雑踏の男

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雑踏の男

 なんかさっきから視線を感じる、と思って、流水を思わせる艶やかさを孕んだ長い髪を翻らせて、少年は雑踏の中に目を凝らした。蜂蜜のような黄金色の双眸に苛立ちがはしる。 「ジェイスじゃないぞ」  隣を歩いていた背の高い男がぼそりと言った。赤茶けた錆のような髪色が、古い機械が動く様を思わせる。 「気づいてたんだ?」 「敵意はなさそうだ」 「で? どいつ?」 「あの時代遅れな帽子を被った男」 「わーシルクハットじゃん見世物でもやるのかな」  二人が足を止めて観察している男は人混みを歩くのが苦手なのか、通りすがりにぶつかる人々に睨まれながらも、どうにかこうにか進んできた。何度目かの謝罪を行いようやく彼等に声を掛ける。 「不躾で申し訳ないのだが、あなた方はセレスタイン氏の知り合いなのだろうか」  少年は繊細な造形の顔で鼻白み、彼の隣に立つ男はブルーベリー色の目に呆れを滲ませた。 「先程すれ違った際に氏の名前を口にしていたのを耳にして。盗み聞きをしたようで申し訳ないのだが、居場所を知っているならお教え願えないだろうか」  確かに二人はセレスタインについて話をしていた。主に少年の愚痴であったが「箔が付くからってクッソくだらない仕事に使おうとかふざけんなってーのなんで貴族の見栄のためにセレスタインの名前を貸してやらなきゃならないんだふざけんな」という。  錆色の男は少年に視線をやる。少年は苛立ちを隠そうともせずに、言葉で突き放した。 「じゃあエレスチャイル商会に行けば?」  それ以上関わるつもりはないと態度で示して、二人は再び歩き出す。それを男が追いかける。 「い、行ったのです。しかし面会はできないと言われて」 「じゃあしょうがないじゃん。付いてこないで」 「困っているのです! お嬢様のためにもわたしが見つけないと!」 「残念だったねーかわいそーなおじょーさまに謝っておいてー」 「え、〝エニヴィスの魔法石〟を探しているのです! せめてそちらにでもお心当たりはありませんか⁉」  大きな声でそんなことを言うものだから、商店の並ぶ通りのいくつかから視線が向いた。この国においてエニヴィスの名前を知らない人間はいないだろう。子どもから老人まで知っている。知らずに魔宝石で栄える国に住んでいられない。しかも首都アンブラは魔宝石を扱う商人が集いに集う場所だった。  そんなところで〝エニヴィスの魔宝石〟などと言おうものなら、 「エニヴィスの魔法石つったかあの男?」 「あんな田舎丸出しな奴が言うことだぞ」 「でもわざわざここまで来たんでしょう?」 「もしかして」  と、あっという間に噂が広まった。ざわめきの中に「アンバーズ商会に知らせなきゃ」「また仕事しなくなるぞ」「グランの兄ちゃんが過労にやられる前に箝口令を敷くんだ」というやり取りもあった。それはまた別の機会にするとして。 「……なんでそんなもの探してるの?」  男が口にした魔法石に覚えのあった少年は、ようやく立ち止まった。先週もその石について関わることがあったのだ。彼は数人の口の堅い身内にしかそのことを話していない。 「お嬢様に、レインジル家に絶対必要な石だからです」  男は真剣な目で訴える。愚直だなと少年は思う。 「うるさくせずに、付いてきて」  はい、と男は頷いた。  錆色の男は珍しいものを見たような顔をして、器用に片眉を上げた。
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