7 魔王城の波乱。そして……

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*** 「……美咲ちゃん? 大丈夫?!」 「え……?」  目を開けると、真っ白な天井が視界に飛び込んできた。消毒液の匂いと、焦った表情の店長。夢じゃないだろか、と美咲は目を丸くさせた。 「良かった、やっと目を覚ました……」 「あの、ここは……」 「病院だよ、病院! 階段から落ちて頭打って、気絶したの。覚えてないかい」 「え……」  美咲の中に蘇るのは、魔王城に召喚される直前の記憶だ。万引き犯を追いかけて、階段を踏み外し……今起きているのは、その続きだった。 「もう、びっくりしちゃったよ。美咲ちゃん、全然反応しないし! あ、お医者さん呼んでくるから、じっとしているんだよ」 「あ、あの……店長」 「ん?」 「私、あの……」 「そうそう。あの万引き犯ならちゃんと捕まえて、親御さんに連絡しておいて貰ってるから。気にしないで今日はもう休んだ方がいいよ」  聞きたいことは、山ほどある。どうして私がここにいるのか、アレクセイとミハイルの二人はどうなってしまったのか。しかし、美咲は口を噤んだ。そんなこと店長に聞いたところで、頭を打った衝撃で変になってしまったと思われるのが関の山だ。  あれは……夢だったのだろうか? 美咲は耳に触れた、今さっきアレクセイが愛の言葉を囁いた方の耳だ。まだ熱くて……アレクセイのぬくもりがそこに残っている。目を瞑ると、二人の姿と声、そしてその体温をありありと思い出すことが出来る。 「夢じゃない、よね……」  美咲の目じりからは、涙が伝った。あんなに帰りたかった世界に、ようやっと帰ってこれた。なのに、あの魔王城から離れた今となってはミハイルとアレクセイ、二人の王子の事で頭がいっぱいになっていた。  この世界に、彼らはいない。そして……あの世界でも、美咲は用済みとなってしまった。震える体を隠すように、美咲はベッドにもぐりこんだ。  軽い脳震盪だと診断された美咲は、一晩だけ入院をして、次の日の昼にはアパートに帰ってきた。体感では、何か月かぶりに帰ってきたという感じだけど……実際には一日しか日を開けていない。あの日朝起きてからそのままになっていたベッドに、美咲はボスンと飛び乗る。日差しは眩しく、目を閉じてもその明るさが伝わってくる。美咲は、何度目か分からない大きなため息をついた。  これが、美咲の日常だ。適当にご飯を食べて、バイトに行って……夜になると少女漫画を読んで、それに憧れを抱いて眠る。起伏がない単調な日が、また始まった。 「……そうだ」  美咲は起き上がって、靴を履いて玄関のドアを開けた。外の空気は肌寒く、美咲は体を小さく丸めながら……アパートの階段に向かった。  あの世界に召喚された時を、もう一度頭から思い出してみる。きっかけは、そう……階段から落ちたことだ。もう一度階段から転がり落ちたら、また向こうの世界に行けるかもしれない。そんな一縷の希望を胸に、美咲は助走をつけて、階段へ向かって駆けだす。そのまま段差を無視して大きくジャンプをしても……。 「いったい……っ」  美咲は真っ逆さまに落ちていくだけだった。擦り傷と打撲だけが、体に残る。  大きなため息をつきながら、美咲は起き上がった。体中についた土埃を払っていると、ぽとんと小さな雫が地面に落ちていった。美咲は頬を拭った、指についた涙を見ている内に、ふつふつと悲しみとそれ以上の怒りがこみ上げる。 「ミハイルの、ばか」  美咲の話も聞かず、自分だけの考えで……無茶をして元の世界に美咲を送った張本人。怪我は、大丈夫だのだろうか、その心配が名前を呼ぶたび、姿を思い出す度に胸に募る。 「アレクセイ……」  あの愛の言葉は、まだ耳に残って離れない。返事をすることも出来ず……その手を取ることも出来なかった。 「大好きなのに……二人のばか」  その想いを言葉に乗せると、ぶわっと体中が熱くなる。節々の痛みが消える一方、じりじりと火にあぶられるように心が痛くなる。望んでも、どれだけ手を伸ばしても二人にはもう二度と出会えない。まるで、夜空に光る星のようだ。  美咲はもう一度だけ、『好き』と呟いた。その呟きを聞くものは、誰もいなかった。    望んでいた生活だったのに、美咲の心は晴れずじまいだった。浅い眠りを何度も繰り返し……また、のそっと起き上がって、着替えて、バイト先に向かう。  自転車を駐輪場に停めた時、小さな叫び声が聞こえてきた。 「み、美咲ちゃん!? 大丈夫だったの?」 「明子さん? おはようございます……」 「階段から落ちたって聞いたけど、もうバイトしてもいいの?」 「多分」 「多分って……顔色悪いし、もう帰ったら? 店長さんには私から言っておいてあげるし」  美咲は弱弱しく首を振った。その表情は、いつも以上に浮かなく……明子はハラハラしながらそんな美咲の様子を見つめる。 「美咲ちゃん、何かあったんでしょ?」 「……え?」 「私で良ければ、いつでも相談に乗るよ」  明子は美咲の肩に優しく手を載せる。その温かさを感じていると、じんわりと美咲の目がしらが熱くなっていく。涙がこぼれないようにじっとこらえ、美咲は口を開く。その声は、僅かに震えている。 「なんか、あの……」 「ん?」 「し、失恋? したのかな? なんて……」  誰かへの『好き』を失った時、それを『失恋』と呼ぶことくらい美咲だって知っている。恋をした二人にもう二度と会うことが出来ないのであれば、これも立派な失恋になるはずだ。  平気そうなそぶりを見せながら、美咲は顔を上げる。いっそ笑い飛ばしてくれたなら、気持も少し楽になるに違いない。しかし、明子の反応は美咲が思い描いたものとは異なるものだった。 「美咲ちゃん……」  眉を下げ、目にはうっすら涙が溜まっている。……明子は、本気で悲しんでいる様子だった。 「あの、明子さん?」 「よし! わかった、そんな男の事なんか忘れて……ううん、美咲ちゃんの事振るんじゃなかったって後悔するくらい、かわいくなろう!」 「へ?」 「今日バイト終わったらすぐ私の店においで! すっごく可愛くしてあげるから」  そう言って、明子は美咲の背中を強く叩いた。そして勇ましい足取りで通用口の中に入っていく。それに呆気を取られながら、美咲も慌ててショッピングセンターの中に入っていった。  明子に言われたとおり、美咲はアルバイトが終わった後、明子の店にやって来た。ショップにいるのは、髪を染め緩く巻いた可愛らしい女の子ばかりで……ジーンズにトレーナーという軽装すぎる出で立ちの美咲は、大分浮いていた。しかし、明子はそんな様子も気にならなかったようで……どんどん美咲の前に衣服を並べていく。
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