合理的な夢

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合理的な夢

 夢 (4月10日 午前9時頃) 夢にも思わない。そういった冗句はやめてくれないか。と言われた。私はそれを今でも覚えている。何故ならそれが最初で最後にあの人と出会った。交わした言葉なのだから。 そこにはと或る夢を見た者がいた。夢とは記憶から生まれた一種のバグのようなものであるという事は粗方の人達に大凡周知されているのだと思う。寧ろ私は夢を一種のトリップのようなものと考えている古代人に畏怖すら覚える。些か気色悪くさえ映る。だからこそ私はこう考える。夢とは儚く淡く消えることで、そこに存在が許される。そんな魔法なのだ。現実のバグを記憶のバグに変換して処理する。そのための色のついた空白こそ夢の所以である。そして某所某日某時間某人物がと或る夢を見た。と記されている。些か説明が急性過ぎたきらいが有るが、本題から入るのは説明をするときの常套手段だ。此れはライナーノーツ。と或る夢に対する私からのライナーノーツだ。 彼、或いは彼女を形式に則って「N」としよう。Nは夢を見た。時間にして30分程度のショートムービーだった。テレビ欄の一コマ程度の其れは実に濃ゆい活劇調の夢だった。友情にあつく、愛情に溢れ、この世の良いものを詰め込んだ。そんな夢だった。眩い夢には意味が有る。いや、意味がなくてはならない。そう考えるに至った。夢に意味を求めるのはNの性分であり、そこに有るのは全ての出来事には究極的に合理性がある。といった宛ら人間の有能さの信奉者であった。Nは神の信徒で有るからして、すべての生物には合理的な構造を持ち合わせておりそこには一部のスキもなく、そこには一部の不純物もないと考えていた。しかして、Nがダーウィンと握手をしていたかと言うとそれはまた対極に位置する話であり、フランス革命とガンジーを並べて語るようなものである。Nには変化と経過の存在を認識できなかったのだ。大人は大人であり、子供は子供であり続けるものだ。そのようなロールプレイングにこそストーリーがあり、ライナーノーツすべき形が有る。と信奉していたのだった。N曰く生物とは生物たるがゆえに生物であり、それ以外は化石に違いない。Nにとってはそれは大凡周知しうる最大の事実であり、大凡変質することのない規律である。もし何人ととしてそれを犯すものがあったとしたならば、Nはその何故に頭を悩ませ首を吊って死ぬだろう。とは言い条Nも自身を完璧だと過信しているわけではない。何故なら今朝目を覚ましたのは31分であったし、身長は166センチから上下を続けている。自分という存在が変化を続ける以上そこに留まれない自分に苛立ちを覚えるのだ。無論その苛立ちということをNは決して認識しないだろう。何故ならNからしてみれば苛立ちとは最も不必要であり、平和裏に物事を進ませる活路を否応なく潰す。暗君であり暴君だからだ。もしこの世にもっと合理性があったならば、メロスは走らなかっただろう。因みにNは恋愛小説を片手に兵法を読む合理性を身に着けている。そんなNが夢を見た。ならば生物学的知見はさて置くとして、そこに人生の意味を求めるのは些か行き過ぎな出来事ではないだろう。夢とは記憶を圧縮するための一種のシステムである。などNにも重々承知である。しかし、その圧縮行動の末に名作を作り上げるなど凡そ割に合わない。祖なる人間がそんな非合理を残しているはずもない。人間という種が生まれて何百万年である。もしNならば無駄など潰し尽くすとNは考えていた。そして更にこの世には天才と呼ばれる魔法の担い手がいるではないか。然らば無駄など永劫の果に置いてきてしまっているとしても多分不思議ではない。つまり今私達にある機能の全ては確実な発明であり、その発明には愚かさ等追いつく筈もないのだ。Nは鼻息荒く私にそのように力説した。真実の如何は扠置くとして、Nは取り敢えず夢を見たのだ。 夢、夢である。
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