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少年の失態
ルドウィンは居心地悪そうに客人用のソファに縮こまっている。なにせ一度は追い出された場所なのだ。
つい先程もエヴァンスが商会の扉を開けた瞬間はそこにいた皆々の顔が明るくなったのだが、ルドウィンの顔を見た途端に渋面を示す者が多々あった。せっかく追い出したってのに、という声も聞こえたような。
「この人、僕のお客様だから」
その一言を確認するようにいったんビーに視線が集まり、彼が頷いてようやく皆がほっとした顔になった。それから先程は無礼を致しましたと丁重なお詫びがなされ、あれよあれよと商談のための部屋に通された。
光沢のある臙脂色の布を張ったソファは硬過ぎず沈み過ぎず丁度良い座り心地。部屋全体の調度品も華美にならず品好く纏まっている。窓からの光で室内は十分明るく、ぐるりと巡ったクリーム色の壁がやんわりと落ち着いている。飾られた絵はどこか遠い山脈を描いており、紫に滲む稜線とレースのカーテンがそよぐような朝の光が、微睡みに見る夢の景色のようだった。これは夜明けなのだろうか。
「お待たせ」
エヴァンスが盆に茶器を載せて戻って来た。両手が塞がる彼の代わりにビーが部屋の扉を押さえている。
「ああ、その、手ずから申し訳ありません」
給仕はいないのだろうかとルドウィンは訝しむ。
「まあ本職の人に比べたら大したもんじゃないけど、僕が淹れてもそれなりの味がするやつだから安心して飲んで。色々とお詫びも込めて」
「お詫びだなんてそんな、」
ルドウィンはますます縮こまった。緊張から膝の上で握っていた拳にさらに力がこもる。
盆を見ればこの商会に向かう途中でエヴァンスが受け取っていた菓子もあった。飴を溶かしてステンドグラスのように可愛らしいビスケット。お嬢様もこういったものはお好きだったなあとルドウィンは思う。今はどの辺りにいらっしゃるのだろうか。
「とりあえずカウダ呼んでくるよう言ったから、それまでに詳しい話を聞いていい?」
「カウダ?」
エヴァンスは紅茶をカップに注ぎながら答える。
「カウダ・エレジャス。このエレスチャイル商会の会頭の息子だよ。今ここの留守を任されてるんだ」
「そうなのですね。ここの会頭は女性だと聞きましたが、次代はご子息が継がれるのですね」
エヴァンスがわずかに目を細めた。金の瞳が表情を表わすのはいかにも神秘的な感じがした。
「何か思うところでも?」
「違うと言えば嘘になるので正直に申し上げますが……。魔法石商は――特にアンブラの魔法石商は実力が全てですから、男女の別なく長を務めていらっしゃるのが羨ましくて」
おや、とエヴァンスは意外そうな顔をした。てっきりなぜ女性がと言われるかと構えていたので、生まれた羞恥をこっそり胸に仕舞った。まだまだ人を見るのは難しい、と彼は自身の未熟な点を思い知る。
「我が国では未だ貴族の長を務める者に男性が多く、そのためお嬢様は社交界でもレインジル家でも肩身が狭いのです」
「自分の家でも?」
「ええ。ただレインジル家はほかの貴族と違い、家督の継承が魔法石によって選ばれるので、それ故に代々優れた者が家と領土を治めます」
本来それで文句など付けようがないと思っていたのですが、我々の見通しが甘かったのです。そう言ってルドウィンは瞳を伏せた。
レインジル家に仕える誰もが〝エニヴィスの魔法石〟の選んだ者を受け入れると思っていたのだ。代々その通りになってきたし、何よりマリアス・レインジルは領土の皆に信頼される実力を持ち、領民たちは彼女を誇りに思っている。
〝エニヴィスの魔法石〟に認められた者はエニヴィスに選ばれたといっても過言ではないのだと、彼等は代々伝え聞いてそれを信じていた。
それだというのに。
「欲の深い人間はどこにでもいるのです」
その言葉に応じるように、エヴァンスは口を開く。つい先頃彼を訪ねて、明らかに人を下に見る目をした男の名前を告げる。
「……一応、念のため聞くんだけど、もしかしてアルベール・ロイゾ・レインジルっていう名前の人?」
ああ、とルドウィンは溜息のような声を漏らした。やはり、という顔をして。
「もうお会いになったのですね……」
エヴァンスは自分の見当違いではなかったことに、じわじわと後悔を広げていく。これはやってしまったかもしれない。でも実物絶対見せなかったしあの人、だっていつもの迷惑なオキャクサマだろうって。
「エヴァンス」
ビーが視線を寄越す。わかってる、わかってるよとエヴァンスは目配せをした。正直なところ顔を覆って大きな溜息を吐いてそれから、すぐにでも先日のあの嫌な男を探し出して彼の所持しているという石の在処を吐かせたかった。まずい、これはとてもまずいかもしれない。
エヴァンスは落ち着いた顔をどうにか保ちつつ、
「……ビー」
「アンバーズ商会に使いをやろう。グランがいるはずだ」
ビーが部屋を出て行くのを、ルドウィンが不思議そうに眺めている。
「あの、なぜアンバーズ商会に……?」
彼にも不安が顔を出す。セレスタイン本人が自分を客だと――依頼を引き受けると同義に扱うのだと思っていたのに、なぜ他の商会の名前が出てきたのだろうかと。もしや依頼を違うところに回すのだろうかと。
「……まず、僕の不手際を謝ります。申し訳ありませんでした」
突然の謝罪に、ルドウィンは動揺した。少年は立ったまま腰を折り、束ねた美しい髪が肩から流れ落ちる。
「〝エニヴィスの魔法石〟は、ケィズオの……ソマチェットの市に流れたかもしれません」
「ソマチェットの市というのは……? ええと、まさかケィズオまで?」
エヴァンスはいったん上半身を起こしてルドウィンの正面に座る。二人の間で紅茶の湯気が揺れる。
「いえ、ここより北西の、アンブラとブロンゼの境にある町の市です。そこの市の中でも特に表に出せないものを、ソマチェットというケィズオの商人が捌いていて、それが、その……」
エヴァンスは一度俯くと、意を決して顔を上げた。
「はっきり言うね。〝エニヴィスの魔法石〟は彼のオークションに流れたかもしれない」
ルドウィンは一瞬何を言われたかわからず呆けた顔をして、
「えっと……その、つまり?」
「つまり、闇オークション」
エヴァンスの返答に一拍遅れてルドウィンが叫び、カウダが部屋の扉をノックした音が掻き消えた。
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