全3/30エピソード・完結
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 私営鉄道を所有するドウシマグループの総帥、堂嶋慶吾郎。  彼の一人息子にして、ヒマラヤ山脈の霊峰キャラニジャールに挑む男。それが堂嶋雅史なのだ。  堂嶋雅史がかなりのイケメンであることで、人気は沸騰していた。  ドウシマグループは企業内で山岳会が結成されている。  もともとは社員の親睦を深めるためのサークル活動にすぎなかった。それを日本を代表する登山家や冒険家たちの育成機関にしたのは、ほかならぬ堂嶋慶吾郎氏だ。  自身も若いころはアルピニストとしてパーティを組み、アイガー北壁を攻めたという経歴の持ち主だ。  大学生の山岳愛好者たちをグループ企業に勧誘して就職させ、山岳会に入会させることで、会の実力は向上したのだ。  不景気のためか、最近ではギアナ高地やアマゾン河の探検といった冒険に金を投資しようという企業はない。  そんななか、ドウシマグループだけがいまだ「実力ある冒険者を支援する」というスタイルを崩していなかった。  そういう企業グループイメージが株価を安定させ、企業ブランドとして価値を高めている。  堂嶋雅史はそういうドウシマグループが出したスター性ある登山家でもあるのだ。 「父親として息子の不幸を信じたくない気持ちはわかる。だけどね、堂嶋雅史はヒマラヤ山脈の霊峰キャラニジャールで消えた。もう二年になる。だいたい霊峰キャラニジャールって言えば、鎖国をしているキャラパス王国をふところにおさめている山だ。未踏の山にして、未知の王国を飲み込んでいる霊峰。……息子さんの遺体は発見されていないが、すでに死亡したものだと、救助隊もマスコミも、彼の友人たちさえもが、さじをなげているはずだぜ」 「せがれは生きている。いまこうしている間にも、救助を待っているのだ」  堂嶋慶吾郎氏がスーツの内ポケットから茶封筒を取り出した。 「これを見てくれ」  封筒の中から、一枚の写真が出てきた。 「キャラパスの王都、ザグーの街角を写したものだ」  ザグー市のジャレンドラ広場に近い、バザールがある路地だという。  極彩色の黄色や青色の長い衣をまとった男たちや、ヤクという毛の長い家畜に荷物をくくりつけた商人たちが歩いている。建物のレンガはくすんだピンク色をしており、高地特有の澄み切った蒼い空に尖塔がそびえていた。 「写真を撮ったのは、海外のニュース雑誌のカメラマン」  堂嶋氏の指が差ししめすのは、バザールの雑踏の中を歩いている一人の東洋人だ。 「この人物、似ているとは思わんかね」 「はい、似ています」  ゆりかが言った。熱っぽく力強い声だ。 「堂嶋雅史……。まちがいないと思います」  ターバンを巻いた現地の人々から、確かにその男は浮いていた。  オレンジ色のナイロンのジャケットを着込み、寒そうに肩をすぼめている。サングラスをかけているが、なるほど堂嶋雅史の面影がある。 「けどね、確かに堂嶋雅史だとは言い切れないね。むしろ、彼が生存していると信じたくて、見間違っているかもしれない」  あらためて、おれは写真をながめた。  二人が堂嶋雅史だと信じる東洋人の隣には、より目を引く人物がいた。インド人のような風貌の大男だ。  大男は堂嶋雅史らしき東洋人と並んで歩いている。極彩色の華やかな雑踏の中で、グレイの軍服を身につけたその男は陰鬱で危険な雰囲気が漂っていた。関わりたくないタイプの人間だと、ピンときた。 「依頼というのはだね」  堂嶋氏が言う。聞きたくないね。 「現地へ飛んで、この写真の人物を確認してほしい」 「やだよ」 「そして本人である場合、連れ戻してもらいたいのだ。死亡が確定された男が生還したとなれば、マスコミは一転するだろう。わが子を使い捨ての社畜冒険者にした、などという不名誉な文句を取り下げ、一躍ヒーローに祭り上げる。そしてドウシマグループを称賛するはずだ。これには社運がかかっている。なんといっても、わしはせがれをあきらめきれん」 「やだってば」  おれが拒否したことが信じられず、橋爪慶吾郎氏がまじまじと顔を見つめてきた。  そのときだった。  唐突に堂嶋氏がわのウィンドウが音をたてて割れた。  ガラスの破片がシートに散乱し、外気が勢いよく吹き込んできた。  自動車が左右にゆれる。運転手が動揺してハンドル操作をあやまっているのだ。 「落ち着け、スピードを落とすなッ」  運転席にむけて、おれは怒鳴った。一瞬、ブレーキを踏み込んだ運転手だったが、その一言でアクセルに切りかえる。  エンジン音が響き、銀色のメルセデスベンツが一気に加速した。  そのあいだにも、おれは割れたガラス片まみれになった堂嶋氏の前に身を乗り出して、うつぶせにさせる。手につかんでいたピンキーラビットの頭で堂嶋氏の肩と背中をかばった。  窓の外にはバイカーがいた。  ハーレーの重々しい躯体が追い越し車線側を走っている。  男は片手に銃を持っていた。ヘルメットはかぶっておらず、乱れた髪の中で目ばかりがキラキラと輝いている。まだ若い男だった。口をくちゃくちゃと動かしているのが見て取れた。きっとガムでもかんでいるんだろう。  そいつは銀色のメルセデスベンツにピタリと伴走する形でハーレーを走らせているのだ。  バイカーはうんと接近し、割れた窓から銃口と顔をのぞきこませてきた。 「なぁおっさん」  おまけに、なれなれしく話しかけてきた。信じられないほど明るい無邪気な声で。 「おれ、あんたを撃たなきゃなんねーんだよー」 「おっさんてのはおれのことか?」  こいつにおっさん呼ばわりされるほど年老いていないつもりだが、念のため聞いてみた。なにしろミネヅカに恨まれている身の上だ。  隣のゆりかが動く。グレイスバックから小さな銃を取り出す気配がした。  カーブにさしかかった。賢明な運転手はスピードを落とさなかった。車体が右に大きくふくらむ。メルセデスベンツの車体がハーレーに接触しそうになったが、バイカーはそれをたくみに避けた。 「おーいらーがたのまれたーのはー」  わーれはうーみのこー……と童謡を歌うような調子で男は言った。 「どーしまぁって人だよー。でも全員殺せばぁ有名になれるかもなー」 「ふざけないで」  ゆりかが右腕を伸ばす。おれの背の上でパンと軽い音がした。銃声だ。  堂嶋氏の上にピンキーラビット、その上におれがいて、さらにおれの上に橋爪ゆりかがかぶさる姿勢になった。  ハーレーのタイヤがきしる音が響く。  ちっくしょーという罵声が後方で遠くなっていった。  壊れた窓から吹き込む風は強かった。でもそこに、殺し屋の無邪気な顔はない。 「お怪我はッ。総帥」  ゆりかが体をどかし、おれはピンキーラビットの頭をとりのぞいて、堂嶋氏を助け起こした。  堂嶋氏がうめいている。  ガラス片でこめかみを切ったらしく、血が流れていた。 「早く、病院へ」  ゆりかが運転席に声をかけた。  堂嶋氏はハンカチをとりだし、汗と血をぬぐった。ショックで蒼白になっている。  それでも堂嶋氏はおれの鼻先に分厚い封筒を差し出した。封筒は血でよごれていた。 「現金で三百万ある。これは半額で前渡し分だ。もちろん、渡航費用は別途に支給する。息子を、かならず」  おれの手は無意識に封筒をにぎっていた。 「連れ戻して」  橋爪ゆりかが後を続ける。そしてすかさず、バックから何かを取り出した。 王国への渡航チケットだった。
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