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第一話
谷崎くんから写真をもらった。
写真は前にも何枚かもらったことがあるけれど、今度は何枚、というレベルではない。何十枚という写真が、今抱えている封筒の中に入っている。
学校からの帰り道、風景はいつもよりも早いスピードで流れていた。一刻も早く写真が見たくて、どうしても急ぎ足になってしまうからだ。
私は自分の足より早く駆けだす胸を抑えるために、そっと封筒を抱え直した。すると重ねて入れられている写真の感触が指に伝わり、見るのがもっと待ち遠しくなってしまった。
どんな写真なんだろう。学校では、ほんの少ししか見せてもらえなかったんだよね。谷崎くんが自分で現像した写真が入っていると聞いたけれど、それを見られるのが恥ずかしかったのかな?
谷崎くんが「あとは俺のいないところで見てくれ」とぶっきらぼうに言ったときの表情は、今まで見た中でも一、二を争うほど、レベルの高い照れ顔だった。しばらくの間は、思い返すたびに楽しめそうだ。……谷崎くんには怒られそうだけれど。
玄関でただいまを言ったあと、脱いだ靴も直さず階段を駆け上がる私を、お母さんが不思議そうに見ていた。
あんまり急ぎすぎて階段にすねをぶつけ、痛さのあまりに妙な踊りをしたところもしっかりと見られてしまっていたらしい。私が部屋に入っても、階下から聞こえるお母さんの笑い声が止むことはなかった。
今日の夕ご飯の話のネタはこれで決まりかもしれない。家族三人から笑われる自分を思い浮かべて、私は自分のうかつさにちょっぴり肩を落とす。けれど、気持ちはすぐに手の中の封筒に切り替わった。
制服のまま学習机に向かい、どきどきしながら写真を取り出す。
「うわあ……」
感嘆の声が、自然と口からあふれた。
いつものような鮮やかな色の写真ではなく、それはモノクロの写真だった。
一枚一枚、そっと手に取る。
学校の校舎にかかる光の粒や、飛行機雲の流れる空……そしてカメラに向かってにっこりと笑っている、谷崎くんの妹の青子ちゃんも。
白黒で表現された被写体は、光と影がくっきりと分かれて、存在感を増していた。
まるで、永遠に動かない一瞬に入り込んだみたいだ。携帯の写真画像もいいけれど、紙に焼き付けられた写真は、やっぱりいいものだな。
明日、お礼と写真の感想を谷崎くんに伝えなくては。
そうしたら、もっと照れた顔を見せてくれるかもしれない。明日が待ち遠しいな。どんな感想を言おうか考えながら写真を戻していると、封筒の奥にまだ何かが入っているのに気づいた。
封筒の内側にくっつくようにして入っていたそれは、写真ではないみたいだった。手触りが明らかに違う。
私は破ったりしないように、慎重に取り出した。
「あれ、これも封筒だ」
出てきたのは可愛い花の模様がついた、ピンク色の封筒だった。四つ葉のクローバーのシールで封がしてある。そのシールが少しだけはがれていたために、写真の封筒にくっついてしまっていたのだろう。
明日、谷崎くんに返さなきゃ。何気なく封筒を表にかえして見ると、ラメ入りのペンで書かれた『お兄ちゃんへ』という文字が目に飛び込んできた。
胸が一回、大きく鳴った。頭の中に、さっき写真で見た笑顔の女の子が浮かぶ。
これは、一年前に亡くなってしまった、谷崎くんの妹さんからの手紙。青子ちゃんからの手紙だ。
手紙をあんまり急に動かすと、青子ちゃんが手紙を書いたときの空気が消えてしまうような気がした。だから私はゆっくりと手紙を机に置く。
行動とは裏腹に、心の中はとてもゆっくりとは言えない状態だった。
私は居ても立ってもいられなくて、携帯を手に取った。谷崎くんのアドレスを選択し、発信ボタンを押す。谷崎くんも家に帰っていたのか、すぐに電話に出てくれた。
『えっ……?』
早口に手紙のことを告げると、谷崎くんは驚いた声を出した。息を吸い込む音がしたあと、そのまま黙りこんでしまう。
この手紙のことを、谷崎くんは知らなかったんだ。
「あの、手紙を今から渡しに行ってもいいかな?」
知らなかったのなら尚更、早く届けたい。そう思って、谷崎くんにたずねてみた。
『ああ……頼む。じゃあ、いつもの川沿いの公園で会おう』
「うん、わかった」
返事をしながら出かける準備をする。電話を切ったときには、私はすでに自分の部屋を飛び出していた。
川沿いの公園は、端から端まで歩こうとすると三十分以上かかってしまうほど距離がある。その中で、谷崎くんと待ち合わせをする場所は自然と決まっていた。
いつも谷崎くんが早く来て、わざわざ私の家から一番近いところで待ってくれているのだ。
たまには私が先に着いて谷崎くんを待っていたいのに、その願望は一度も叶えられたことがない。
歩く速さが違いすぎるせいかな。体力づくりをするようになって歩くのも早くなったと思っていたけれど、まだまだ谷崎くんには及ばないみたいだ。
今日も先を越されてしまった。谷崎くんは背中を向け、川岸の手すりにもたれて立っていた。制服のままの私とは違い、すでに私服に着替えている。
その背中は、普段なら公園の風景になじんでいるように見えるのに、今はどこかおさまりが悪く見えた。谷崎くんが景色を眺めていられる心境ではないからかもしれない。
私は谷崎くんのそばまで歩いていくと、まず待たせたことをあやまった。谷崎くんは気にするなという風に軽く首を振ると、私が着ている制服に目を留めた。
「原田、学校から帰ったばかりだったんだな。こっちこそ急がせて悪かった」「うん、帰ってすぐに谷崎くんの写真を見てたんだ。それで……」
言葉の代わりに、私は青子ちゃんの手紙をそっと、差し出した。
谷崎くんは無言でうなずき、どこかぎくしゃくとした動きで手紙を手に取る。私も手紙を落としてはいけないと緊張してしまう。
「この間、青子の遺品を整理したんだ。そのとき紛れ込んじまってたんだな……」
今、谷崎くんが本当に見ているものは手紙ではなく、青子ちゃんとの思い出なのかもしれない。どこか遠くを見ているような目をしているから。
私は谷崎くんが記憶の道筋をたどっていくのを邪魔しないように、沈黙の中から見守っていた。
そのとき、秋の深まりを知らせる強い風が、私たちに吹き付けた。谷崎くんははっとして顔を上げると、すまなそうな表情になる。
私に構う余裕がないことを気にしているのかな? そんなこと気にしなくていいのに。もっと、大事な思い出に浸っていてもいいのに。
ここに私がいると、谷崎くんに気を遣わせてしまうだけかもしれない。それに、手紙は一人でじっくり読むほうがきっといい。
私はひとつうなずくと、谷崎くんに声をかけた。
「あの、私、谷崎くんが手紙を読み終えるまで、遠くにいたほうがいいかな。それとも今日はもう……」
帰ったほうがいいかな? と言い終える前に、谷崎くんが素早く私の腕をとった。あまりにも素早い動きだったので、二の腕にじわりと手の温かさが伝わってきてからやっと、私は驚くことができた。
「原田がいいなら、ここにいて欲しい」
きっぱりとした言葉に、思わず顔を上げる。すぐ近くにまっすぐな谷崎くんの瞳があった。
こんなにどきどきするのは、急に腕をつかまれたからなのか、谷崎くんがそばにいるからか、それとも谷崎くんの言葉のせいなのかわからない。
もしかすると、全部が理由なのかもしれない。私は胸の高鳴りが止まないまま、何とか言葉を紡ぎだした。
「で、でも、いいの? 邪魔じゃない?」
「全然」
すぐに返事をしてくれたことで、少し不安だった気持ちは薄れていった。
谷崎くんが私を必要としてくれるなら、私は力いっぱいここにいようと思う。
ただいるだけで力も何もないのだけれど、そこは気持ちの問題というものなのだ。私は誓いを込めてうなずくと、ベンチに向かう谷崎くんの後に続いた。
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