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四話 愛人か従僕か
レイナルドの訪れは大体三日か四日おきに行われ、帰り際に次の予約を入れる。
ジョシュも、請われるままに彼の予約を優先し、彼を待った。
そうして、早くも三ヶ月近くが過ぎた。
「この店を辞めて、俺の所へ来ないか?」
レイナルドがそう問うて来たのは、事の終わった後だった。
騎乗位の体勢から崩れ落ち、レイナルドにまたがったまま彼の胸に頬を寄せていたジョシュは、ゆらりと尾を持ち上げた。羽と同じ金色のしなやかな尾が、尖った尾先をくゆらせる。
「……それはええと、愛人になれということでしょうか?」
しばらく考えた後、むしろそれしかないだろうと結論を下す。ジョシュが娼婦なら身請け話といった処だ。
「――そう、だな」
レイナルドの返事はどこか歯切れが悪い。
「僕などには、勿体なさ過ぎるお話かと」
ジョシュは思案するでもなく、レイナルドの申し出を一蹴した。
ジョシュの金の髪を梳いていたレイナルドは、手を止める。
「何故だ」
「……何故って」
逆に何故と問いたいのはジョシュの方である。確かにレイナルドは常連であるし、わざわざ予約を入れてまで確保するほどジョシュの身体を気に入っているのだろう。だが愛人となると、名称に『愛』と付くだけに、身体以上の繋がりが――心の交流が必要なのではないかと思うのだ。
ジョシュ自身は過去のしがらみを抱えているせいで、今もレイナルドのことが好きだ。愛していると言ってもいい。
だが、レイナルドはどうだ。
レイナルドはジョシュに執着を見せながらも、睦言を囁いてきたことは只の一度もないのだ。
つまり、ジョシュの抱き心地をいたく気に入ったらしい彼は、身体だけを必要としているのだろう。
(――それは、ちょっと……悲しい、かな)
だがストレートにそれを言うのも憚られた。淫魔ごときが人族から愛情を受けたいなどとは、馬鹿げた願いではないか。なのでジョシュは、感傷は投げ捨てて現実的な反論を行った。
「もしも愛人になったとして、何日おきに来て下さるんです? 四日も五日も放置されたら辛いのですけど」
「……辛い、とは? まさか、俺に会えずに淋しくて辛い、と言ってくれるのか?」
「え? ……いえ、その」
ぱちぱちと目を瞬かせながら、ジョシュはようやっと顔を上げる。すると、至近距離で覗き込むことになった群青色の瞳が、ひたむきに自分を見つめていることに驚いた。
どきりとしてぱっと目をそらし、動揺をなだめる為にぶっきらぼうに、どうでもいいことを言い募る。
「まあ……五日もひとりで放置されたら僕だって淋しいでしょうけど。でも、そういうことではなくてですね」
今から重要な事を言うのだぞ、とジョシュは咳払いをしてみせる。
「僕ら淫魔は、精液がご飯なのです。だから、五日もご飯がもらえないのは、お腹が空くので辛いのです」
今度はレイナルドが目を瞬かせた。寝耳に水の情報だったようだ。
「精液が食料――だと?」
「厳密には精液そのものではなくて、魔力が、ということなんですが。魔力を含む液体ならば、涙でも唾液でも血でも構いません。ただ、淫魔にとって一番魔力を摂取しやすいのが、精液なのです。これが吸血鬼ならば血液ですし、悪魔でしたら唾液や涙ということになりますね」
人族は意外と知らない事実なのである。彼らは、淫魔は単に淫乱な性質なのだろうと思い込んでいるのだ。淫魔がそういう性なのはジョシュとて否定しないが、人族が想像するほど理由もなく色狂いな訳ではない。
「そうなのか。知らなかった……」
「だから僕ら淫魔はここに勤めているんです。食いっぱぐれませんからね」
店で待っているだけでご馳走が飛び込んで来てくれるのだ。こんな有難いことはない。
「では、飢えさせないように足繁く通うなら、どうだろうか?」
「愛人ですか?」
ジョシュは身を起こしてレイナルドの上から退く。レイナルドはそれを惜しむように手を上げたが、中途半端に留めた。ジョシュはそんな彼の動きに気づくことなく、上着を身につけた。黒いホルターネックが白い胸を覆い隠し、むき出しの背中に生えた羽を、位置を正すように小さく羽ばたかせる。
「んー、でも僕は、働くのが好きなんです。閨事だけが仕事だなんて、性に合いそうもないです」
「……」
「そういう訳ですから、愛人は辞退させて下さい」
「……では、愛人でなければどうだ?」
食い下がるレイナルド。
愛人以外? とジョシュは首をかしげた。
特殊性癖の持ち主ならば、女装させた上でのメイド勤めなどもあるだろうが、レイナルドにはそんな趣味はないだろう。
「うーん……? まあもしも、小姓や従僕にでも雇って下さった上に、報酬に精液を下さると言うのならお受けしますが」
ジョシュは出来うる限りの下卑た笑みを浮かべて、うそぶいた。
淫魔であっても愛人ならば物好きなで終わるだろうが、従僕などの使用人ではそうは行かない。使用人は、血縁ではないにせよ一族を形成する一員となるので、それなりの履歴や出自が求められるのだ。人族は、上流になればなるほど、淫蕩な色狂いだと淫魔を蔑んでいる。そんな彼らが、淫魔の使用人など認めるはずもない。
つまりジョシュは、到底叶わない要望を突きつけて、レイナルドに警告を与えたつもりだったのだ。
ところがレイナルドは、
「それだ!」
と叫ぶなり起き上がるではないか。ベッドから飛びおりるとシャツを掴み、
「そうしよう。ジョシュは今日から俺の従僕だ。早速家に連れ帰ることにする。支度をしてくれ」
慌ただしく身繕いを整えながらそう言い放ったのである。
ジョシュはあんぐりと口を開けた。
「ちょっ……! レイナルド様!?」
「否やは聞かない。ジョシュは俺の従僕になる。通常の賃金に加えて精液を支払おう。それでいいな?」
全然良くはない。レイナルドの思いがけない押しの強さに驚きながらも、ジョシュは首を振った。そんな事をしたら、レイナルドの――フィルグレス伯爵家の評判が墜ちる。レイナルドの父親である伯爵家当主や、次期様である長男は、レイナルドの奔放な振る舞いを許しはしないだろう。
「無理です。駄目です!」
「聞き分けなさい」
レイナルドは機嫌を取るように、ジョシュの頬に指先を滑らせた。
「報酬に精液を支払うなら従僕になる、と言い出したのはお前だ」
ジョシュはそっと目を伏せた。確かにそうだ。どういう思惑であれ、そう言い出したのはジョシュ自身だった。
「ですがそれでは――」
淫魔の従僕は、すぐにレイナルドの負担となるだろう。
「さあ、支度をしなさい。取り敢えず身ひとつでも構わないが?」
「レイナルド様」
「早く。それともこのまま浚ってしまおうか」
暗夜に星を浮かべた瞳は、本気の煌めきを放っている。
それを悟ったジョシュはため息をついた。
淫魔を連れてきた三男を伯爵様は叱り飛ばすに違いないが、レイナルドの目を醒まさせるにはそれしかないようだった。伯爵ならばレイナルドの将来に傷をつけずに事を納めてくださると期待して、ジョシュは従った振りをする。
「いえ――持ち物はそう多くないので、少しだけ時間を頂ければ」
ジョシュの住まいは『黒山羊亭』の裏の建物だ。そちらもオーナーの持ち物で、いわば寮のようなものだった。中には自分で住まいを借りている淫魔も居るが、ジョシュは頓着がなかった。
オーナーに話を付けて荷物をまとめれば、すぐに出て行ける。
「では店で待っている」
そう言うレイナルドに頷いて、ジョシュは部屋を飛び出した。
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