全1/30エピソード・完結
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 背中に拳銃をつきつけられたとき、おれはピンク色のウサギの着ぐるみを身につけていた。  どこのどいつが、とぼけたウサちゃんのかぶりもので覆われた男に、こんな形でアポイントをとるだろう。  心当たりはただ一人だ。 「冗談はやめてくれ、橋爪ゆりか」  ちらっとふりかえると、橋爪ゆりかは婦警の制服を身につけていた。よくあるニセ婦人警官のコスプレだが、この女が握っている拳銃は本物だ。武器に関することでは、オモチャを使わないのがこの女の主義だ。  だが、考えてみれば……。  ここはさびれた商店街だ。ポイントサービス活性化キャンペーンで風船を配っているウサギの背後に、美人の婦人警官が立っているのは大して不自然ではないかもしれない。  もっとも、サングラスで顔を隠した婦人警官だったが。  ニセ婦人警官がささやく。 「見つけたわよ、連れ戻し屋。いまの偽名は不如帰鉄幹? それとも夏目由良之介?」 「ピンキーラビットだ」  ゆりかの銃口がもふもふのピンクの体毛を圧迫する。おれは目の前のガキどもに風船をにぎらせ、背後にささやいた。 「子どもたちの夢を奪いたくないが、言うよ。長谷、明……だ」 「失望したわ」 「なぜ?」  銃口の指圧が強くなった。ゆりかは言った。 「平凡な偽名ってきらいよ」 「そんな理由で撃つつもりか?」 「いけない?」 「それは質問か?」 「本当の名前を言いなさい」 「この偽名で売り出したいんだよ」 「長谷明……。まあ、いいわ」  ハスキーな女の吐息には、葉巻の香りがまじっているようだった。振り向こうとしたおれの動きを、女の銃口がけん制する。肩甲骨の間が、ぐりぐりと痛いほど指圧された。 「連れ戻し屋のくせに連絡を絶って行方をくらますなんて、世も末ね。見つけてみればウサちゃんに扮して幼稚園や商店街で愛嬌を振りまくアルバイトだなんて。まったく腹が立つわ」  周囲にむらがるガキどもの手にガムや風船を押し付けて、おれは橋爪ゆりかの誘惑に、いや誘導に従った。  おれは流行らない運び屋だ。連れ戻し専門の。  突然家族や友人にも告げずに、ある人物がいなくなる。生活に疲れたとか、家庭に居場所がないとか、犯罪にまきこまれたとか。理由はさまざまだ。  むかしはこうした失踪を「人間蒸発」と報道することもあったそうだ。  おれはそういった人を探し出し、連れ戻す仕事をしている。もちろん依頼人はその家族であったり、友人であったりだ。  依頼人たちは本当なら警察に相談すべきところだが、世間体を気にして届けなかったり、あるいは警察が動いてくれないと嘆いて転がり込んでくる場合がほとんどだ。  だから、おれが仕事にはげめばはげむほど、警察は自分たちの領域を侵されたと感じてむかっ腹を立てるんだろう。  あるケースなど、新興宗教団体に入信した若造を自宅へ戻そうとして、ウソのテロ情報を警察に流してかく乱した。  また別件では詐欺集団に拉致された少女を母親のもとに連れ戻すため、警官を装った。  あるいはまた、説得もできないほどもとの居場所を嫌っている家出息子が、ヤクザな連中の奴隷になっていたのを、殺人事件を偽装して自宅へ強制的に連れ帰った。  橋爪ゆりかは、そうした仕事の仲介業者だ。もっとも、ときと場合によって「相棒」になったり「敵」になったりした。  とにかくおれは厄介な連中の恨みを買っている。  特にいま、おれが第一に警戒すべきなのは、ミネヅカだろう。  ミネヅカは裏の世界ではだれもが恐れる男だ。表向きは一介の健康食品通販会社の社長だが、有力な政治家ともパイプがある。大蔵大臣の神原竜一郎だ。  神原竜一郎自身はたいした男じゃない。小心で無能なくせに自己顕示欲ばかりが肥大した俗物だ。  その証拠に、おれが連れ戻した佐藤の一件がある。  佐藤は神原の第一秘書だった。収賄事件の罪をかぶせられ、自殺に見せかけて殺されるところだったのだ。間一髪、おれが現場から連れ戻し、いまでは家族と一緒に日本を離れている。おれの偽名の「不如帰鉄幹」がいまでは佐藤の身分証に記載されている。 「あの一件のせいで、おれはミネヅカに目をつけられたんだぜ」  おれはゆりかに文句を言った。連れ戻し屋の仲介業者として、彼女が請け負ってきた仕事なのだ。  ゆりかが佐藤の家族からの依頼を受け、おれが捜査し、連れ戻した。  当然、佐藤の偽装自殺の依頼を受けたのはミネヅカだ。  ミネヅカは飼っている殺し屋たちにこの仕事をさせようとした。それが失敗に終わったのだ。  ミネヅカは仕事を邪魔したおれを見つけ出し、血祭りにあげようと狙っている。そうしなければ、面子が立たないのだ。  おれはいい仕事をした。だが、感謝される以上に、より多くの強大な敵をつくる場合がある。これこそ「割に合わない」というのだろう。偽名がいくつも必要なのは、そんな理由だ。
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