レインジル家のお嬢様

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レインジル家のお嬢様

 エヴァンスは若草色の髪をした彼女を前にピンと背筋を伸ばし、常以上の緊張した面持ちで正面に座っていた。  部屋の中から聞こえた男の悲鳴に驚きながら入室し、彼女はまず声の主であるルドウィンに落ち着くよう声を掛け、ちゃんとエレスチャイル商会まで来ていた彼に労いの言葉を送り、それから様子を伺っていたエヴァンスに真っ直ぐ視線をやった。澄んだ紅茶の色をした瞳に宿る生気にエヴァンスは気持ちが圧されそうになる。  彼女は躊躇う素振りを一切見せなかった。 「マリエット・レインジルと申します。あなたがセレスタイン様ですね」 「……そう、そうですが」  相手が立っているのに自分だけ座っているのはさすがにまずい、とエヴァンスは返事をしつつ腰を上げる。ルドウィンはとうに立ち上がって彼女のための席を空けていた。 「お会いできて光栄ですわ。とても腕のいい魔法石商だとお聞きしておりますの。わたくしのいる国でもお名前を聞くほどに」  マリエットは友好的に微笑んでさえみせるのだ。 「こちらこそ……レインジル様といえばここから随分遠い領地を治めていらっしゃるお家柄の方。そのような方にセレスタインの名まで存じていただき、お褒めにあずかり光栄です」  ただ、と。 「わたくしの名はエヴァンス・エレジャスと申します。エレジャスの家に迎えていただいてからそう名乗っております。セレスタインは偽名ですので、どうかエヴァンスとお呼びください」  頭を垂れてから、エヴァンスも彼女と対等であらんと顔に笑みを浮かべる。今まで会った誰もが一瞬言葉を失くしたその笑みで、しかしマリエットはなんの感動もない素振りで慎ましく、口元に指を添えて小首を傾げる。彼女の後ろに控えていたメイドとルドウィンの頬がぽうっと微熱があるように色付いた。 「そう……ジェイスが嬉しそうだったのはこういうこと」  ジェイスの名前が出てエヴァンスの頬が一瞬ひくつく。 「ジェイス・アンバーゼルが何か?」 「わたくしの友人なの。だから彼にあなたへの手紙を託したのだけれど……お読みになって?」  なりましたわよね? と。エヴァンスの問いには答えず、彼女は話を続ける。 「レインジル家のイデアールを探していただきたいという手紙をジェイスに預けたのが二週間前。従兄のアルベールがいなくなったのがその二日後で、あなたと彼が会ったのは今から一週間程前だったかしら? そうだったわねカウダ・エレジャス」  ええそうですとカウダが返す。エヴァンスが視線を送ると申し訳なさそうな顔をされた。今ここにいないビーに早く帰って来てほしかった。アンバーズ商会に遣いを送るだけでそんなに時間は掛からないだろうに。 「それで、貴族の厄介事に関わりたくなくて返事をしてくだらなかったそうね」  淡々とマリエットは告げる。エヴァンスは小さく息を吸って、 「そりゃあそうだよ、関わりたくない。貴族はいつも勝手だからね。それなりのお金が貰えないとやってらんないし、貰えたって面倒なのが目に見えていることに自分から首を突っ込むなんて馬鹿みたいだろ」  それまで大人しやかに言葉を連ねていた美しい少年から飛び出す言葉に、メイドもルドウィンも目が覚めたようにはっとして。  カウダは深く溜息を吐いて。  マリエットは―― 「そうでしょうね。自分の手に負えないことから身を引くのも大事なことだわ。生きていくのには必要なこと」  淡々と、先程までと変わらない姿勢で言葉を紡ぐ。 「物分かりがいいことを言うなあ」 「もちろんよ。わたくしはこの先、レインジル家を継いで領地を治めるの。そのために綺麗ごとで済まないことだっていくらでもあるでしょう。けれど領地にはたくさんの領民がいて、彼等があってレインジル家があるのだから、それに応える領主であらねばならないのよ。数多いる人々の声をわからないで済ますわけにはいかないの。わからなくてもわからなくてはいけないの」 「それで僕のこともわかるって?」 「全部はわかりはしないわ。それでもあなたの立場を理解しようと努めることはできる」 「じゃあこの件に僕が関わりたくないってことにも理解を示してくれると嬉しいんだけれど」 「ではどうしてルドウィンをあなたの前に座らせていたの?」  ルドウィンがそうです、と呟く。  エヴァンスはルドウィンに対して頭も下げた。彼の不手際で、マリエットたちの大切なイデアール――〝エニヴィスの魔法石〟だという石を、悪いオークションへ導いてしまったかもしれないからだ。 「……座らせたからって、仕事を引き受ける話をしていたとは限らないだろ」 「そうかもしれない。そうだとして、それでもわたくしはあなたにお願いするわ」 「あなたの友人だっていうジェイスは? なんであいつに頼まないわけ?」 「彼には〝エニヴィスの魔法石〟なんてものはないと伝えているの。だから彼には頼めない」  なぜそんなことをするのかと、とエヴァンスが不可解な顔をする。魔法馬鹿と言われるジェイスであれば、きっと魔法石の中でも最も特別な石のためなら力を尽くしてくれるはずだ。たぶん、とエヴァンスは己の考えに付け足す。 「ジェイス・アンバーゼルという、魔法に傾倒し数々のイデアールを直接その目で確かめる人間がないという限り、〝エニヴィスの魔法石〟の存在は噂であって、わたくしたちの手元にあるのはただのひとつのイデアールだからよ」  〝エニヴィスの魔法石〟の存在は昔から囁かれてきたものだ。商人たちの噂として、あるいは人々に語り継がれる昔話の一つとして。  そしてその石の所有者としていくつかの貴族が挙げられていたが、それもまた憶測の域を越えなかった。何よりそれが〝エニヴィスの魔法石〟であるという確たる証拠が必要だ。 「そもそもさ、君たちは自分たちの持っている魔法石を〝エニヴィスの魔法石〟だって言っているけど、それって本当に? 僕が君たちの家の貴重な石を見逃してしまったことは申し訳ないとは思ってるよ。でも僕は実物を見ていないんだ。だから正直、アルベールが持ってたっていう石が君たちの言う〝エニヴィスの魔法石〟だっていうのは疑ってるし、君たちが本当に〝エニヴィスの魔法石〟を持っていたってことも信じてない」  きっぱりと言う。レインジル家の大切な石を自身が看過してしまったことには冷や汗をかいたし、エヴァンスが持つ貴族への印象からどんな仕打ちが待ち構えているだろうかとも思った。だから自分のミスに対しては素直に謝ることもしたのだ。 「……アルベールが持っているのは、彼が持っている時点ではただのイデアールよ。あの石に選ばれなければ、あれはただの魔法石――いいえ、魔法石ですらない、せめて宝飾品にできる程度の石なのよ」 「条件が合わなければ魔法石になり得ないってことだね」  それで? とエヴァンスは先を促すように相槌を打つ。何かしらの条件が揃わなければ魔法が使えない石も存在するので、それは珍しいことではない。  マリエットはしばし自分の手の平を見つめ、それから一歩、エヴァンスに近付いた。 「他言無用よ」  それは恐ろしい言葉だった。そんな言葉を使うものに関わるもんじゃない、とエヴァンスは身を引こうとする。 「ニーナ、ルドウィン」  呼ばれた二人は心得た動作でさっとカウダの傍へ行き、彼を部屋から追い出して扉を閉めた。エヴァンスを呼ぶ声が部屋の外から聞こえる。 「よく見ていて」  見たくないと思ったけれど、彼女が胸の前に出した両手に目が釘付けになる。  ありえない光景だった。 「嘘でしょ……」  何かを支え持つように上向いた両の手の上に、空気を囁き合うよう震わせながら、一つ、また一つと光が生まれた。飴玉のような光がいくつも集まって、身を寄せ合って形を大きくする。生まれた光がマリエットの姿を照らす。  魔法石から生まれる光は様々あるけれど、照明の用途に使えるよう眩しい光を放つそれらに比べて、マリエットの手の平に収まっている光は幾分柔らかな印象がある。それを彼女はエヴァンスに差し出した。 「これがエニヴィスの魔法」  彼女の生んだ光にエヴァンスの金色の瞳が呼応するように輝く。 「そんな……だって……」  魔法を使える人間なんていない。魔法は魔法石の力によって成せる業だ。それがこの世界の常識で、揺るぎない事実だと。 「これが代々レインジル家で受け継がれているもの。〝エニヴィスの魔法石〟はこの力を受け継ぐために用意された、彼の骸。言ってしまえばただの容れ物に過ぎない。そしてこの力はわたくしたち人が持つべきものではないの」  だからあの石が必要なのよ、とマリエットは言う。  あれは大切な魔法のための棺なのだ。  大きな魔法を人間が使わないための、大切な(くさび)。  そしてこれがレインジル家が国に重宝される理由。秘匿してきたもの。  それをエヴァンスに明かした。  彼は口を開閉して、何か言おうとするけれど。何を言ったら良いのかわからなかった。現実に思考が付いていかない。  エヴァンスは光から目を逸らして、力なくソファーに座り込んだ。いつもの深すぎず硬すぎない座り心地に自分の居場所を再確認して、ゆるゆると息を吐いた。マリエットも手に載せていた光を吐息で飛ばすように消して、エヴァンスの向かいに腰を落ち着ける。 「……僕じゃなくてジェイスが適任だよ」 「いいえ。彼の夢をわたくしが簡単に叶えてはいけないの」 「どうしてさ」 「そういうものだからよ」  なんだよそれ、とエヴァンスは舌打ちしたい気分だった。 「あと、あなたについて、噂以外のこともジェイスから聞いていたの」 「……どうせくっだらないことでしょ」 「あなたは誰より何より、魔法石を愛し愛されていると。だから〝エニヴィスの魔法石〟を探さなければとなって、一番最初にあなたに頼んでみようと思ったわ」  静かな瞳でマリエットはエヴァンスを見つめる。  彼が魔法石商になったのは、エレジャスの家に引き取られる以前に、魔法石を好いていたからだった。時に嫌な客に当たり理不尽な要求をされながらも、自分が魔法石を扱う者として立っているのは、何より魔法石が好きだったから。  エヴァンスは苦い顔をしながらも、彼女の前に居ずまいを正した。
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