エピソード1

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エピソード1

教室から見える桜の咲く坂道。町並み。 全てが大切な思い出で、私の大切な景色。 出来るものなら今のこの瞬間をずっと永遠に閉じこめておきたい。 そんな事を思った……。 「奏ー。準備出来た?」 「あ、うん」 「泣かないでよー」 「泣かないよ」 教室から見える窓からずっと外の景色を見ていた私は、友達に呼ばれて廊下へと足を運んだ。 「それにしても、今日で3年生の先輩達とお別れなんてまったく実感沸かないね」 「……うん」 そう、今日、小坂先輩、旭先輩、沢村先輩、。今まで3年生だった先輩が3年間を過ごした学び屋を巣立つ。今まで学校に行けば毎日会って、元気か?って言ってくれて、部活の帰りにはみんなで肉まんを頬張った。少し人見知りの私は、バレー部男子のメンバーに慣れるまでに時間が掛かったけれど、いつでも小坂先輩の「大丈夫だべ」という言葉と優しい笑顔があったから頑張ろうって気になった。 私は小坂先輩の事が好きだった。初めて彼を見た時から。同じ学年で同じクラスの月野くんが小坂先輩と同じポジションで、スタメンになったと知ったその日、私は小坂先輩と偶然にも二人きりで帰る機会があったのだ。 先輩と私は地元が同じで、同じ中学。途中まではバレー部のメンバーと帰っていたのだけれど、澤村先輩と旭先輩の「瀬野川を送って行ってやれ。澤村」という一言で家までの数百メートルを二人きりで歩く事になった。 小坂先輩と初めて二人で歩く通学路はいつもと違ってきらきらとして見えた。何を話そうかと頭の中でいろいろと考えていると先輩が言う。 「瀬野川は凄いな」 「え?どうしてですか?」 「最初はさ、メンバーの誰にも声を掛けられなかったじゃん。でも、今は皆の癖も知ってちゃんと一人ひとりに声掛けてるからさ」 「そ、それは、小坂先輩のおかげです」 「俺の?」 「だって、先輩がそうしているじゃないですか。本当に凄いと思います」 「そっかー。ありがとう」 それだけ言うと小坂先輩は黙り込む。そして夜空を見上げた。私の住む町は一言で言ってしまえば田舎だ。だから夜になると星が本当に綺麗に見える。地上からの光が無い分だけ、空からの光が降ってくるのだ。まるで宝石を散らばらせたような空を二人で見上げながら、暫く無言になる。 「……。先輩……」 「ん?どした?」 「月野くんにスタメン取られて、悔しくないですか?」 先輩は「んー」と言ったまま暫く言葉を選んでいるのか無言のまま空を見上げていた。 「悔しいっちゃ、悔しいべ。でもさ、俺は少しでも北高が多くの試合に勝てればいいと思っている。だからその為の手段が月野だって言うのなら、それは仕方がない」 「でも!月野くんにはこれから先に何回かチャンスがあって、小坂先輩には……」 「勝負ってさ。そんな簡単に頭で割り切れるもんじゃないんだよ。俺は俺の出来る事をするのみ!」 明るく言い放った彼は私の頭をぽんと叩いた。思わず涙がこぼれる。 「あー。なんで瀬野川泣いてんの?ほらほら、泣かない!」 そういいながらまた先輩が私の頭をぽんぽんと優しく叩くものだから余計に涙が出て来る。 「あー。もう。瀬野川、好きなだけ泣けって」 「ずびばぜん……」 「すっげー顔」 顔を上げると目の前に小坂先輩の満面の笑みがあって、私はその瞬間に彼に恋をしてしまった。 ***** 「これで、先輩と会えるのも最後なんだね」 廊下に出てぽつりと呟けば、鼻の奥が熱くなった。結局私は先輩に何も伝えていない。ありがとうも、さようならも、好きです……も。 教室の窓からひらりと桜の花びらが入って来た。そしてその花びらが私の所まで舞って来る。その花びらをそっと拾うとハンカチの中にそっと入れた。 それと同時に体育館へと入ってくださいという校内放送が流れた。 泣かない。私は泣かないんだ。何度も昨日から……いや、ずっと前から思っていた事だ。けれど、いざこの日が来てしまい、式が始まってしまうと堪えていたものがどうにもならなくなってしまう。 思わずズビビと鼻を鳴らせば、隣の席に座っていた月野くんが私の方向を見た気配がした。恥ずかしいけれど、そんな事構っていられない程涙が溢れて来る。 自分でも本当にバカだと思う。こんなに先輩の事が好きだというのなら何で自分の気持ちを伝えなかったんだって。今まで何度だってチャンスはあったというのに。 私は臆病だった。臆病で小さくて、弱くて、幼くて。 先輩は私が入部した時よりも変わったとて言ってくれた。私は強くなったって言ってくれた。けれど、何も変われてなんていない。今だってどうしようも出来なかった自分が不甲斐なくて涙を流しているのだから。 式もラストに差し掛かり、卒業生が退場する時になった。私の手に握られたハンカチタオルは既に使い物にならなくなっている。こんな事なら3枚ほど用意しておけば良かった……なんて本気で考える。 と、その時だった。小坂先輩が私の立っている目の前を通って行ったのだ。彼は私を見て優しい顔で笑うと、口を動かす。 『何、泣いてんだよ』 小坂先輩の口の動きでわかった。確かにそう言ってくれたのだ。また涙が溢れる。何泣いてるべじゃないです。先輩の事で泣いてるんですー。心の中でそう叫んだ。 桜の花びらがひとつ、ふたつ、またこの季節になると地面へと落ちて来る。ふわふわと舞う花びらはまるでピンクの絨毯かのように道路上へと広がって行く。 「去年の今頃は、涙が枯れるんじゃないかってくらい泣いたな……」 「涙だけじゃないよね。鼻水も」 「あーー。もう!それ言わないで下さい!」 「いいじゃん。本当の事だし」 「本当の事でも言っていい事とダメな事があるんです!」 ふわふわとまた頭上から落ちてきた桜の花びらが私の頭の上に乗る。すると隣を歩いている彼がそっとピンクの花弁を手に掴む。 「俺さー。ずっとこうして奏と歩けたらって思ってたんだよね」 「そ、そうなんですか?」 「うん。初めて奏と星空を見た日からずっと……」 小坂先輩がそう言ってまた優しく笑うから、胸の奥がきゅっと小さな音を立てる。 あれから一年経って私は北高校の2年生になった。小坂先輩は地元の大学に進学して相変わらずバレーをやっている。 「ねえ、先輩」 「何?」 「好きです」 「うん。俺も」 ひらひらと花びら舞う桜の下で、私は1年前に小坂先輩に伝えた台詞を確かめるようにもう一度告げた。
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