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十七話 真相
「――後から黒山羊亭のオーナーに聞いた話ですけど、そもそも人族の国にいる魔族は殆どが『半魔』と呼ばれる魔族と人族との合いの子なのだそうです。『半魔』は幼少の頃は人族なのですが、性的な成熟を迎えると魔族へと変化します。変化には膨大な魔力を必要とし、その際には一週間ほど仮死の状態となります。――目が覚めたら、僕はもうこの姿に変わっていました」
意識を取り戻した時、シュウは漆黒の闇の中にいた。恐慌を来して無我夢中で暴れているうちに魔法を発動させ、開けた穴から外へ出てみれば、そこは墓地だった。自分の名前の刻まれた墓石を見てぎょっとし、走ってその場を逃げ出した。その時は、ヒース邸に帰ろうと思っていた。
視界にチラチラする自分の髪が月光に輝いているのに気付いて、墓地内の池を覗き込めば、そこに映ったのは見知らぬ美貌の少年だった。何故か、蝙蝠と似た羽や鞭のような尾までが生えていた。
どうやら自分の姿らしい、というのが信じられず、池に飛び込んで擦ったりもしたのだが、髪や目の色が変わることもなく、変化した容貌が元に戻ることもなかった。尾や羽をむしり取ろうとしてみたが、痛いだけだった――どうにもならなかった。
認めざるを得なかった。自分が、何か今までとは違うものに変質したのだということを。
認めざるを得なかった。この羽と尾を持つものが、巷では何と呼ばれているのかを、シュウは知っていた――自分が淫魔になったことを、認めざるを得なかった。
(でも、どうして)
泥々になった死装束を纏ったまま、シュウは街へとさまよい出た。この時点で、ヒース邸に帰る意志を失っていた。帰れるはずがなかった。よくよく思い返せば、意識を途切れさせる直前には、複数の男たちに身を穢されていた。ますます帰れるはずがなかった。レイナルドに合わせる顔がない。
(でも、どうして淫魔になんか――)
その答えを得たのは、墓から出て数日後。理解できない飢えに突き動かされて、貧民街の路地で男を受け入れた後。身の内に注ぎ込まれた精液に得も言われぬ充足を覚え、これが淫魔なのかと絶望した後のことだった。
『見かけない淫魔がふらついてるって聞いたから、探しに来たよ』
そう言って手を差し出した背の高い悪魔こそが、黒山羊亭のオーナーだった。シュウは彼の手を取り、住居と職場、淫魔に関する知識、そして新たな名前を得た。
「つまりシュウの姿は子供……成人前で、ジョシュの姿が成人後だと」
「そう、ですね。黒山羊亭の皆に聞いてみたら、皆子供の頃は地味で平凡な姿だったそうです。それが魔族になって、髪や目の色はおろか顔立ちまで変わったと言っている子ばかりでした」
「つまりシュウの両親のどちらかが魔族だった、ということなのか?」
「どうでしょう。両親を知らないので、僕自身のことは分からないのですが、でも、直接の親とは限らないようです。数代前でも先祖返りのように魔族になる場合もあるそうですし、同じ親から生まれた兄弟でも、全員が魔族化する訳ではないそうです」
真偽を図るようにレイナルドは沈黙する。逆にいきり立ったのはギャロだ。
「作り話だ。だったら何故その『半魔』っていうのが知れ渡っていないんだ?」
それは仮死状態の時に葬られて、それまでの人生から断絶するからである。仮死の前段階として魔力の摂取があることも、生前の家族や知人の元へ戻り難くしていた。
その他の理由としては、さほど数が居ないことが挙げられる。黒山羊亭を見ても、魔族の総数は二十人もおらず年代もばらけている。
「ギャロ」
名を呼んだのはレイナルドである。
「ギャロ、お前もう帰るがいい」
「は? まだ僕はこいつの話を全く納得出来ていませんが?」
ギャロはレイナルドにまで噛みつかんばかりの勢いだ。レイナルドは煩わしげに首を振り、邸を指し示す。
「いいから帰るがいい。気になるならまた後日呼んでやる」
「呼ばれずとも――」
「ああ、伯母には、お前を我が家への使いから外すよう願っておこう。シュウだと分かったジョシュに、お前を近づける訳がないだろう」
レイナルドはギャロから守るように、ジョシュを抱きしめ直す。
ジョシュは少しだけ、レイナルドが珍しく意地悪だと思った。ギャロが言いたい放題言うのを許しながらも、彼のことを嬲るような態度を取っている。
「そいつがシュウのはずがありません。きっと何処かしらで情報を得て、シュウになりすまそうとしているのです」
レイナルドの挑発に乗って顔を赤くしたギャロは、まだ食い下がる。
どうあっても信じたくないらしい彼に、何を言えば納得して貰えるのかとジョシュは頭を巡らせた。
「あ――」
ひらめいたのは、錆び付いてくすんだカフスのことだった。バリーが白手袋に包まれた手で、そっと箱から取りだしたあの古ぼけたカフス。
「ギャロ、いいから行け。お前を納得させる必要はないのだ」
「――分かった。ねえ、レイナルド様が知らなくて僕とギャロだけが知っていることを言えばいい? 十歳の時、ギャロの誕生日にカフスを上げたよね」
ギャロとレイナルドが一斉にジョシュを見る。
ジョシュは頷いた。ギャロには出生証明書があったらしく、それがメイベルと関係を裏付けたそうだ。そこに書かれていた誕生日にヒース邸でお祝いがあり、その時にジョシュもギャロにプレゼントをしたのだ。邸の内々でのことだったのでレイナルドはおらず、その頃はまだギャロはジョシュに優しかった。
「ギャロの目とお揃いの色ガラスが嵌まってるカフス。あまりにも安物だったから出番がなくて、きっとレイナルド様はご存じないです」
「カフス……!」
レイナルドがうなり声を発する。ギャロは何故か、見る間に青ざめていった。
「あ……」
じりじりと後じさるギャロ。レイナルドは迅速な動きでジョシュを地面に降ろすと、ばっとギャロとの間を詰めた。
「ひ……ッ」
ギャロは身を翻すと勢い余ってヒースの庭へと走り込んでいく。
「違う……っ知らないッ!」
それを追うもほんの数歩で追いつき、ギャロの腰に当て身を食らわせ押し倒すレイナルド。反射的に彼らの後を追ったジョシュは、レイナルドがギャロの背に馬乗りにまたがり、腰に付けた小型鞄から縄を取り出すのを見た。
「やめてくれ! 違うんだ! そんなつもりじゃなかった……!」
後ろ手に回させたギャロの両手首に、彼はそれを手際よく巻き付けていく。
ギャロも無抵抗だった訳ではないのだが、所詮は使用人と騎士。身体能力の差は如何ともし難い。
「……レイナルド様、どうしてギャロを縛ったんですか?」
カフスの話をした途端に、状況が一転したのだ。
レイナルドは縄の結びを確かめながら、ギャロを睨み続けている。ギャロは青ざめて震え、違うそんなつもりじゃなかったと繰り返していた。
「シュウの遺品に、カフスがある。青いガラスの嵌まった、片方だけのカフスだ。……シュウの遺体が握りしめていた物だ」
忌々しそうにレイナルドが告げた。
「俺はそのカフスの持ち主を……シュウを殺した犯人を捜し続けて来たんだ!」
「違う! 殺してない! 僕が迎えに行った時にちょうど死んだんだ! 僕の袖口を掴んだまま!」
「迎え、に、だと……ッ? それこそどういう事だっ!?」
レイナルドがギャロの襟首をガクガクと揺さぶる。
彼らから少し離れた所に立っていたジョシュは、ひゅっと息を呑んで彼らを見つめた。
「苦し……っ」
「言え!」
「はな……っ言うからっ、離して……!」
レイナルドはギャロをレンガ敷きの地面の上に突き倒す。ギャロはしばらく噎せていたが、やがて観念したように口を開いた。
「シュウを浚って違う国に行くつもりでした。金を払って男たちに手配を頼み、迎えに行ったら――」
それはジョシュにとっては衝撃の新事実だった。
シュウが死に至る過程は、不運な事故だったのだと思っていた。本来ならば行くはずのなかった貧民街へと行かねばならない用事を押しつけられ、そこで柄の悪い男たちに目を付けられて囚われ、そこに更なる不運――淫魔としての覚醒が重なった。しかしそれが、貧民街へ行く所から仕組まれていたとは。
「なんでそんな――」
全く理解が追いつかなかった。今日の言動から察するに、ギャロの動機は『シュウを愛しているから』なのだろう。だがシュウ自身はそのような好意を感じたことはなかった。その気持ちを知った今でさえ、ギャロの独善的な振る舞いに怖気立つばかりである。
呆然としているジョシュの目の前では、レイナルドがギャロを殴りつけていた。
「お前が――お前がっ……! お前のせいで……!」
十年分の悲しみを上手く言葉に出来ないのだろう。レイナルドはそればかりを繰り返しながら、ギャロを再び殴りつけた。
ジョシュはそれを止めようとは思わなかった。ただ涙がこみ上げて、それを堪えようと上を向き、ただ立ち尽くしていた。
騒ぎを聞きつけたベンがやって来たのはそれからすぐのことだった。
それを機に場はお開きとなり、レイナルドは、ギャロを邸へと運ぶようベンに命じる。さすがに老齢の腕力には過ぎた仕事か、ベンは荷車にギャロを乗せて運び出して行った。
「後で伯母に引き渡してくる。適切に処置して下さるだろう」
レイナルドはまだ高揚の抜けない顔つきをして、肩を怒らせていた。
「――知らなかった……あんな風に思われていたなんて」
ジョシュはギャロの去った後を眺めて、ぽつりと呟いた。
「彼奴の気持ちを知らないのはシュウだけだったろうが……。シュウに選ばれたことを恨まれているのは知っていた。それでも……シュウを失った同志でもあると感じていたのに」
直接手を下した訳ではないし殺す気はなかったと言い訳していたが、ギャロには明確な悪意があった。十年引き裂かれた身として、二人はそれを許すことは出来なかった。
「ジョシュ」
レイナルドに呼ばれ、ジョシュは彼を振り向いた。
レイナルドは群青の瞳を揺らがせながらジョシュを見つめている。
「シュウなのか――?」
「はい、シュウです」
ジョシュは頷いた。レイナルド自身も頷きながら、それでも再び問いを掛けてくる。
「本当に、シュウなのか?」
「はい。本当にシュウです」
レイナルドが真偽を疑って執拗に問うているのではないことを、ジョシュは理解していた。
「シュウ」
「はい。シュウです」
「シュウ……やっと帰って来た、のか……?」
はじめ棒立ちだったレイナルドはこの頃には、ジョシュの目の高さにまでかがみ込んでいた。
「はい。やっと帰って来ました」
にこっとジョシュは笑ってみせた。これにてレイナルドへの隠し事がひとつも無くなったジョシュの、晴れ晴れとした笑顔だった。それを見てやっと、レイナルドも身のこわばりを解いた。肩先が下がり、頬が緩む。僅かに上がった口角は少しぎこちないが、微笑もうとしていた。
「――おかえり、シュウ」
歓迎するように、レイナルドが両腕を広げる。ジョシュはたっと駆け出し、その胸に飛び込んだ。
「ただいま、レイナルド様」
レイナルドの抱擁は力強い。暖かな腕と胸に抱かれながらジョシュは安堵の息をつく。昔とあまり変わらない小さな身体を抱きしめながら、レイナルドは静かに涙をこぼしていた。
「よく戻った……」
「はい」
ひとしきり抱きしめあった後、レイナルドはジョシュを抱き上げた。
「皆にも教えねばな。あの状態のギャロだけ戻して、不安に思っているだろう」
そう言って、邸の方へと歩き出す。レイナルドの肩ごしに振り向いたヒースの庭は、鮮やかな日没に照らされていた。
きらりと目を射る輝きに目を向けると、小さなプレートが光を反射している。
そこに刻まれた日付は、今日がシュウの命日であることを示していた。
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