」
「部外者だと! 俺はお前なんかよりもよっぽどこの屋敷の――」
「――単なる『元』使用人だろう?」
「ジョシュ、もうやめなさい。ギャロも大人しく帰るがいい」
「帰れるものか! 貴方がシュウよりもこの淫魔を選ぶなら、私はシュウの碑を貰い受けたい。貴方にはもう必要のないものだろう!?」
「何をふざけたことを言っている……!」
「ふざけてなど居ませんよ! 見る限り、貴方がこの淫魔に陥落するのは時間の問題だ。母君も伯母君も貴方の外堀を埋めに掛かっている。――シュウを過去にするのなら、私に下さい」
怒気を剥き出しにしたレイナルドに負けじと怒鳴り返し、最後には悲哀さえ滲ませたギャロ。
そんな彼の様子をレイナルドの後ろから見ていたジョシュは、首を傾げた。
ますますもってギャロが変である。だがその発言のそぐわなさが気になるのはジョシュだけのようで、レイナルドは握りこぶしを作ると激しく首を振った。
「過去になんか出来る訳がない! 私は今もシュウを愛している……!」
引き絞るような叫びこそがレイナルドの本心なのだろう。
ジョシュはそれを嬉しいと思う一方で、小さくも深い傷を負った。ジョシュとしてレイナルドと過ごしてきた部分が痛みを感じてしまう。シュウもジョシュも自分自身のはずなのに。
ジョシュは思わずレイナルドの袖を握りしめた。まるで反射の様にレイナルドの腕が動き、ジョシュの指を絡め取ろうとしたようだが、やがてそれはそうならぬままに離れていった。
「レイナルド様……!」
『ジョシュ』は、レイナルドに拒否されてしまう――?
恐れを感じて、ジョシュは更に強くレイナルドにすがりつく。シュウを愛して貰っていても、ジョシュが愛されていないのでは意味が無いのだ。それでは、一緒には居られない。
「レイナルド様は言葉にはして下さらなかったけど、いつも僕の事を愛して思いやって下さっていた……と思うのです。それは、僕の勘違いでしたか?」
しばし沈黙が落ちた。レイナルドは厳しい横顔を見せたまま唇を噛みしめ、彼と対峙するギャロは彼の返答を待つかのように口を噤んだままでいる。問いを発したジョシュも、差し込むような痛みを胸に覚えながらレイナルドを見上げていた。
「……勘違いではないよ。俺はお前にとても感謝しているし……愛している」
待ち望んでいた回答にジョシュはぱっと顔を輝かせたが、レイナルドの告白はまだ続く。
「けれどもシュウを忘れることは出来ないし、シュウよりもお前を愛していると言い切れない。そもそもお前に目を留めたのだって、お前がシュウと似ていたからだ――お前を好きになった根底にシュウが居る」
「あの」
輝いた顔をすぐに曇らせて、ジョシュはたまらず口を挟んだ。
「さっきギャロ、さんにも言われたのですけど、似てますか……? 一体何処が似てるんでしょう?」
「ギャロにも?」
レイナルドがいぶかしげに見返せば、ギャロは威張った風に胸を張る。
「だから『身代わり』だと言っているでしょう」
「何処が、似ているの?」
ジョシュ本人から言わせて貰えば、ジョシュとシュウは全く似ていない。目の色髪の色、顔の造作や肌の色、おそらく骨格までもが変化したはずだ。だというのに、この二人は一体何処を見て似ているというのか。
「似ている」
レイナルドは断言し、かつてのシュウの姿を思い出すかのような遠い目をして、ジョシュを見つめた。
「容姿自体は似ていないが、笑顔がそっくりだ。まずは笑顔が似ていることに気付いて、そのうち仕草や言動なども似ていると思いはじめた」
「笑顔……」
笑顔など、自分では分からない。仕草や言動もほぼ無意識のものだ。だから身体が変化しても、それらはシュウらしさとして残っていたということなのだろう。
そしてそれを、レイナルドは見分けたのだ。十年を経ても尚、忘れることなく。
「レイナルド様…………!」
ジョシュは破顔すると、ぱっとレイナルドに飛びついた。
どれだけ姿が変わろうとどれだけ年数が経とうとも、変わらぬ所を見分けてくれた。見分けて尚、そのままで居させてくれた。ギャロ曰くの身代わりとしてジョシュを扱うことはなく、ただ在るがまま、何一つ強制せずにいてくれた。
「ありがとうございますレイナルド様!」
飛びつかれたレイナルドはジョシュが落ちないように慌てて抱き支えたが、面食らった様子である。
「……何故。俺はお前そのものは愛していないと言ったも同然なのだぞ? ギャロの言う通り、臆病で卑怯なのだ俺は。お前だけを誠実に愛せなかったから、どうしてもお前に愛していると言えなかった――シュウにはあんなに言ったというのに」
いいえ、とジョシュは首を振った。
「うぬぼれのようで恥ずかしいですが、愛して下さっていると思っていました。いえ、レイナルド様の為さりようがあまりにも優しいので、言葉なくとも安心していたのです。ただ、言って下さらないのは何か理由があるのだろうと思って僕からも言えずにいて――」
レイナルドは眉を下げて小さな笑みを滲ませた。
「ふがいなくて済まない」
「いいえ、いいえ。いいんです、これからは遠慮無く言えますから」
レイナルドの肩に両腕を絡めたまま、ジョシュはふうっと息を吐いた。
(大丈夫、大丈夫。きっと大丈夫)
淫魔になったあの時には、誰にも受け入れて貰えないと思っていた。だが今は、信じられる。
(どうしようもなく一人だと思っていたあの時――でも本当はずっと、一人じゃなかった)
レイナルドは死んで尚シュウを愛し、その面影を頼りにジョシュを見つけてくれたのだ。その絆の強さ、愛の深さは、ジョシュの想像以上だった。
目の前には、レイナルドの目がある。群青に星の浮かぶ、美しい瞳だ。それはジョシュにとっては、暗夜に浮かぶ星明かりのような標の光である。
ジョシュはそれを見つめ続けた。
「愛しています、レイナルド様。十年前にお別れしてからも、――ずっと貴方だけが好きでした」
「ジョシュ……?」
レイナルドが首を傾げる。
「どう説明すれば信じて貰えるのか……、僕、シュウです」
証明するような物品はない。ジョシュが言いあぐねていると、爆笑が響いた。
「ははははッ。何言ってるんだろうこの淫魔。自分が代用品だって知って気が可笑しくなったのか?」
ギャロである。
今の今まで存在を忘れていた彼に茶々を入れられ、ジョシュは彼を睨み付けた。
「そっちこそ、僕のことを好きっぽく言ってるのは何? 人のこと散々苛めといて、気でも違ったのか?」
「な――!?」
「いっつも影で蹴ったり小突いたりしてきたじゃないか。奥様の孫だからって威張り散らして『ヒース邸を継いだらお前なんかすぐクビだ』って。仕事を押しつけて嫌がらせばっかり。――あの日だって、出かける直前にお前が『孤児院に本を届けろ』って命令してくるから……だから」
滔々と語るジョシュ。対するギャロは段々と顔色を失って白くなっていき、それとは逆に、レイナルドは驚愕に見開いた目に光を蘇らせはじめていた。
「だから僕は――『ルンダール』に行けずに…………」
レイナルドと待ち合わせていた店の名を出したっきり、ジョシュは絶句する。当時のことを思い出しているのだろうか。
レイナルドは気遣うようにそっと彼の白金の髪を撫でた。
「――お前が本当にシュウならば、その先は思い出すんじゃない」
ジョシュは目を伏せた。確かにこの先は、楽しい記憶ではない。
(孤児院に向かう途中に変な奴らに拉致されて――犯された。あの日は、朝からずっと体調が可笑しかった。妙に熱が籠もるような火照りがあって……、奴らも最初はそんな風じゃなかったのに、戸惑いながら僕を組み敷いた。嫌だったのに挿入されて、そこで馬鹿みたいに快楽に狂ったのを覚えてる)
思えばその日の朝から、淫魔への変化は始まっていたのだ。
「……ええ、だからつまり、ギャロは僕のことなんか好きじゃなかっただろ、って話しでしたね」
聞かされても楽しい話じゃないな、とジョシュは話題を元に戻した。
それに猛然と噛みついて来たのはギャロだ。
「好きだったんだよ! ずっとシュウのことが好きだった……だから! だから色々と――!!」
ジョシュは面食らってレイナルドにしがみつく。
そのジョシュを指さし、ギャロは怒鳴った。
「て言うかお前!! お前本当にシュウなのか!? レイナルド様と口裏合わせて僕を騙そうとしているんじゃないのか!?」
「していないよ!」
「してないな」
ジョシュとシュウの話を一度もしたことがないことは、レイナルド自身が一番良く知っている。
「信じがたい! なんで人間だったシュウが淫魔になっているんだよ!? そもそも顔だって全然違うじゃないか!」
「それは、確かにな。シュウ――ジョシュ? 何故なんだ」
レイナルドに促され、ジョシュは考えをまとめながら口を開いた。
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