全2/30エピソード・完結
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 商店街の裏に出た。そこには場違いな高級車、銀色のメルセデスベンツが止まっていた。 「乗るのよ」  素直にベンツに乗り込もうとした。でも、ウサギの耳がぶつかって、体が車内に入らないのだ。くそ、このかぶりものを被ってさえいなかったら。 「脱いで」  女がいらだって声を荒げた。銃口がさらに背中にめりこむ。 「おい、ウサちゃんを撃つなよ」  着ぐるみのウサギの背中に、黒い焦げ跡をつけたくない。おれはいさぎよく、頭をすぽっと抜いた。さらに全裸をさらそうと、背中のファスナーを下ろしにかかる。ゆりかが銃を持っていない方の手で、おれの肩を邪険に小突いた。 「それ以上脱いだら、殺すわ」  脅しではなさそうな口ぶりだった。  車内は喫茶店ができるんじゃないか、と思うほど広かった。  運転手の席とはきちんと隔離されていて、シートが向かい合わせになっていた。ちょうど列車のボックス席のような具合だ。ちっちゃなテーブルがある。信じられないことに、コーヒーメーカーと小型の冷蔵庫までが備わっていた。 クラシックが流れていないのが不思議なくらいだ。きっと夜にはバーになり、カクテルを飲ませてくれるだろう。  シートの上には、仕立てのいいスーツを身にまとった灰色の髪の男がいた。  おれはその男の正面のシートに腰掛けた。女が銃をつかんだまま、隣に体をすべりこませてきた。  灰色の髪の男は腹回りに脂肪がついているが、怠惰な印象はない。むしろ一種の貫禄があった。あごの張った頑丈そうな輪郭。濃い眉の下の目。どこをとっても人を指図するのに慣れた威圧感がある。  音もなく、メルセデスベンツが発車した。 「まあ、コーヒーでも飲みたまえ」  男が言うと、ゆりかはきちんとドリップしたコーヒーを、カップとソーサー付きでおれに差し出した。こういう場合、紳士として小指をたててコーヒーカップを持ち上げるべきだろうか?  にがいコーヒーだった。  おれはウサギの「頭」を脱いだ気楽さで、正面の男に笑いかけた。 「名乗ってくれよ。それから、橋爪ゆりかをあごで使える理由も教えてくれ」 「わしは堂嶋慶吾郎。ゆりかはわしの秘書をつとめている」 「非合法連れ戻し屋仲介業者兼大企業トップの秘書か。よく働くこった」  隣にすわった橋爪ゆりかにおれは言った。それから堂嶋慶吾郎氏に目をむけた。 「見た顔だと思ったよ。新聞や雑誌で書きたてられている、あの政財界の大物か? そっくりさんじゃないだろうな」 「本人よ」  おれの隣でゆりかが言った。 「手荒なマネをして、すまなかったわ」  ちっともすまないと思っていない口ぶりだった。すでに銃は品のいいグレイスバッグにしまっている。  ゆりかは自分の分のコーヒーを用意した。 「仕事を引き受けてもらいたい。ある男を連れ戻すのだ」  堂嶋氏の声に懇願の響きはない。承諾を待つ声色だった。 「そいつの名前は?」 「堂嶋雅史」 「あんたの息子だな。ドウシマグループの御曹司で冒険家の」  彼はヒマラヤ山脈のキャラニジャール南西壁を攻めて帰ってこない。  堂嶋雅史の遭難はワイドショーでもネットでもさんざんに騒がれている。
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