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1 異世界トリップは突然に
「……いたた」
階段で足を滑らせて、そのまま何度か段差に打ち付けられ……ドスン!と大きな音を立てながら落ちていった。床の固さが、そのまま体に痛みとなって伝わる。
節々に痛みを感じながら美咲はゆっくりと起き上がる。落ちた衝撃のせいか、目の前が暗い。
「え……?」
しっかり目を開けて見渡すと、そこは明るくにぎやかなショッピングモールではなく……ろうそくの灯りが揺れる暗い部屋だった。
「え? どこ、ここ……」
「成功したようです、アレクセイ様」
「ふむ」
美咲の背後から、複数の男の声が聞こえた。驚いた美咲が振り返ると、マントで体を覆いフードを目深く被った……三人の男が、美咲を見下ろしている。
「ひっ……!」
誰ですか? と言おうとしても喉が強張ってしまって思うように声が出ない。口をあわあわと動かしていると、三人のうち一人が美咲の目の前でしゃがみ、フードをめくった。
「……っ!」
驚きのあまり、言葉を失う。
美咲と同じ位置に、目が二つ、鼻が一つ……その風貌は美咲と同じなのに、瞳の形がまるで違う。金色の瞳に、縦にのびた瞳孔。まるで、蛇の瞳のようだ。
その瞳がまっすぐ、美咲を射抜く。状況を飲み込めずに小さく震えていた美咲の体は、石のようにピタッと動かなくなる。蛇に睨まれた蛙は、きっとこうなるに違いない。
その男は、舐めるように美咲を見まわす。そして、その長い指で美咲の顎を掴んだ。
「ひっ……!」
「……姿かたちは俺たちに近いな、種族は?」
「……【人間】と呼ばれる種族ですね」
「ならば、六代前の王妃と同じか」
「そうですね」
「【人間】ならば……」
三人のうちもう一人もフードを下ろした、銀色の長い髪がはらりと肩から落ちていく。
「魔力はないにも等しい、どうしてこのような者を召喚したんですか?」
「花嫁召喚の陣は……次の王ともっとも相性がいい女をこちらの世界に呼び出す物です。この女が、アレクセイ様、ミハイル様のお二方どちらとも相性が良いということになります」
「だそうだ、兄上。この地味で力を持たないこの女が、俺らどちらかの【花嫁】となるわけだ」
「あの……あの!」
美咲おいてけぼりで、三人の話が進んでいく。しかし、その会話の中でどうしても聞き捨てならない言葉が何度も何度も出てくる。
「……花嫁って、そもそもココってなんですか!?」
声が裏返り、甲高い悲鳴のようだ。三人は顔を見合わせて、そしてフードをかぶったままの男が口を開いた。
「ここは魔王城……貴女はここにいる、アレクセイ様、ミハイル様……そのお二方のうちどちらかの花嫁になるためにここに召喚されたのです」
「は、は、はぁぁああ!?」
聞きなれない言葉と想定範囲外の言葉、その両方に襲われた美咲の頭はずきずきと痛くなり、目の前は階段から落ちた時のように真っ暗になっていく。そして……。
「お、おい! 大丈夫か!」
そのまま、真後ろに体と頭を強く叩きつけるように美咲は倒れ込んでいた。
***
「んん……」
美咲はうめき声をあげながら、ゆっくりと目を開けた。見えたのは見慣れた天井ではなく……うすいベールのような天蓋カーテンだった。夢だと思いたかった美咲だったが、むくりと起き上がってがっくりと肩を落とす。これが夢ではないということは、先ほど聞いたあの言葉も……現実であるということだ。
「あ、お目覚めですか」
「ひ!」
涼やかな女性の声が聞こえる。掛布団を抱き込んで、美咲はベッドの端っこまでずるずると移動する。そんな慌てた美咲の様子を見ながら、その女性はケラケラ楽しそうに笑った。
「大丈夫です、取って喰ったりなんていたしませんわ」
「え、あ、あの……」
顔をあげて、その姿を見た。見かけは美咲と変化ないが、今まで見たことがない尖った耳と同じように鋭い犬歯が異形の者であるということを美咲に教えていた。
「ワタクシ、貴女のお世話係を仰せつかりましたシャルロッテと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
「え、あ、はぁ……」
「ところで、貴女様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「わ、私のでいいんですよね?」
「ええ、もちろん」
シャルロッテは大きく頷く。
「美咲、です。逢坂美咲……」
「ミサキ様、でよろしいですか?」
「そんな、様付けなんて……ホント、適当に呼んでもらってかまいませんから!」
「そんな訳にいきませんわ、ミサキ様」
そう言って、シャルロッテはポットから赤く澄んだ液体をマグカップに注ぐ。
「ミサキ様は、将来、この国のお妃さまになるんですから」
その言葉に、ミサキの体がまた硬直する。そんなミサキに、シャルロッテはマグカップを「どうぞ」と差し出した。されるがまま、ミサキはマグカップを受け取る……ふんわりと心地いい花の香りがする。
「その、話なんですけど……あの……」
「ミサキ様?」
「どういうことなんですか、突然【花嫁】とか言われても意味わかんないし……そもそも、ココがどこなのかもわからないし、どうして私こんな所にいるんですか? 私、バイトしてて万引き追いかけて階段から落ちただけなんですよ?!」
「あの、落ち着いてくださいミサキ様」
「これが落ち着いていられますか! だってまるで、これって……本物の異世界トリップじゃないですか!」
「……貴女の世界の言葉で言うと、まさにその通りですね」
静かにドアが開き、先ほど聞いたばかりの声が聞こえてくる。その姿にマントはなく、肩眼鏡をつけた男がそこにいた。
「セルゲイ様」
シャルロッテが、その男の名前を呼ぶ。
「初めまして、ミサキ様。この国の魔術部副長官、セルゲイと申します」
「は、はあ……」
セルゲイは指を鳴らし、ベッドの脇に椅子を出現させる。「魔術なんて……」と思っていたミサキは、二の句を続けることもできず口をつぐむ。
「ここは、魔王城」
「魔王……?」
「この世界を統率する魔王が住まう城です」
「どうして、私がこんな所に」
「それは、貴女がこの世界に呼び出されたからです。時間はたっぷりありますからね、ゆっくりご説明いたしますよ」
セルゲイは椅子に腰をかけた。
「この世界は創生以来、他国との諍いが絶えません。そこで、他国を圧倒し世界を掌握するために、数百代前の魔王がある秘策を思いつきました」
「秘策?」
「ええ……知り尽くしたこの世界の者ではなく、全く知らぬ、この世界とは異なる遺伝子を持った者を召喚し、魔王もしくはその息子が召喚されし者と交わり……より強いの子孫を残していくことです」
聞いているだけだと、どうも荒唐無稽な考え方だなミサキはぼんやりと思っていた。まだ動揺が残るミサキの頭では、うまく理解できずにいた。
「最強の、子孫」
「そうです。それは年月を経るにつれ功を奏し、今では他国の勢力を抑えることができました。そして、それはこの城の由緒正しき伝統として残り続けています」
「よその世界から召喚した人と、最強の子孫を作ることが……?」
「ええ」
「もしかして、その『よその世界から召喚』した人って……」
ミサキの指先はぐらぐらと彷徨い、おずおずと自らを指さした。セルゲイは、その様子を見て深く頷いた。
「いや、いやいやいや、まさか……」
「そのまさかですよ、ミサキ様」
「で、でも! 私なんてただ地味で、どこにでもいて、そんな強そうで面白いところなんて何もなくってそれに……」
「それでも、貴女はこの国に代々伝わる魔方陣から召喚された……この世界にたった一人だけの、花嫁です」
「花嫁ってことは……」
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