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第17話
「あれ」
佐久間は時計を見るなり間抜けな声を出した。時計の針は4時を示しているが、空は明るい。しばらく布団の上に正座で座りぼうっとした後、少し伸びをし、寝癖のついた頭をかきながら机の上にある携帯電話をとった。だんだんと妙に寝覚めがいいことに不安を覚え始める。携帯電話の電源をつけると、日付は「7月14日」を示していた。突然手の中で携帯電話が暴れだす。携帯電話の動きをおとなしくさせて、まずは、深呼吸をする。そして佐久間はもう一度目を見開いて携帯電話の画面をのぞき込んだ。しかし、やはり日付は変わらず「7月14日」を示していた。
落ち着くように自分に言い聞かせる。まだ朝の4時の可能性が残っている。大丈夫だ。佐久間は、ゆっくりと時刻を表示している部分へ目を向けた。すべてが確信に変わる
「うそ……だろ……」
佐久間は、高山と共に7月12日から、100キロウォークに参加しに鳥取へ行った。昼の12時にスタートし、翌日13日の昼12時にゴール閉鎖である。序盤こそ「1時間5キロペースで歩いていけばいいんだろ? 余裕」などと調子をこいていたものの、暗くなってから急に疲れが現れ始め、深夜には足の裏が痛くなり、途中で1時間の仮眠をとったものの、結局13日11時ごろ、高山が90キロ付近で白旗をあげ、やむなく2人ともリタイアとなった。
その後しばらく休憩を取ってから、13日の13時ごろには100キロウォーク開催地を出発したはずなので、13日の夕方には下宿アパートに着いていた。佐久間は、その日何もする気が起きなかったので、軽くシャワーを浴びて寝ることにしたのだった。
とりあえずつぶやき型SNS「ついつい」で「絶望の起床」とだけつぶやく。7月14日は失われてしまった。せめて自分が7月14日を生きた証を残したくて、とりあえずライトノベルの制作を進めようとしたが、期末試験前であることを思い出し、民法の勉強に切り替えた。
ふと「ついつい」を開くと、さきほどのつぶやきにリプライが送られている。
「奇遇だな、俺もだ」
送り主は見なくても分かった。高山であった。
「ちょっと早いけど、今から晩ご飯どう? ガス代とか払うわ」
今度はRINEでメッセージが来た。あっちこっちと忙しいやつと思いながら、佐久間は返信する。
「めぇ~。俺も参加費払うわ。時計台のクスノキのとこでOK?」
すぐに既読がついた。
「は?」
そのあっさりした返事に、佐久間の説明意欲が湧き上がる。
「OK牧場→牧場→ヤギ?→めぇ~」
佐久間の渾身のネタに、高山はまたしてもあっさりと返事をよこした。
「は?」
時計台の前にあるクスノキのもとに腰掛けて日が沈んでいく空を見ていると、実は13日の夜なのではないかという気がしてくる。夢を見ているようだったが、夢はさっき起床したときに終了していた。初めての出来事に佐久間の喪失感は大きかった。
そうこうしているうちに、高山が自転車でさっそうと登場した。その自転車はクロスバイクで、佐久間の愛車のママチャリよりスマートで夕日に映えていた。
「前のとこで」
高山は、自転車に乗ったままそう言った。
「めぇ~」
虚無になっていた佐久間のそのときの声は、彼の人生で一番ヤギの鳴き声に似ていたという。
古都大学の南キャンパスを近衛通に抜けて東のきゃらばん通を南へ下ると、定食屋がある。その定食屋の向かいの道路わきに自転車を止めて、店内へ入った。
佐久間はハンバーグ定食を、高山はモモのチリソース煮定食を注文し、100キロウォークの清算を済ませると、高山が切り出した。
「まさか、月曜日が消滅するとはね……」
「それな。3連休はなかった」
「去年、忘年会とかで3次会のオールカラオケをしたときも12時には起きてたのになぁ」
高山は、なぜか遠い目をした。その目は、失ったものは取り戻せないということを悟っているようでもあった。
「そもそも、あれは、もう過酷すぎる。二度と行かない!」
「と言いながら来年また行くんじゃないの?」
佐久間の強い決意表明に、高山がおどけて返したので、佐久間は顔をしかめてみせる。
「それにしても、参加者自体は年齢層高めだったことない? おじいちゃんみたいな人とかけっこういたような。あの人たちは一体ゴールしたのかしら」
「まぁ、ゴールはしてるんでしょうな。ゴールにいたわけだし。車とか使った可能性を排除できないけど……」
「おじいさんとかに負けた上でこのザマだとしたら、ほんとに悔しいわ」
佐久間は、ジョッキを持つようにして水の入ったコップを持ちいっきにぐいっと飲み干すと、がっくりと肩を落とした。
そんな思い出話をしているうちに、ハンバーグ定食とモモチリ定食がやってきた。二人は、いただきますと言ってご飯にありついた。
「そういやさ、昨日か一昨日に第2チェックポイント辺りで高山が言ってたやつ、なんだっけ、絵を描いてるって言ってたやつ。あれ見せてよ」
100キロウォークで歩いているとき、歩いているだけではあまりに暇すぎるので、2人でひたすらしりとりなどをしていたが、1時間ほどで飽きてしまった。そこで好きな食べ物は? とか、休日に何をしているの? とかそんな合コンみたいな会話から話を作っていたのだった。そして、そのときに高山が休日にはイラストを描いたりしていると言っていたのだ。それを佐久間が聞いたとき、佐久間は見せろと強く迫ったものの、高山がモバイルバッテリーを忘れたとかで充電温存という理由をつけてなかなか見せようとしなかったのであった。
「う~ん、まぁ、いいけど。ちょっと待って。帰ってすぐ寝たから充電してないんだよね」
「今すぐ充電が切れても問題はないから大丈夫。それとも、今すぐ彼女から電話が架かってくるわけではないでしょ?」
「まぁ、そういうわけではないけど……」
「あれ? 彼女がいるってわけではないんだよね?」
高山の回答の仕方に、佐久間はふと違和感を覚え、そう尋ねずにはいられなかった。
「分かった。見せるよ。けど、見てもなんも言うなよ」
「あれ? 彼女は……」
高山は、佐久間の言葉を無視するようにして携帯電話を取り出した。そして高山のイラストの載っているウェブページを開くと、佐久間に携帯電話を突き出した。
高山の示した携帯電話の画面を、佐久間は自分の手に取って眺めた。「イラストUP」というイラスト投稿ウェブサイトが表示されている。そのページにはいろんな女の子のイラストが並んでいて、どれもニーソックスを着用している。衣服は厚紙のような素材で、顔は、原始人のようだった。さらに下にスクロールしていくと、だんだん過去に投稿したイラストが表示されていくようだった。過去のイラストを見ても、どの女の子もニーソックスを着用している。ただ、衣服は鉄板が入っているようにとがっていて、さらにはどの女の子もゴリラに見えた……。
佐久間には、これらのイラストに見覚えがあった。慌てて画面を上に戻してアカウント名を確認する。
佐久間が顔を上げると、高山は心配そうに佐久間に見ていた。イラストに関する評価を求めているようであった。そんなことは、佐久間はなんとなく察されたが、それどころではなく、言葉が出てこない。
「もしかして、高山ってもしかしてファブリースなの……?」
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