1|始まらなかった日常

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***  雷奈たちが連れてこられたのは、細い路地裏の奥、袋小路だ。そこに、彼女らは異様なものを見た。  地面にマンホール大の円形があり、そこから青白い光が放たれている。円形の内部は光で満たされており、地面とは一線を画していた。 「何、これ……」 「ワープフープだよ」  こともなさげに、青い猫は言う。 「人間界とフィライン・エデンをつなぐポイント。これが見えている時点で、君たちは選ばれた人間ってことの証明だよ」 「他の人には見えんと?」 「見えないわ。見えないし、近づこうともしない。人間のための世界じゃないからね。ちなみに、今となっては他の動物も近寄りたがらないわ。きっと、こちらへきたら強者のテリトリーを犯してしまうと本能で悟っているのね」  白い猫はそう言うと、雷奈たちを振り返った。 「一度来てみる? ワープすれば、信じてもらえるのではないかしら」 「なっ……」  息を詰めた後、氷架璃は口角泡を飛ばしてまくしたてた。 「バカ言うなよ! そんなわけのわからんところに行って、帰ってこられなかったらどうすんの!? しかも体に影響があったりするかもしれないだろ!?」 「それはないわ。だって、今までもあなたたちと同じように選ばれた人間はいたもの。彼らもフィライン・エデンと人間界を行き来していたと聞くわ」 「んなこと言っても……!」 「待って、氷架璃」  氷架璃の前を腕が遮った。雷奈だ。 「私、行ってみるばい」 「雷奈!?」  彼女は頭一つ分背の高い氷架璃を見上げて、真顔で言った。 「私が行って、もし帰ってこんかったら、氷架璃たちは来なくてよか。この目で確かめてくるけん、待ってて」 「ちょっ、そこまでする必要ある!?」 「氷架璃」  雷奈は色素の薄い瞳で氷架璃をまっすぐに見つめた。 「私たち、もう巻き込まれとる。私たちだけじゃ、巻き戻った時間の謎はもう分からなか。ここは、事態を共有できる猫たちと関わっといたほうがよかろ」 「……」 「それも、そうね」  芽華実は不安げにしながらもうなずいた。氷架璃もしぶしぶ了承したのを見て、青い猫は口を開いた。 「じゃあ、ボクたちと一緒にこの円の中に入ってきてくれるかい? 一瞬で向こうに行けるからね」  彼はそう言うと、ワープフープの中に足を踏み入れた。白猫も続く。 「それじゃ、行ってくるばい」 「気を付けてね」 「なんかあれば電話してよ?」 「電波通じるかわからんよ……?」  苦笑しながら、雷奈はワープフープに入った。その、直後。 「わっ!」 「消えた……!」  光が一層強くなったかと思えば、それが収まるころにはもう、一人と二匹の姿は跡形もなくなっていた。本当に、ワープしたのだ。  二人が唖然としている間に、まもなく再びワープフープが光った。まばゆい閃光が薄らぐにつれて、徐々に雷奈の輪郭が浮かび上がる。帰ってきた雷奈は、興奮気味に二人へ駆け寄った。 「氷架璃、芽華実! 本当に、本当に違う世界につながっとったばい! あれがフィレイン・オデン!」 「フィライン・エデンだよ! 何その高級おでん、フィレ入ってんの!?」  二匹の猫も一緒に戻ってきたようだ。氷架璃は青い猫に労わるような目を向けると、 「あんた、ツッコミに余念がないな……」 「君たちがツッコませるからだよ! ボクだってもう疲れた!」  中性的な声でひとしきり叫ぶと、青い猫は仕切りなおすように咳払いをした。そして、真剣な表情――普通の猫よりも表情が豊かで顕著だ――を浮かべ、三人に向き直る。 「もう信じてもらえたかな。フィライン・エデンのこと」 「……まあ、雷奈を疑いはしないし、別世界があるってんなら、あるんだろうな」 「現に、あなたたちを見ていると、もう今までの日常じゃないんだな、って思うわ」 「助かるわ。私たちのこと、そしてフィライン・エデンのことを認めてもらったうえで、私たちがなぜあなたたちに接触したのか、あなたたちを知っていたのかを話すわね」  白猫も居住まいをただした。 「私の名前は風中(かざなか)フー。代々、選ばれし人間の接待を担う二家の一つ、風中家の正統後継者よ。私の家系は、選ばれし人間が現れた時、こうして人間界へ出向き、その人間と交流して、フィライン・エデンとの橋渡しになるの。その選ばれし人間は、現れる一年ほど前に神託で知らされる。今回私が知らされた人間が、あなた、美楓芽華実よ」 「私のことを、一年前から……。いったい、私のこと、どこまで知っているの?」 「顔と名前だけよ。ほかのことはまだ何も知らないわ」 「ちなみに、ボクもフーと同様の立場にある。ボクは流清(りゅうしょう)アワ。二家のもう一つ、流清家の正統後継者だ。ボクへの神託は、水晶氷架璃の顔と名前」 「神託って……誰が神託なんて出すんだよ?」 「文字通り、こちらの世界での『神』かな。ボクたちは『君臨者』と呼んでいるのだけどね。もちろん見たことはないけれど、君臨者の存在を否定するといろいろ説明がつかないから、一般的に存在するというのがこちらの世界での認識なんだ」  青い猫、アワはひょいと片足をあげた。人間が指を立てて話すときに似ている。 「ともかく、ボクたちは選ばれた人間と交流し、フィライン・エデンの発展に役立つ使命がある。今回はそれに加えて、この巻き戻った時間の謎を解くという追加業務つき。本業については、君たちはボランティアみたいになってしまうけど、追加業務については、君たちにとっても悪い話じゃないでしょ? 困ってるんだから」 「要するに、あんたらの世界の発展と、この狂った時間の謎解きのために、あんたらと交流しろってこと?」 「まあ、そうだね。特に氷架璃、君はボクとはパートナー関係になってもらう。フィライン・エデンの代表として、ボクが君の接待をするよ」 「ふむ」  氷架璃は事情を呑み込めたようで、一つうなずくと、 「やだ」 「え」  ぱかっと口を開け呆けたアワに、氷架璃は手をひらひらと振って続ける。 「なんでそんなもんに付き合わされなきゃいけないんだよ。こっちはこっちでやることあんの。時間の巻き戻しについてはそっちの方が詳しいんじゃないの? そっちでぱぱっと解決しといてよ。ね、芽華実」 「え、わ、私は別に構わないんだけど……」 「は?」  今度は氷架璃があごを外す番だ。芽華実は少し恥ずかしそうに、両手の人差し指同士を合わせた。 「だって、ほかの世界の住人が、私たちと親交を深めようとしてくれているんだよ? なんだか嬉しいじゃない。巻き戻った時間についても、一緒に解決に乗り出してくれるみたいだし、私は協力したいな」 「……あんたって人は……。こいつらがもし、そうやって私たちに取り入って、人間界を侵略しようとする輩だったらどうすんのよ」 「ボ、ボクたちそんなことしないよ!」 「悪者はみんな、口そろえてそう言うんだよ」  氷架璃は芽華実と雷奈の肩を抱くと、回れ右して、 「狂った時間について調べてくれるのはありがたいけど、わけのわからん世界に巻き込むのはやめてもらえる? ……行くよ、芽華実、雷奈」 「え、ちょ……」 「よかと?」 「いいのっ」  そのまま振り返ることなく歩いて、路地裏を後にした。  取り残された二匹は、黙って彼女らの姿を見送っていた。三人が角を曲がり、見えなくなっても、顔を見合わせるでもなく、ただ路地裏の出口を見つめたままだ。 「どうするの、アワ」 「決まってるよ。説得するしかない。彼女は間違いなく神託にあった少女。ボクのパートナーになる人間だ。……それに」  黒目がちな瞳が、やや剣呑に細められる。 「――もう、目をつけられてる」   路地の表、雷奈たちが歩き去った道を、四つ足の黒い影が横切った。
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