六話 ヒース邸の人々

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 六話 ヒース邸の人々

 ヒース邸は、昔のままの姿で闇夜に佇んでいた。あえかな星明かりを銀木犀が反射している。秋風にくゆる独特の香気が辺りに立ちこめていた。  結局レイナルドは、ずっとジョシュの手を握ったままでいた。  辻馬車が走り去るのを見送る暇もなく手を引かれ、通用門から敷地内に入り込み、邸の玄関を叩く。  すぐさま開いた扉の内側から姿を現したのは、ジョシュの良く見知った男性だった。  レイナルドの招集に応じて応接間に集まったのは、五人の男女だった。いずれも初老で、穏やかで朗らかな顔つきをしている。  玄関を開けて出迎えてくれたのが執事のバリーであり、その隣の家政婦がカーラ。分厚いエプロンを掛けているふくよかな姿がコックのモリー。その隣にいる男はジョシュの知らぬ男だったが、様子からすると御者か馬丁のようだ。おそらくレイナルドが新しく雇い入れた人物だ。バリーの隣に所在なげに佇んでいるのは、ベンである。庭師ゆえ普段あまり屋敷内部には入らないので、居心地が悪いのだろう。  十年分の歳は取っているが皆元気そうだ。懐かしい彼らとの再会に、ジョシュは胸を熱くする。本来ならば主人であるメイベル、メイベルの侍女であるポーラ、ジョシュの同僚だったギャロがいたのだが。メイベルは世を去り、それを受けてポーラは邸を離れたのだろう。ギャロが居ないのが何故か分からなかったが――そもそもヒース邸は、ギャロが相続するのだと思っていた。  しかしどうやら、現在のヒース邸の主人は確かにレイナルドであるようだ。 「――以上がこの館の者たちだ。皆、こちらがかねてから話をしていたジョシュだ。私と同じように遇してくれ」  レイナルドはさりげなく、主人と同格であるとジョシュを定義している。あまりの分不相応さに冷や汗をかきつつも、ジョシュは穏当な笑みを浮かべた。 「ご紹介にあずかりましたジョシュです。見ての通り淫魔ですが、振る舞いには気をつけますので宜しくお願い致します」  レイナルドはああ言ったが、本当に受け入れてもらえるだろうか――かなりの不安を抱えながら愛想のいい挨拶を心がけたのだが、反応は芳しくない。  何故か皆、不躾なほどじっとジョシュの顔を見ているのだ。 「あの……?」  だが彼らの顔に浮かんでいるのは、淫魔に対する嫌悪や侮蔑ではない。むしろ懐かしさや哀しさ、追悼めいていた。 「どうしたのだ」  これにはさすがに、レイナルドも可笑しいと感じたらしい。  問いただされた彼らは、申し訳なさそうにうつむいた。ベンはぐすりと鼻を鳴らし、カーラとモリーは慰め合うように寄り添い、目尻に指をやっている。  答えたのはバリーだった。 「申し訳ございません。お客様――ジョシュ様があまりにも奥様に……メイベル様にそっくりでいらしたので驚いておりました」  予想外の返答に、ジョシュは思わずレイナルドを見る。レイナルドも戸惑った様子でジョシュを見返した。 「おばあさまに、か……?」 「ええ。若い頃そっくりの美貌でいらっしゃいます」  レイナルドは探るようにジョシュの顔を眺めるが、バリーの返答は自信たっぷりである。馬丁を除く三人もそれに同調して頷いた。 「本当に、うり二つと言っていいくらいでございます」 「一瞬、奥様が戻られたのかと錯覚致しました」  メイベルは確かに、若い頃はたいそう美しかったと聞いている。ジョシュが出会った時も美しくはあったが、穏やかな皺を刻んだ品のいい白髪の老婦人となっていた。 「ふうん。では若い頃の姿絵でも探しておいてくれ」  あまり興味がないのかむしろ不機嫌そうな雰囲気さえ漂わせて、レイナルドが会話を切り上げる。  レイナルドとジョシュは彼の居室へと身を移した。  ヒース邸で一番広く日当たりのいい部屋は、主人であったメイベルの部屋だ。だがどうやらレイナルドは、祖母が彼にあてがった部屋に住み続けているらしい。彼女の数居る孫の中でも、一番かわいがられ、一番ヒース邸に滞在した孫がレイナルドだ。だからこの屋敷には、レイナルドの部屋がある。  十年前と内装に変化のない、置いてある武具や本の種類は増えた部屋をジョシュは見渡した。紺と銀を基調とした室内には、レイナルドの香りが立ちこめている。  広い部屋だが続き間はなく、水回りをまとめたドアが一枚、付属しているのみだ。 「俺と同じ部屋を使うように。ベッドはあれ一台だが、十分だろう」  天蓋の開かれたベッドは確かに大きい。代々武門の家系であるフィルグレス家の男たちはいずれも大きな体躯をしているので、家具もそれに見合ったものとなる。 「僕としては、従僕として働きに来たつもりなのですけど」 「お前がそういうつもりであることは、後でバリーとカーラにも説明しておこう。好きに振る舞えば良い。ただし、生活するのは俺と同じ部屋だ」 「――屋根裏部屋とかで良いのですけど」 「部屋を惜しんでいるわけではない。俺がお前をここに置いておきたいだけなのだ」  そうまで言われては食い下がれない。 「それに支払いにも、都合が良いだろう――?」  レイナルドが、揶揄めいた口調で思わせぶりなことを言う。思わず彼の背後のベッドを意識してしまったジョシュは、さっと頬を染めた。 「や、でも今日はもういいですから……!」  なにせ黒山羊亭でたっぷりと頂戴している。  レイナルドはジョシュの慌てぶりを可笑しく思ったのか、肩を揺らして笑った。 「お前、普通の食事はどうするんだ? 俺は黒山羊亭で済ませたからいいが」  そう言いながら私服の上着に手を掛け、クローゼットの方に歩き始めるので、ジョシュは慌ててその後を追った。 「入浴なさいますか?」 「入るが……お前に世話は求めていないぞ?」 「一応従僕のつもりでおりますし。レイナルド様のお世話をしていた方が気が休まります」  愛人然として閨事だけを仕事にして他のことを一切やらない、というのはジョシュの性分に反する。 「では用意をしてきます」  レイナルドの返事を待たずに、ジョシュはクローゼット隣の扉へと入り込む。そこは浴室やトイレ、脱衣所、洗面や化粧台を備えたスペースとなっている。どれも最新型に入れ替えたのか、綺麗な設備ばかりだった。だが基本的な物の置き場などは、昔と変わっていないようだ。  ジョシュは浴室にはいり、魔術印の彫り込まれたカランに手をかざす。カランはすぐさま、適温の湯を浴槽に注ぎはじめる。  それを確認した後、脱衣所に戻って入浴剤を探ってみる。すると、白檀の輸入製品が封を切られていたので、それを一包溶かし込んだ。たちまち立ち上る香気はさすが最高級品である。そして再び脱衣所にとって返し、風呂上がりの細々とした必要品を並べてから、部屋に戻った。 「もう沸きますよ」  上着を脱いでラフな格好になったレイナルドは、ソファで寛いでいた。 「お前も一緒に入るか?」 「滅相もない」  ジョシュが軽く受け流せば、レイナルドは肩をすくめただけで浴室へと消えていく。  大人の男が二人入れない広さではないが、本当に滅相もないことだ。 (だけどさすがに、使用人用の風呂って訳にもいかないのかもな僕は。恋人候補って説明されているらしいし。後でレイナルド様の残り湯を貰おうかな)  身体自体は洗浄魔法を掛けているので汚れはないのだが。  浴室から響く水音を聞きながら、先ほどレイナルドが脱いだ上着にブラシを掛ける。そしてクローゼットを少し整理して空間を開け、そこに自分の少ない荷物を置かせて貰うことにした。  荷物と言っても、中身はほぼ服である。それもたった数着だ。あとは手持ちの現金と、銀行口座の証明書。櫛と髪をまとめる革紐が数本。細々とした生活用品たち。  ジョシュは少ない服の中から、一着を選び出した。  ジョシュの持ち物の中では一番上等なシャツとジレである。上等なのはそれもそもはず。これが、貴族からの支給品であるからだ。貴族の私的なパーティーに淫魔を給仕として派遣するような仕事が、数年前にあったのである。パーティー自体は主催も客もド変態貴族の集まりだったが、精液は沢山搾り取れたし、黒山羊亭への実入りも良い『いい仕事』だった。 (とりあえず明日はこれを着るか)  件の貴族の性癖が露出ではなく被覆だったのか、淫魔の服の常としてホルターネック型ではあるものの、背中の空きはさほど大きくない。デザインも、ごくオーソドックスで華美さはない。これならば、従僕の制服として着用しても可笑しくないだろう。  ただ、皺がひどい。  アイロンを借りる為に部屋を出ようとすると、ちょうどレイナルドが上がってきた。
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