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1.辺境です。あるのは自然だけです。
背後には踏破不可能とされるエアラ山脈。吹き下ろす凍えた風。牛や羊は先祖代々、過酷な環境に対応してがっしりした足を持ち村人の生活を支えてきた。
ティトラス王国歴1827年。
北方のミューゼナ村は人望厚い領主・トリュニトのもとで穏やかに暮らしていた……はずだった。
「ええっとですね。この村の井戸は2カ所しかないんですよ。だから兵士達の飲料水を確保したいと言われましても難しくって……」領主の妹・エンティトナ、16歳。生れてこのかたこの辺境の地を出たことなど無い。
北方の一族に多い白い肌と、濃い色の髪。若葉を溶かしたような緑色の瞳は、さきほどから目の前にいる、隣国アゼスト国の第五王子、十七歳のジオナスにむけられたまま、びくびくと落ち着かない様子だった。
このジオナスという王子様。とにかく威圧感がすごい。
総勢一万人という軍隊を率いて、踏破不可能と言われていたエアラ山脈を越えて侵略してきた。
それだけでも、大したものだと思うのだが、何せ、この辺境の地は物資不足。
冬を前に収穫した物は村民達の大切な食料となるのだ。
大麦一粒だって渡せない。
エンティトナはもう一度、思い切ってジオナスに交渉すべく口を開きかけた。
「何度も同じ事を言わせるな。村人の家を押収したっていいんだぞ」
「それは困るっ」
エンティトナが立ち上がると、ジオナスの背後に立っていた副官がちらりと目元に笑みを浮かべた。
金髪を長く垂らし、軍服に身を包んだ副官はクシダという。この名前は軍人の中では有名らしくてかなりの知略と戦歴を持つ。
初陣のジオナス王子様にアゼスト国の王が副官くらいはちゃんとした者を配属したのだろう。
ジオナスは十七歳という年齢にふさわしい、少年らしさを残した……わがままに育った者らしい傲慢さでエンティトナを見た。
ここまで、感じ悪くできるのも才能かも知れない。
エンティトナは、ジオナスの茶色い髪や浅黒い肌、黒い瞳を順に見ていった。
整った顔をしていながらいつもふてくされたような表情のせいで、王子らしい威厳が皆無だ。
「無い物は無いと、エンティトナ姫はそう申されているのですよ。ジオナス王子」
副官のクシダは教え諭すように言った。
「やはり当初の計画通りに、ティトラス王国の首都に侵攻するべきかと存じます」
それは困るっ。
「待って、待ってってば……そんなに急いで侵攻しようとしたって。ミューゼナ村と首都の間にはバキト湿原が広がってる。そこは冬になって地面が凍結しないと渡れない不毛の地なのよ」
「ええ、存じてますとも。ですが、このままミューゼナ村に軍を駐屯させていては、兵士が飢えます。今のところ軍規は統率できておりますけれども、そのうち不満に思った兵士が略奪行為を始めてしまうかもしれない」
副官クシダは淡々という。それがまた、エンティトナの恐怖を煽った。
「エンティトナ姫には軍に同行していただきたい」
「同行って、それって……」
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