仮定的存在の城 証言その1

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仮定的存在の城 証言その1

体に走る激痛に呻き、島原雪次は目を覚ました。 「ここはどこだ?」 「城の中だ、奥の小部屋だ。動くなよ。小口径でよかったな。盲管銃創を摘出する。お前がライルとか静也レベルの身体能力があればよかったんだがな。だがまあいいや。紹介しよう。存在は知っていても見るのは初めてだな?石山さんだ。生体移植と心霊手術の名手だ。お前の手に足を生やすことも容易い。だが普段はコーヒーすら淹れられない。だから基本的に引きこもっている」 「このペスト医師に身を委ねろというのか。心霊手術だと?」 「弾丸の一発が大腿動脈で止まってる。迂闊にいじると大量出血するが、石山さんなら何の問題もない。ゾーイに食い千切られた左腕も元どおり治ったくらいだ。(神経)は切れたままだがな」 石山さんは長いピンセットを握っていた。それが痛みもなく肉体に入り込み、ピンセットが弾丸を摘んだ。 微かな痛みで島原は呻いた。あと二箇所、脇腹ともう一箇所弾は残っているはずだった。 十分ほどで手術は終了した。 「ここは、マダムルーリーの館か?」 まだ微かに痛む足をさすりながら島原は言った。実際石山さんは大した名医と言えた。 「いや、お前が撃たれた瞬間、お前はこの世から消滅した。俺も一緒だ。お前という存在が消滅した時、深く過去を共有していた俺も消えたに等しい。だが世界を改変するのはかなりの力がかかる。そこに付け入った。俺とお前は今存在と非存在の狭間にいる。あとは真琴の救出を待とう。この「仮定的存在の城」の中で」 「城だと?」 「ああ。お前が消えたんで俺もちょっと必死になった。ここは俺が作り出した城だ。全て仮定的に存在する者達がいる。普遍的無意識の海の中で織田信長に何で本能寺の変が起きたのかぷゲラしながら聞きに行こう」 それが本当なら、恐ろしいまでの力の発揮だった。勘解由小路はあの一瞬でここまで。 「信長もいいが、事件を考えよう。パーティーの出席者は城にいるのか?」 「いるよ。何もかも消したい馬鹿がいる。これはそういう事件だ。消滅願望が鍵だ。犯人はあの中にいる。真琴達が助けに来る前にやっちまおう」 島原達は部屋の外に出た。 果てしない廊下と数え切れない扉が続いていた。 勘解由小路が最初に選んだ扉の中には、中年の男が一人で椅子に座っていた。 「背内幹浩です。今は小売店で働いています」 「その前は何をしていた?」 「二十代の頃は劇作家を目指してフリーターしてました。30になったタイミングで海外一人旅したあと、地元に戻って警備会社に入りましてね。最初は請負業務の現場仕事で、三年ほどして正社員になったんですがね」 「そこで何があった?制服時代に」 ああ。背内は息を吐いた。 「私はね?ホームセンターの制服保安警備をしていたんですが。全国に出店するそこそこ規模の大きなホームセンターだったんですよ。上場はしてないんですがね。旧店の全面改装と新店オープンの度に全国の警備会社が使われるんですが、うちのいた会社は何故か重用されまして。年の半分は出張で泊まり込みで出張する羽目になりました。改装の時は一月、新店の時は二ヶ月、毎日毎日朝から晩まで休みなく働かされました。酷かったのは改装と新店が重なった時ですよ。四ヶ月ほど全く休みがなかった。この時点で労働基準法に違反しているのは解りきっていたんですが、まあ収入が増えるのは励みになりました。やがては飯能の店舗で改装に奔走している時、例の大規模震災が起きた」 島原にとってはもう8年近い前だが、背内にとっては昨日起きたことのようだった。どこを見つめているのか判然としないまま、背内は語り続けた。 「あれは大騒ぎだった。既に隊員を派遣していた店舗の被害はまるで情報が入ってこなかった。電話は全く不通で、何かの拍子に入ってくる電話では店の被害状況が入ってきました。店舗の二階に続くオートスロープがずれて動かなくなった。スプリンクラーが火災でもないのに作動して水浸しになった。テレビでは絶望的な様子が映し出されていた。ジリジリしながら繋がらない電話をかけ続けていると、取引先からの電話があった。狙っているとしか思えなかった。彼等の電話だけはかかってくるんだ。仙台港の近くのモールの一角にある店が津波で流されたという話があった。念の為に店の警備に人員を出せという話だった。未だに思う。8年経っても。正気とは思えなかった。悪夢のような被災地の真っ只中に健康な人間を送り出す行為に意義が見えなかった。店舗警備の担当責任者の男は、前から他の取引先にパワハラするので有名な男だった。店長時代から取引先の相手に因縁をつけて土下座を強要する男だった。そいつのくだらない功名心に付き合わされて、俺は震災直後の仙台に向かうことになった。家族にも言えなかった。状況も解らない。生きて帰れるかも判然としない状況で、乗用車で国道4号をひたすら北上することになった。現地に着いて最初に警察に止められた。火事場泥棒と思われたんだな。警備で他県から派遣されたと言ったがにわかには信じてもらえなかった。当然だろう。その時東北は生きるのにギリギリで警備なんて思うべくもなかった。何もかも洗い流されたその場所で何を守れというのか。現地に着いたのが払暁前だった。夜が明けて言葉を失った。隣にはアウトレットモールの建物があって、観覧車があったが全く動いていなかった。駐車場全域に堆積した砂、凹んだアスファルト。冗談ごとじゃなかった。ありていにいうとチェルノブイリにいるような気にさせられた。とっくに死んでしまった町に延々とうろつくトラックは多分火事場泥棒だった。仙台港のフロートには大量の新車が搬入され、納車されるのを待っていたが、店の裏の道路を埋め尽くすようにひっくり返って積み上がっていた。俺達は警備の為に店舗周囲を確認し、蛇腹を閉め、蛇腹周囲にカートを積み上げて容易に店舗に入れないようにした。そこで腰を抜かしそうになった。別に死体とかじゃない。既に自衛隊が確認したあとだった。例のアウトレットモールの駐車場は特に砂が厚く流れ込んでいて、斜めになった日産だかトヨタだかの新車が斜めに突き刺さっていた。何かの冗談みたいに思えた。あー、刺さってんなと同僚と笑ったのを覚えていた。それが最初に見た光景だったが、数時間後に見て驚いた。車が跡形も無くなっていた。とっとと火事場泥棒が車ごと持って行っちまったんだな。店の裏の車の山も綺麗に片付いていた。俺は見たよ。あのモラルもへったくれもない人間性の払底した町で、蟻のように金目のものを拾っていく奴等を見ていると、こちらもどこまでも捨て鉢な気分になるんだ。車中で一泊した。実質24時間警備だが、夜になったら車から出ないのがルールになった。既にレジは全て破壊されていたしな。盗まれて困るようなものはないように思えた。だったら何でこんな所に俺達はいるんだろうと思ったがね。店内に入れなければ最低限の仕事になる。そうして一日が終了した。翌日相手の会社の常務が見物に来た。えらく腰が低そうに見えた。普段は俺達警備員なんぞ路傍の石ころにすぎんて顔してるのにな。やたらと俺達をねぎらうように見えたが、結局こいつも俺達をここに呼び寄せた奴に過ぎなかった。体裁だけ整えた本社直下の別会社が店舗警備を取り仕切っていることになっていたが、そこの筆頭株主がその常務だった。俺達が死んだりすれば大騒ぎだ。全く震災被害にあっていない奴等をわざわざ被災地に送り込み、そこで何かあれば責任を取らざるを得ないんだからな。店舗で売っている賞味期限すれすれの菓子パンだのインチキカロリーメイトを箱ごと押し付け、携行缶のガソリンを放り込んで常務は帰っていった。付き合わされた運転手の社員が気の毒に思えた」 東日本大地震か。その頃島原は被災地に派遣され、福島県の巡回警備を行い、数人の不法侵入者を拘束したのを覚えている。勘解由小路は警視庁舎の奥でのべつだらけていた。 あの地獄に行ったのは自分が公務員だったからだ。民間の、私人がわずかな給料の為に自らそこに赴いたというのは理解し難かった。 しかし、彼等のような人間がいたから、ギリギリのラインで秩序が保たれたと思うと、送り込んだホームセンターの人間が不人情だとは言えなかった。実情を知らないからだと言われればそれまでだが。 「地元では計画停電が行われたというが、俺のいた仙台は無計画停電が延々と続いていた。店の前に設置された動かない自販機は何ともシンボリックに見えた。壊されていないことだけは救いに見えたな。もともといた地元東北の警備会社の人間も駆り出されていた。あえて交流していなかったが、自宅が崩壊した状況で何を警備するというのか。どこまでも不条理を感じた」 「それで、お前はいつまでいた?」 「9泊10日だった。それ以降は解らん。辞めたわけではなかった。うちの本社が別の事業に手を出していて、その頃会社は自衛隊基地の配食業務を入札したが人手が足らず、俺はもう一人いた後輩ととんぼ返りで神奈川に向かった。実家の群馬をスルーして。ああそうだ。震災で様々な人々の暖かい人間性の発揮だの誰も略奪行為に走らなかったというがとんだ嘘っぱちだ。俺達が警備に立っているというのに平然とフェンスを超えて店に入ろうとした人間がいた。食い物がなく種芋を盗みに来た若い学生のような奴がいた。視線が定まらず某然としているように見えた。アウトレットモールの警備員の話では近所の電気店に侵入した賊によってたかった殴られ重傷を負った警備員がいた。人的被害がないなど嘘っぱちだ。偶々様子を見に来た物置会社の社員からは、よってたかって性的に暴行された少女の話を聞いた。店の裏は仙台港だったが、ある日妙な年寄りを見た。自転車で港に向かったが、しばらくすると帰ってきた。後ろの荷台には90リットルのゴミ袋に満載された緑色の物体があった。また別の年寄りは赤いものを袋に詰めて戻ってきた。その後大量の自転車が港に向かっていった。それが何かは言うまでもないだろう。店舗の裏手には大きなカップめん工場があった。あれを略奪とは呼ばないとはな。何か別の世界に紛れ込んでしまったような気持ちにさせた」 「なるほど。連中はボランティア精神満載でカップ麺を大量に盗んでいったわけだな。どいつもこいつも食い物のない人間に無償で配る為に無人の工場に堂々と侵入し、大量の緑のあれとか赤いあれをきちんとチョイスして持っていったんだな。緊急事態では彼等は泥棒ではない。人々のかけがえのない生命を守る為に拝借したに過ぎん訳だ。つまり、マルちゃん仙台港工場に悪人はいないと、そう言う訳なんだな」 そんな訳はない。泥棒しかいなかった訳だ。当時の仙台港周辺の住人は。勿論全ての住人がそうだった訳ではない。ただし自転車で移動可能な距離に住んでいた多くの仙台市民はその恩恵に浴した可能性はある。残念ながら。 部屋を出て、島原は話しかけた。 「あの会話に何があったんだ?」 「ありゃあ要するに過去の告解だ。自分の罪を告白したに等しい。次は隣だ。入るぞ。しっかりついてこないと仮定的存在が確定的に消滅に向かうぞ」 消えるのはごめんだ。島原には勘解由小路についていくしかなかった。
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